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生活環境の変化とインターネット

わたしのインターネットライフにすこし変化があるので日記。

ここ10年間私の情報収集手段は旧Twitterが中心になっていた。思えば21歳くらいのときにTwitterをはじめたので10年選手になる。色んなことをTwitterから学んだ。良いところも、悪いところも。

ただ、10年が経った。
生活は年齢とともに変わる。もちろん情報の価値も変わる。

Twitterを流れるライフハックや人生論は10年で全て一周してしまった。もはやTwitterに知的な喜びは何もない。

それに伴ってあの場所で幾つになっても同じ言い争いをしている人たちが幼く見えてきた。

延々と繰り返される議論やマウントは内容的にも質的にも、大人になるほどに幼稚に感じてしまう。いつまでお前たちはその話してるんだと。

何歳になっても男女の話をして、空しくならないのだろうか。
犬猫のポストを見続けて、目の前にある人生の諸問題は解決するのか?
いつしか逃避が現実とすり替わっていないか?

もちろん、趣味で仲間と繋がるのにXは適しているし、楽しい。

それが目の前の現実からログアウトするための逃避の手段になっているのなら危ない。
過去の自分を振り返っていて思う。

SNSは使い方を間違うと人生がめちゃくちゃになる。必要ないんだったら、触れないほうが1番良い。
楽しいことは外の世界で探すべきだ。もしくはお金を払ってもっと質の高い情報を得た方がためになる。
無料の扇情的な情報に毒され、依存症にされて、オンラインから帰れなくなった人をたくさんみてきた。

Xにはもう搾りかすしか残っていない。
政治的な中傷や、マウントの取り合い、歪んだ私的制裁、傷の舐め合い、レベルの低い男女論をあんな澱んだ空間で繰り返しても救いがない。

今後まとまった考えはなるべくnoteに残していく。

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