日曜日の本棚#29『「空気」の研究』山本七平(文春文庫)【「そうせざるを得ない」という「空気」の魔力】
毎週日曜日は、読書感想をUPしています。
前回はこちら。
今回は、平成から令和の時代に再び力を強めた「空気」の正体を分析した評論家・山本七平さんの『「空気」の研究』です。1977年初版の本書は、いささかも古くなっておらず、現代の日本人が抱える問題点を言い当てていると感じます。まさに時代を超えた名著とはこういうものだと実感します。
作品紹介(文藝春秋HPより)
「空気を読む」ことが誰にも求められる現代の必読書!
社会を覆う「空気」の正体を正面から考察し、1983年の初版以来読み継がれ、日本の針路が云々されるたびにクローズアップされる古典的名著。
昭和期以前の人びとには「その場の空気に左右される」ことを「恥」と考える一面があった。しかし、現代の日本では〝空気〟はある種の〝絶対権威〟のように驚くべき力をふるっている。あらゆる論理や主張を超えて、人びとを拘束することの怪物の正体を解明し、日本人に独特の伝統的発想、心的秩序、体制を探る、山本七平流日本学の白眉。
所感
◆構成の妙
有名な本であるが、本書は読んでみて初めて知ったが、コンピレーション本である。
・「空気」の研究
・「水=通常性」の研究
・日本的根源主義(ファンダメンタリズム)について
で構成されている。
それぞれが各媒体で書かれたものを合わせているが、うまく有機的につながっていると思う。
小説でいうと、短編集ともいうべきものだが、3つの論がうまく連携していることで、1冊の本で一つの日本(人)論になっているのが興味深い。
◆「ああせざるを得なかった」のリアリティ
先の大戦は、戦後あらゆる角度から検証が行われたが、無謀な戦争であったことは、妥当な結論であろうと思われる。問題は、なぜこのような無謀な戦争が行われたのか。それは、自らも出兵した山本七平にとって、解決すべきテーマだったと思われる。
すでに時代遅れとなっていた大艦巨砲主義が金科玉条となり、建造された戦艦大和についても、特攻出撃についても、山本は空気による決定としている。何ら客観的なデータに基づかない思考だからである。
「空気」による決定なのだから、「ああせざるを得ない」のは、決定を下した側にとっては、当然の帰結であり、のちに、決定の誤りを指摘されても、「やむを得なかった」と主張するのは、一つの道理でもある。
これがやっかいな思考であることは、
からである。
◆増税をたくらむ財務省の行動も「空気」であるといえる
今、財務省はあの手この手を駆使して増税を目論んでいることは間違いないのでしょう。ただ、これがいかに愚かな「企み」であるかは、以下の議論でも明白でしょう。
ただ、財務省という組織が、「増税をすることは善である」という「空気」に染まっているのであれば、理解できる動きとも言える。俊英の財務官僚の方には、愚かなことをしているという認識がある人もいると思われるが、「空気」に抗することは、不可能であることを山本は、
と説明している。今もなお、この「抗空気罪」は健在であることは、私たちが身に染みてよく理解できることでもある。
この「空気」による支配からいかに脱すべきについて、山本は旧約聖書の『ヨブ記』などの例を引いて論を展開する。
ただ、根本的な解決策は難しいということは、現在も「空気」の支配が有効に機能していることが証明している。
◆手放してはならないのは、「自由」である。
本書はなかなかの難読の本で、私の理解がどの程度正しいかは心もとないので、興味がある方はぜひ、手に取っていただきたい。
「空気」による支配から脱するためにはいかにすべきか。
一つのキーワードは、「自由」である。
「空気」は自由に弱い。自由は「空気」による支配力を弱めることは間違いない。
本書の中で、山本は旧日本軍が取り締まりを強化した思考は、「社会主義者」ではなく、「自由主義者」であると述べている(P148)。
その理由を社会主義者は、転向させられるが、自由主義者はそうはいかないからであるとしている。
これはつまり、自由な思考は、「空気」への支配の有力な対抗策であるといえる。
ならば、昨今の教条主義の広まりは、自由な思考への脅威とも言える。
自由な思考の第一歩は、「疑うこと」である。権威の思考のすべてが正しいとは限らない。疑いの視点をもつことで、論理の矛盾を見出すことができる。
疑うことを放棄することは、思考を放棄することに等しい。
そのことを改めて痛感した本でもあった。
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