見出し画像

「確率はどうなるのでしょう?」【九大数学のジレンマ】

「確率はどうなるのでしょう?」と九大受験生(理系)から意見を求められました。

結構悩ましい問題だと感じています。

ここ2年間、九大は文理共に確率を出題していません。流石に3年連続での出題なしはないのではという読みから受験生は聞いてきたのでしょう。もちろん、出題されることを前提に準備するのは当然のことですが、個人的には、「出題は今年もないかも」と思っています。

理由は2つあり、一つ目は、ここ数年は、九大は「論証問題」に力を入れており、さらに複素数平面は試行錯誤しながらレベルの天井を破ってきています。また、論証のターゲットとなる整数問題も重視していると感じます。

複素数平面、積分(数学Ⅲ)、論証(整数など)、幾何系(ベクトルなど)と枠を予想すると、のこり1枠に確率が入るか入らないか微妙だなと感じてしまうのです。また、共通テストと似た会話形式の問題は今年も出るとしたら、ますます確率の枠は微妙だと感じてしまいます。

もう一つの理由は、2020年の問題が文理共通で、何ともあっさりとした問題だったことです。これが私の中で、影響が大きく、問題の内容を分析すると、出題する意味があったのかなと思わなくもなかったこともあり、確率問題の必然性を感じられないなと思ってしまいます。これまで確率は、差をつけやすい問題として九大に限らず難関大に重宝されてきた印象があります。2020年以降の問題は、その役割を確率以外の分野で担保しているように感じなくもありません。そのあたりが、確率はどうなんだろうという印象になるのかなと思っています。

諸外国のことは全く分からないのですが、日本の大学入試の数学は、独特の進化をしてきたのではと感じます。数学ができること=優秀という視点はいまだに根強くあり、そこまでマニアックな問題を出題する意味はあるのかなと常々思っています。
近年、京都大学数学が文理問わず、そこまで難しくないことに、受験業界から「批判」が上がっています。京大だからもっと難しくしろという意見が多く、数学の難しさがそれを突破したことでステイタスにつながるという風潮の温床となっているのではと感じます。

入試をドラスティックに変えることで、社会は変わらないとは思いますが、一方で入試問題のマイナーチェンジは、受験生の学びの質を変えるので、結果として合格者の質を変える可能性はあります。入試改革と大仰に構えるのではなく、ちょっとした改善の方が社会を変えるファクターになるのかなと思っています。

その意味でも、九大の数学に注目しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?