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早大入試で不正をした受験生が読み切れなかったもの(番外編)【「あってはならないこと」と「再発防止」は別の議論では?】

今春の早稲田大創造理工学部の一般入試で、スマートグラスという電子機器を使って入試問題が流出する問題が起きたとのこと。

そのことについて、考えています。

前回はこちら

今回は番外編として、メディアの論調について書きます。
この事件が発生したとき、ある程度メディアの反応は予想できました。

というのも、論点が再発防止に集中するだろうということです。
その一例はこちら。

l(プレゼント機能を使っています。 5月19日10:13までリンクの記事が読めます)

今回の受験生の不正は、あってはならないことは間違いのないところです。しかし、だからといって、これを大真面目に防止しようと考える発想はどうかしているともいえるのではと私は思っています。

受験生1万人がいて、何人が不正に手を染めるというのでしょうか。

数として極めて低いのであれば、再発防止を優先をすべきこととは思えません。防止策が不要だとい言っているのではなく、ある程度の枠内で不正を防止する手立てを考えるべきではと思います。

それよりも検討すべきことは、外部との通信することによって得た不正の恩恵によって合格することが可能かという点でしょう。

不正の防止よりも、不正による恩恵により合格するかどうか。
このラインを守り切れれば、不正は無に帰すからです。

私は、不正によって合格ラインんを突破することは、恐らく無理だろうと思っています。

私立大学であっても2~3教科テストを課していますし、解答方式もマーク式や記述式もありそれなりに分散しています。不正という点では、リスクを分散しているとも言えます。

もっと言うと、不正をしてでも合格したいのであれば、総合型選抜入試の方が抜け穴は大きいはずです。こっちはちゃんと検証しているのか。

別の観点で言えば、一般入試は、曲がりになりも不正と向き合ってきた歴史があります。

例えば、九州大学は、解答用紙には受験番号しか書かせませんが、かつては名前も書いていたとのこと。これはかつて医学部の大物教授の息子が受験した際に採点官が手心を加える事件があったから記名を求めなくなったと聞いたことがあります。

また、別の大学の例では、印刷工場の従業員を買収して入試問題を得たり、替え玉受験を試みたりといつの時代も不正を試みる人はいるものです。

不正の防止には限界がある。

だからといって、

「仲間同士で不正をしていたらバレなかったはず。将来的には、面接と組み合わせるなど、一斉に行う筆記試験だけで合否判定するのを避ける必要があるのかもしれない」と語った。

ごくわずかの受験生の、しかも合格しなかった受験生の存在をもって、大学入試の根幹的な仕組みを変えるべきと発言する大学の先生のお考えはどうなんでしょうか。

あまりに、正しいことをばかりする人たちの集団の中で過ごしてこられたので、このような「悪」が入り込んだことで混乱しているのでしょうか。

あまりにピュアな思考はちょっと不安を覚えさえします。

公平性というのであれば、カリキュラムをガン無視して、学校一丸となって先取り学習をしている学校と高3の秋まで教科書の内容をやっている学校の格差問題をスルーすることは、公平性に反しているともいえる。

公平性は、とりようによっては、無限に要素があり、今回のような不正だけを躍起になってつぶしても公平性の議論になっていないのではとも思います。

防止という観点は大切ですが、どの程度防止策をやるべきかは、よく議論されるべきですし、根絶はほぼ無理であり、防止策という点では、緩めの対策を二重三重施すのが現実的です。

記述式の答案をしっかりと書かせる内容であれば、不正はほぼ不可能ではないかなと思います。

論の展開は、その人の「個性」が滲むからです。

その意味では、出題と採点を丁寧に行えば、自ずと不正防止になる。

受験料収入を目当てに出題と採点を簡素化している私立大学は襟を正すべきでしょう。このような不正は、入試システムの脆弱性が狙われる。

その意味では、早稲田大の出題方式は、よく練られているとは思いますし、現に不正をした受験生は合格できなかった。それでも、出題の在り方については、謙虚に点検する姿勢も大事なのではと思います。


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