新春企画!一般入試がなくなる世界を考えてみた(4)【一般教員50歳定年制となる未来】


一般入試が終わった社会を妄想しています。前回はこちら。

今回は、こんなことを考えてみました。

今回も教育現場での変化です。今回も新聞記事風で書いています。

ここでも顔を出すのが、資本主義の論理なのかなと思います。

学校の先生の待遇は、「もっと悪くなる」という予測が現実的に感じられます。

もちろん、それで「いいわけない」のですが、この国では、何事も「ダメな方向」にずんずん進むので、それに反する予測は本当に立てにくいなと感じています。

諸外国の動きをみても、戦わずして労働環境が良くなることはないと思うのですが・・・。

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県教育委員会は、県立高校において大学教育資格認定試験(資格認定試験、旧総合型選抜入試)の専門教員を大幅増員すると発表した。各地区の拠点校に所属し、指定エリア内の市立高校も含めて巡回して指導を行う。一般入試廃止に伴い、受験対策の強化を図る狙いがある。

すでに、私立高校は専門教員の配置しており、県生活教育振興課の担当者は、「公教育という観点から異論はあるかもしれないが、大学受験に対応できる環境づくりも公立高校の大切な役割だ」と話す。

さらに、「本県は、私学に対して私学振興課を通じて公的支援をしており、私立学校で対応している基本的な教育サービスはある程度は整備されないといけないという意見が大半を占めた」と話す。

ただ、財源については、
「教職員の人件費予算内でのやりくりとなる」といい、
「先生方の待遇を可能な限り維持しながらの対応する」としている。
すでに、賞与の日数などの削減を提案をしているのだという。実質の待遇悪化との引き換えによる制度導入だ。

そんな中、ある私立高校の理事は、
「今後、教員の定年引き下げは考慮に値するのではという議論が進んでいる」という。50歳を目途としたいのが本音だという。

その理由は
「一般入試が廃止されたからだ」という。

「一般入試がなくなったのだから、各科目の教員は入試の中心ではない存在だ。英語とか情報は今後も待遇はを維持するが、それ以外の教員をこれまでのようには処遇できない。すでに、資格認定試験専門の教員も雇っている。プロスポーツビジネスのサラリーキャップのような発想は当然にある」という。

つまり、人件費の総額は変えられないので、教員の待遇は相対的に下げざるを得ないという考えなのだという。

ある私立高校の教員は、
「一般入試がなくなったため、我々の市場価値が相対的に下がったということなのだろう。今後、教員の社会的地位はますます下がるのでは」と不安を口にする。

また別の公立高校の教員は、
「これでは、ますます教員の成り手がなくなる」と危惧するが、

ある文科省の幹部職員は、
「今後は、教員の待遇に予算を割くよりも、デジタル教材の充実を図ることで、現状の体制で教育水準の維持を図るべきだという意見が主流だ」という。

ある私立高校の理事は、
「私立の経営に資格認定試験への対応は大きな経済的負担になっている。総合型選抜入試が広まったころに、このような事態を想定しておくべきだった。入試を変えると社会がよくなると無責任に発言していた識者に怒りを感じる」ともいう。

一般入試廃止によって、今後、資格認定試験という入試制度が中心に存在する以上、そこに資源は集中されていく現実が学校現場に広がっている。

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総合型選抜入試が主流になれば、ここに市場性が発生するのは明らかです。今はまだ黎明期ですが、今後この業界のフロントランナー企業が登場することでしょう。

結果として、現状のペーパーテスト対策が中心の塾は市場から淘汰されるとみています。

そうなれば、教科教育の相対的な地位は下がり、学校の先生の待遇の悪化はある意味必然的な流れになるでしょう。
まずいのが、これがデジタルとの相性の良さです。

大学の文系学部がデジタルで十分という議論が先鋭化すれば、当然この流れは中等教育、初等教育へと下がる。

そうなると、上記で書いたような「温い」結末にさえならないのかもしれません。



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