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新規事業経験者が持つ体験知

新規事業の経験者、特に新規事業リーダー経験者は、実務での試行錯誤や手痛い失敗を通じて、新規事業の勘所や嗅覚、判断基準や事業センスなどの実践知を身につけています。加えて、新規事業におけるセオリーや避けるべき地雷を体験知として理解しています。
具体的には次のようなことを、経験を通じて身体で理解しています。

●ホリスティックな思考(統合的な思考)

新規事業の経験者は、ものごと全体と個々要素とその関係性をトータルに捉える感覚、つまりホリスティックな思考(統合的な思考)を保有しています。

新規事業の企画開発と事業運営は、様々な要素を並行して検討し、個々要素の相互依存関係を考慮する必要があります。例えば事業企画フェーズでは、顧客や課題の模索をしながら、同時にプロダクトやビジネスモデルを考えます。既存の競合やプライシングも同時並行で考えます。まずは課題調査、次にプロダクト企画と一つ一つ順序立てて検討するのではありませんし、顧客課題とビジネスモデル、想定オペレーションとコスト感を別々に分けて検討するのでもありません。
新規事業の企画段階であれこれ試行錯誤し、ビジネスの形を柔軟に変えながら進めるには、ホリスティックな思考が必須です。

ほとんどの会社員は、無意識のうちに分析的・分割的な思考が染み付いています。保守本流事業は分業体制が確立されており、誰もが分割された部分の仕事をします。特に大企業では、他の部署が何をしているか知らなくとも、自部署と自分の仕事を行えば、全てがうまく進むように組織と関係性が高度に完成しています。
そのためものごとをトータルに捉える必要性も機会もなく、ホリスティックな思考が身につく機会はありません。

一方で新規事業を経験すると、様々なことを同時並行で検討・実行する必要があり、新規事業を複数回経験することで、必然的にホリスティックな思考が身につきます。ものごと全体と個々要素とその関係性をトータルに捉えるため、ある要素を変更する必要が生じる際に、それが影響を及ぼす部分を捉えることができ、全体と各要素を絶妙にバランスの取れた形で作り変えることもできます。
もちろん1度の新規事業経験でホリスティックな思考が身につくものではなく、2度、3度と新規事業リーダーの経験を積むことで、徐々に全体統合的な思考が身についていきます。
また、新規事業の企画構想から事業を立ち上げ後の事業運営まで経験がある人は、時間軸も考慮して思考することができます。例えば事業企画フェーズで、立ち上げ後のオペレーションのことや将来競合になり得る企業の想定まで考慮に入れ、事業企画を進めるのが当たり前になります。

●一人で何役もこなし、なんでもやる

新規事業の経験者は、企画段階でも事業立ち上げ段階でも、一人で複数の役割をこなして進める必要があり、なんでもやるのがごく普通だと理解しています。

ホリスティックな思考を行動に移そうとすると、新規事業チームは人数が少ない方が好ましいです。ホリスティックな思考で頻繁に試行錯誤をし、柔軟に軌道修正しながらスピーディーに進めるためには、新規事業チームは数名でなければなりません。新規事業チームの人数が増えてしまうと、様々な要素を有機的に考えることが難しくなり、コミュニケーションロスも発生し、頻繁な軌道修正が難しくなり、機動的に動けなくなってしまうのです。

保守本流事業では、必要業務や業務の流れは何十年も前に出来上がっており、複数部署に役割分担され分業体制が確立されています。一人で何役もこなす必要がなければ、他の部署の仕事を勝手にやるのは全くもって迷惑だと叱られます。
他の部署のことに口出しすることさえ越権行為とみなされがち。何は自分の仕事であり、「それは自分の仕事ではない」という意識を持つのが普通です。

一方で、新規事業は少人数で何から何までやることが山ほどあるため、一人で何役もやらざるを得ません。試行錯誤が必要でどんな作業が発生するか予めわからず、きれいに役割分担できないし、チーム人数が少ないため、新たに発生する仕事をチームの誰かが巻き取って進めるのはごく普通。
「それは自分の仕事ではない」などと思ったら、何も進まないことは当然わかっており、未経験業務や不慣れな領域でも、調べながらなんとか進めます。新規事業の経験者は、このようなことがごく当たり前だと心得ています。

●「失敗」と「不成功」との付き合い方

新規事業の経験者は、新規事業における「失敗」の意味合いや「不成功」の仕方など、「失敗」と「不成功」との付き合い方を心得ています。

ゼロからイチを創り出す取り組みは、予め答えがない問題への対応の連続です。必然的に試行錯誤や小さな実験が求められ、小さな数多くの失敗をしながら、3歩進んで2歩下がるを繰り返します。10歩進んで失敗に気づき20歩前に戻ることもあります。
頭でっかちに机上で過度に考えるよりも、生煮えアイデアでいいからまず動く方が、状況が進展することが多いです。ただ生煮えアイデアですので、小さな失敗をしつつ、それを踏み台に進むことが求められます。

保守本流事業では、ものごとを計画通りに進めることが期待され、「失敗」も「不成功」も忌避されます。失敗をしないように目標や計画を立てること、失敗をうまくカモフラージュすることも、会社員の処世術でもあります。

新規事業の経験者は「失敗を恐れず果敢にチャレンジ」といったありきたりな借り物の言葉ではなく、過去にやってしまった大量の失敗経験・不成功経験を通じて、新規事業を進める上での「失敗」と「不成功」の付き合い方を会得しています。
良い失敗とダメな失敗の違い、より早く不成功を積み重ねる必要性、致命的な失敗を回避するためのコツ、不要な不成功を避けるためにすべきことなどの体験知が、新規事業の嗅覚やセンスでもあり、新規事業の失敗確率の低減に役立ちます。

●社内から批判・非難されること

新規事業は往々にして社内の異分子だと捉えられ、社内からいろいろと批判・非難されるのが普通であると新規事業の経験者は知っています。

新規事業は、どのような内容でも社内から反対や批判の声が上がるものです。新規事業の企画が、業界が見て見ぬ振りをしてきた恥部や業界スタンダードに触れる内容、つまり本質でありイノベーティブであるほど、社内からの反発の声や批判は大きくなります。
逆に、社内の誰もが「いいね」という新規事業の企画は一見良さそうに思えますが、実のところ筋が悪い可能性が高いです。
新規事業の初心者は、社内から反対・批判の声が上がると焦ってしまいがち。批判や反対に対応しようとした結果、肝心の事業企画が骨抜きになり、何をしたいかわからないプロダクト案や事業計画になってしまい、新規事業が頓挫してしまう傾向にあります。

一方で新規事業経験者は、反対や批判の声には慣れっこです。本流事業の人に「あいつらは、自分たちが稼いだ利益を食いつぶしている、お気楽なものだ」と陰口を叩かれても、その通りでありつつも、誰かが新規事業をやらないといけないとわかっているため、意に介しません。味方のはずの身内から非難され陰口を叩かれるのは嬉しいことではありませんが、反対や陰口は新規事業にはつきものであり、社内から反対されたという理由だけで、考えや企画を曲げてはならないことを十分理解しています。

新規事業の開発や実行段階になると、社内でより「目立つ」ようになるため、社内からの批判や横槍はより大きくなります。良かれと思う無知からくる間違ったアドバイスもあれば、嫉妬からくる足の引っ張りも。
新規事業の初心者は、そのような批判や横槍一つ一つを真に受け、手間ばかり取られて二進も三進も行かなくなりがちです。
一方で経験者は、そのような批判や横槍も適切にマネージして、適切な対応を選択します。一つ一つ対応しては、どれだけ時間があっても足りませんし、かといって無視しすぎると、いざという時に社内から協力を得られません。そのような際の、進め方やいなし方、巻き込み方や距離の取り方など、社内コミュニケーションも過去の経験を通じて、対応方法を心得ています。

取り組んだ新規事業が失敗して事業撤退するときや、何年も赤字を垂れ流して成功の兆しが見えないとき、社内からの直接的な批判がピークに達します。
新規事業の経験者は、その辛さを経験しているから「次こそは」と思うし、同じ失敗を繰り返したくないため、失敗から必死になって学びます。

●社内の「いつものやり方」と違うやり方

新規事業を、社内の保守本流事業のいつものやり方で進めるとまずうまくいかず、いつもと異なるやり方が必要なことを経験者は知っています。

新規事業は、保守本流事業と違うことをやることです。先輩に聞く、上司に判断を委ねる、社内の然るべき意思決定機関に諮る、阿吽の呼吸で決めるなどのいつものやり方は、新規事業においては百害あって一利なし。いつものやり方と違うやり方、逆のやり方が必要とされます。
新規事業経験者の多くは、新規事業をいつものやり方で進めようとして、うまくいかなかった経験を過去にしています。過去の失敗を通じて、自社内における、保守本流事業の仕事の進め方と新規事業のそれの違いを身につけます。
新規事業リーダーは、自分で決める場面を何度も経験します。意思決定は質より量で、新規事業の経験者は意思決定の場数を踏み、自ら決める力を有するようになります。

●事業の意義と自らの内なる衝動の必要性

新規事業開発は、創る事業の意義から考える必要性があることを、新規事業の経験者は理解しています。様々な困難を乗り越えながら進める上で、自分の内なる衝動との連動性が必須なことも、経験者はよくわかっています。

多くの会社では、経営陣が新事業の中身自体を起案することは少なく、新規事業の方向性や範囲を漠然と設定するに留まります(経営陣が方針さえ示さない会社もありますが、それは経営陣の怠慢です)。それを受けて、新規事業部門やリーダーを中心に、具体的な新規事業を企画します。
新規事業の企画は、「売上や利益が出ればなんでも良い」わけではない会社が多いです。企画する新規事業は、社会や業界、自社や顧客においてどのような意味合いかという「事業の意義」や、自社が取り組む理由を、経営陣から問われます。

新規事業の経験者は、自社にとっての「新しく創る事業の意義」が重要なことを心得ています。流行っている、儲かりそうという理由では新規事業案は承認されない短期的な視点以上に、中長期的な重要性です。
「新しく創る事業の意義」が不明瞭だと、社内の協力を得ることが難しくなります。会社業績が好調な時はあまり問題になりませんが、会社の業績が傾き始めると、赤字を垂れ流す新事業と意義が不明瞭なプロジェクトの予算は、まず最初に凍結されることになります。

また新規事業リーダー、メンバーともに、なぜ自分がこの事業を新たに創り上げたいか、個々人の内なる衝動が必須です。
新規事業は、冷静に考えればかなり大変な仕事で、割の良くない仕事です。新規事業の90%以上は失敗に終わり、あれもこれも自分でやる必要があり、社内からは批判・非難され続けます。そのような中で新規事業を進めるには、個人の強い内発的動機、内なる衝動なしには不可能です。
もちろん、新規事業開発とて会社員としての仕事のため、個人の強烈な原体験に基づくものにはならないでしょう。しかしそれでも、新規事業の活動を心折れずに進めるには、新しく創る事業と自分の内なる何かしらの衝動との連動性を見出しておく必要があります。




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