見出し画像

カリスマ先生と参考書

先日、物理について質問を受けました。ある問題について、参考書に書いていることがよくわからないとのこと。
質問主の受験生は、ある映像系サービスと併用しています。その映像授業でよかった先生の書いた参考書を購入したようです。

まず、問題について、その先生のやり方ではない方法で解説をしました。・・・というより、普通に解けばいいのではないかと感じる問題です。
問題はセンター試験の過去問でしたので、奇をてらった解説など不要に思いました。

その上で、その問題の解説を読んだのですが、その文章だけでは意味が解りません。理由は、その先生が独自時に使う「用語」にありました。なので、その前のページに戻って用語の定義を確認して解説に戻ったのですが、それでもよくわからない。

しばらく考えてみたのですが、理由は、その先生の用語に理屈が紐づいていないからだと気づきました。つまり、用語が単に言葉としか読み手には理解できないので、理屈が一般化できない。一般化できない言葉で、問題の解説をされてもそれでは、やはり、それでは、理解が難しい・・・。そういう構図になっているのではと思いました。
分かりやすさを重視するためなのか物理なのに数式が極端に少ないことも気になりました。

その受験生は、映像授業サービスで、一番わかりやすいと思った先生の参考書を買ったと言っていました。
これまでも、このようなカリスマ先生系の参考書には疑問があったのですが、こういう一面もあるのかと思った次第です。

参考書は、書かれているものがすべてだと思っています。たとえ、自分が映像授業サービスで教えているといっても、そのサービスを受けてない読者にも理解できるようにしなければいけない。また、授業で伝えるやり方と、書いて伝えるやり方では、方法論が違うのは当然で、かつ後者が難しいと思っています。
そのこともあり、たとえカリスマ先生書いた本だからといって、その参考書がいいとは言えないと思っています。

また、カリスマ先生に心理的に依存することも問題だと前に書きました。

カリスマ先生に頼りすぎることは、自立を阻みます。映像授業サービスを好む受験生は、自立心という点で、他の受験生より問題の度合いが大きいのかもしれません。

誰かが問題を嚙み砕いて、やさしく教えてくれるという思考を強めてしまうことは、先々その受験生の成長を阻むような気がしています。

今回、何か問題の大きさを垣間見たような気がしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?