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受験生や受験産業が制度の脆弱性を容赦なく突いてくるのは当然の結果【ロースクール制度の高い理想とシビアな現実との乖離】

発足当時からいくつかの問題点の指摘があった現在の司法試験制度。アメリカの大学院にも似たロースクール制度は、高らかな理想を謳ったものでしたが、厳しい現実にさらされているようです。

九州では、熊本大、鹿児島大、西南学院大などが法科大学院を廃止したようで、現在残っているのは、九州大と福岡大だけなのだとか。

その2校も、合格率は芳しくないようで、生き残りが主たるテーマなのだとか。

なぜこのような事態になっているのかを説明している記事が出ています。

本来は、ロースクールに通うことができない人たちの救済措置であった予備試験による合格者が増えているからなのだとか。

これは、制度設計の難しさを示すものだと感じます。

これまで司法試験は、大学入試の比ではないほどの「暗記」試験という批判がありました。

そのため、大学の法学部での勉強より、司法試験予備校に通い、暗記知識と論述試験の解法技法を詰め込み式で習得させる方が現実的ということで、多くの司法試験受験生が流れ込むことになった。

ロースクール構想は、そんな現状を打破し、再び大学(公的教育機関)に法曹人材育成を取り戻そうという趣旨で設立されたのだろうと理解しています。

現実は理想通りにはいかなかったようです。

いまのロースクールの苦境は、受験生が「どうしたら、司法試験に合格できそうか」を突き詰めた結果であることは、明白でしょう。

たとえ、制度が崇高な理想を掲げていたとしても、そんなことなど、受験生にとってはどうでもいいことであって、「現世利益」にまい進するのは、当然のことです。

ロースクールと予備試験をシビアに分析し、制度の脆弱性など当然に突いてきます。

また、ニーズがある限り、サービス業としての受験産業は禁止されない限り、存在しますし、これまた厳しい競争環境によってそのスキルは研ぎ澄まされていきます。

理想の美しさだけにすがることは、現実的には無理があります。

これは、大学受験であっても同じことです。

これから本格化する総合選抜入試は、その脆弱性を受験生によって、受験産業によって今以上に突かれいくことでしょう。

それを「けしからん」と言って批判しても仕方がない。そうされないような制度設計をすることのみが唯一の解決策と思うからです。

その結果、よりよい制度になるといいのですが、必ずしもそうはならないのも多々ありえることが現実の恐ろしいところでもある。

国立大学が段階的に総合選抜入試を導入していく姿勢は、そんなに悪いことではないと思っているのも、このような理由があります。なんでも積極的にやりさえすればいいというわけではありません。

早急な改革は、失敗したときのリスクは大きい。

ロースクール制度の事実上の失敗からもこの点は学ぶ必要があるのかなと感じています。

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