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東京一極集中は必然の流れ。ただ、流れ着く未来は本当に明るいものなのか【「選択と集中」にすがる危険な賭け】

私は福岡市に住んでいますが、福岡市は地方でありながら、人口が増えている稀有な都市とされています。

だからといって、福岡市がメディアが報じるほどの「勢いを感じる都市」かというと、そうでもないというのが私の実感です。
その点については、↓で書いています。

最大の繁華街である天神地区は、猛烈な勢いで再開発事業が進められていますが、市民にはそこまでの高揚感はなく、私の眼には、淡々とビルを建て替えているという印象しかありません。

想定される収益>投下される資本
が成り立つから、どこかから資本が湧いて出て、この街に落ちている。

そんな感じで眺めています。

そんな福岡市でも東京への人の流出は確実に起きており、福岡市が例外的に他都市から流出した分を補うことができているというのが、実態ではと思っています。

なので、東京一極集中はもはや止めることは難しく、いきつくところまで行くのだろうと私は思っています。

その点では、お隣の韓国と同様に、東京はソウルのように今以上に超過密都市となるのではと思います。

そのため、↓のような記事も「何をいまさら感」が強いです。

このような東京一極集中が進む理由は、経済合理性が大きいと思っています。優秀な官僚の皆さんがそれを理解できないとはとても思えない。
地方創生というものが焼け石に水であり、ならば地方選出の議員の顔を立ててやってる感を演出するのが関の山なのではと思います。

また、東京一極集中が起こるのが、東京が人生を送るための理想的なユートピアであり、そのために人が殺到しているのであれば、まだましなのかなと思いますが、残念ながらそうではないのだろうというのが私の理解です。

最近、現象説明をどうしても資本主義のフィルターに通してしまうので、我ながらあきれていますが、これもまた資本主義のひとつの現象なのでしょう。
経済合理性の最大化を図ろうとすれば、必然的に東京に人と資本が集まる。

その最大のダイナモが「人」であり、「人が動いて」東京に集まっているのであれば、人の力によって、東京一極集中を是正することは可能であると思うのですが、資本主義の論理によって、「人が動かされている」のであれば、人間の敗北の現象とみることもできなくはないのかなと思っています。

最近、東京一極集中の力の源泉となっている感があるのが、「選択と集中」という考え方でしょう。
選択と集中は、GEのカリスマ経営者ジャック・ウェルチが事業立て直しに成功した思考方法だといわれていますが、この点についての評価は割れている点もあるというのが私の理解ですが、

ただ、その是非を問うゆとりもなく、衰退するこの国では、なす術なく、この選択と集中という考えにすがりついているように見えなくもない。

これが東京とソウルの一極集中の違いなのではと思っています。
能登半島地震による回復への動きがあまりに遅く、官僚が↓のように答弁するのも、

奥能登が選択される地域と思っていないからでしょう。もうすでに、選択と集中の思考は、一部の官僚の皆さんのコンセンサスになっているのかもしれません。

衰退局面の何が問題なのかといえば、現状を打開するアイデアが出てこないということなのではというのが、今の私が感じている強い危機感です。

選択と集中という正しいのかもよくわからない思考にすがっている。

私にはそう見えています。

東京一極集中の陰で、じわじわと選択と集中が実行されている。それが政治的な陰謀なのではなく、資本主義への適応により自発的に行われているように私には見えています。

それは、人間がせっせとディストピアを建設している姿のように見えなくもない。

どうやったらこれを止めることができるのでしょう。これは相当やっかいな現状なのかなとも思っています。

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