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時間や労力の配分について考えた

30過ぎて、人生がそう長くないことに気がついた。うまく時間のやりくりをしなければ、あっという間に時間が過ぎ去ってしまうのが悲しい。もう、自分に与えられた時間は無限ではない。

ところが、過ぎていく時間が利益や効用を生み出す場合もある。
年齢とともに衰えていくものを追いかけるよりも、そういうものに時間や労力を割いた方がよいのではと考え始めてきた。

例えば、投信の積み立ては世界経済が成長することを前提とするならば、時間が経つほどに結果がでる。銀行に預けたり宝くじやギャンブルをするよりは確実だと思う。これは、今後も継続したい。

次に何らかの知識技術の習得。たとえば、語学だったり、趣味の読書だったり、お絵かきだったり、そういったものは時間が立つほどに洗練されていくものだ。時間の経過というのは思ったほど悪いものではない。
身についた技術や知識は人生の可能性を広げ、生きがいに結びつくだろう。また、趣味を通じた人間関係は生活を豊かにすると思う。

逆に短期的な効用しか得られない活動は切り捨てるべきだ。例えば週刊文春的なゴシップやガレソ的な炎上、SNSのマウントレースに深入りすること。

上に挙げたものは誰かとのコミュニケーションする際の話題として役立つかもしれないが、自分の生活自体には何の関係のない情報だ。そういったものを見る時間は対象をブロックorミュートすることで節約できる。

私の場合、YouTube、ショート動画、配信回り、Xで情報収集することが日課になっているのだが、少し考え直した方がいい。

これらは、現実から逃避するのには役にたつ。
ところが逃避の時間が日常生活を回していくために必要な時間を上回ることがしばしばある。
逃避と日常生活の顛倒。これはあまりよろしくない。

あくまで大事なのは、自分の生活をいかに維持向上させていくかにある。エンタメはあくまでその一時的な逃避先であり、一日中居座るような場所ではない。

ゴタゴタ言ってきたが、そうは言ってもうまくできないのが人間だし、無駄なことにこそヒントが眠っている場合がある。それは理解している。

この場合大事なのはおおまかな方向性を決めることで、目標を完璧にこなすことではない。だから、ある程度できない自分を許す必要もあるだろう。

ただ、資本主義を採用した国家で生活をして、資本主義というゲームをプレイしている以上、「計画を立て、実行し、継続する」ことが最も重要だということは経験則的に明らかだ。これがこのクソゲーの唯一の攻略法なのだ。攻略法がわかっているなら、やるしかないではないか。

根本的に私たちは今競争を強いられている。
それに乗っかるか、降りるかは各自の判断になる。

私はある程度乗っかることにした。乗っからねば惨めな思いをするからだ、そして、惨めな思いは正直あまりしたくないと思う。

とにかく、時間を意識して生活をしていきたい。

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