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花占いみたいな両極端(読書感想文『天才はあきらめた』)

Kindle Paperwhiteを購入してライブラリを漁っていたら、2018年に電子版を購入したっきり積ん読状態になっていたこの本を発見。
5年ごしに読んでみました。


南海キャンディーズの山ちゃんが、怒りや悔しさを燃料にして今日までを生き抜いてきた、その振り返り的な話です。

 自分は何者かになる。そんな、ぼんやりだけど甘い夢のような特別な何かを容易に見つけられて、何者かにたどり着くため必要な労力を呼吸するようにできる人、それが天才なんだと思う。
 でも、昔から僕はハッキリわかっていた。「自分はそうじゃない」。この自覚は、自然と努力へのブレーキを強めてしまう。さぼる言い訳にしてしまうし、最悪は止めてしまう。
 だからといって天才を目標にするのはおこがましい。だって僕は普通の人だし。
 だけどどうしても何者かになりたい。

(『天才はあきらめた』電子版 位置No.40 以下同)

今日の山ちゃんの活躍ぶりを見るに、彼が「天才」かどうかなんてわかりきったことなんでしょうけど、少なくとも本人は自分のことを天才だとは思っていないようです。

この本を読んでいると、感情の振れ幅の両極端さに驚かされます。
有頂天になって全能感に包まれている自分。それとは対極の、才能の無さに打ちひしがれてヤケになっている自分。
その2つの感情を絶えず行き来しながら、今日までもがいてきたんだなぁと。

どことなく、花占いのようだなと思います。

「好き」「好きじゃない」「好き」「好きじゃない」

極度に単純化された2つの答え。
0点か100点か、そのどちらかを選ぶという残酷さが、花占いです。

自己肯定感が低い人(ロールモデルは自分自身ですが)というのは、この両極端さに心当たりがあるのではないでしょうか。

ちょっとしたこと、たとえば意中の相手との約束を取り付けただとか、仕事でちょっと褒められたとか、そんなことでぶあーっと舞い上がる。
まるで世界の風向きがすべて自分の背中を押しているかのような前向きな気持ちになる。

かと思えば、その揺り戻しはすさまじく、ひとつ上手くいかないことがあるだけで、おいおいこいつ大丈夫かってくらい落ち込んだりする。
しかも、「前向き」の時の自分のハイテンションや言動を思い出しちゃうものだから、余計に。

「今日はだめだったな」、の「は」をうまく生活に溶け込ませることができなくて、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、気持ちというシーソーをぎっこんばったん壊す勢いで揺らしている。

そんなふうに感情をオーバーヒートさせていると当然疲れますし、疲れると気分だってネガティブ方向へと引っ張られて、悪循環・・・。


ずいぶんと話が逸れました。
なんでしたっけ?花占い?あ、山ちゃんの話だ。

とりあえずまぁ、この本を読むと山ちゃんもそんなふうに両極端の中でもがいてきたのかなと思うのです。
そしてその繰り返しの中で、有頂天にならないよう自分を押さえ込む術を身につけたり、沈みきった気持ちの中でも前に動き続ける心構えを学んだりしている。


ああ、これ、自己肯定感の低い(自分のような)人はぜひ読むべきなんじゃないかな、と思いました。

読んで心構えを真似すれば、山ちゃんのような大物になれる・・・とは言わないけれど、シーソーの振れ幅を少なくすることはできるような気がします。

花占いは乙女のロマンかもしれないけれど、現実を生き抜くためには、いつまでも運任せじゃ困るのよと、そういうこと(どういうこと?)ですな。

2023.7.17




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