日曜日の本棚#番外編『注文の多い料理店』宮沢賢治【大人の視点で読むと違った世界となる宮沢賢治の偉大さ】
毎週日曜日は、読書感想をUPしています。
今回は特別編として、宮沢賢治の『注文の多い料理店』です。
現在は青空文庫で読めます。
国語の教科書で読んだ方も多い宮沢賢治の代表作ですが、読み返す機会があったので、読んでみたら印象が違って見えました。
そのこともあり、ちょっと記事にしています。
◆若いころには、重視できなかったある描写
冒頭を読んで驚いたのが、次の描写です。
猟のパートナーであるはずの犬たち。「紳士」たちは、それを経済的な側面でしか見ていません。
これには、ちょっと驚きでした。
こども時代のこととは言え、お恥ずかしい話、これを重要な描写とは感じることができませんでした。
◆紳士たちの勝手な解釈
そして、ご存じの通り、彼らは料理店を発見すると、中に入っていき、次々に注文に従って行動していきます。
これが大人となって読むと興味深い。
えっ?タダと解釈するんですか?
そこから次々と山猫軒の「注文」に従っていく紳士たち。
彼らがそうする背景には、やはり「ただ飯が食える」というのは大きいのかと思うと、子供のころには見えなかった視点だと感じました。
人間は一度思い込むとなかなか抜け出せない。単一の視点に思考が固定されると脱出は容易ではありません。詐欺師はそれをよく知っているので、カモを囲い込んでいくスキルをいくつも持っている。
現代でもいい大人が、勝手な解釈をして間違いを犯している。もちろん私もです。
こうなったらあとの祭り。
大人の世界では、扉を開き、野獣の餌になってジ・エンドでしょう。
ポイントオブノーリターンは過ぎているのですから。
◆大人になると主客が入れ替わることで気づく宮沢賢治の偉大さ
読んでいくにつれて、感じたのは、紳士たちの存在が客体化していくことでしょう。
こどものころ、この作品が恐ろしかったのは、紳士たちと「私」が一体化することの恐ろしさでした。
まるで自分のことのように感じたものです。
でも、大人になると判断力が身につくので、そのようには読めなくなっている。
だからこそ、客体となっている主人公たちの思考のおかしさに気づく。
ダブルミーニングという言葉がありますが、一字一句全く同じ物語が、時空を超えると全く違った解釈になる。
そして、到達する心境は、宮沢賢治の偉大さです。
意図して本作を大人の寓話に仕立てとは思えませんので、結果としてそうなるということことなんでしょう。本質を見極めた良質の物語は、このような奥行きのあるものになるのだと実感しています。
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