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日曜日の本棚#7『悪貨』島田雅彦(講談社文庫)【作家の洞察力が生み出す時代を超越するリアリティ】

毎週日曜日は、読書感想をUPしています。
前回はこちら。

今回は、『パンとサーカス』が評判の島田雅彦さんの『悪貨』です。
元々『パンとサーカス』読む予定でしたが、知人からこちらを薦めていただき、こちらから読むことにしました。

及川光博さん、黒木メイサさん主演でドラマ化もされています。

【島田雅彦さん原作ドラマ『悪貨』放送開始まもなくです!】 いよいよ11月23日(日) 夜10:00スタート! WOWOW 連続ドラマW『悪貨』 第1回は無料放送!! 島田雅彦原作の金融サスペンス『悪貨』から、 必見の動画が届きました。 "本物と見分けのつかない偽札"”エキゾチックな台湾の夜” ”炎に包まれる男”……。本編を見ずにはいられない注目シーンは こちらでチェック!

Posted by 講談社文庫 on Friday, November 21, 2014

あらすじ

20××年、鑑定のスペシャリストすら欺くほど精巧な偽札の流通で、ハイパーインフレに陥っている日本―。偽札流通を促した疑惑のかかる、天才マネーメイカー・野々宮冬彦は、カネに支配されない世の中を築くべく、途方もない計画に着手する。カネの根本の価値を覆そうとする男の運命の向かう先とは!?(講談社文庫の作品紹介より)

学生時代の出来事

学生時代の経験から書いてみたい。私は毎週日曜日、ホテルで使われるバスタオルや浴衣を専門に扱うクリーニング工場でアルバイトしていた。夏になると室温は40℃を超える過酷な環境だったが、この日のアルバイト代が、一週間の生活費となるので必死に働いていた。そんなとき、洗濯物に交じって、財布が紛れ込んできた。一緒に働いていた友人が見つけ、中を確認すると20数万円入っていた。

「どうしようか?」友人と自分とあと一人の友人の3人は顔を見あわせた。

そのとき、とっさに「社員の人に渡そう」と私は言った。二人の友人も私がそういったことがで、ホッとした表情になった。全額懐に入れる選択でなくても、数万円抜いて渡すという選択はあったかもしれない。しかし、私はこのカネに関わってはいけない気がした。

良い子ぶって正論を吐いたつもりはない。本音を言えば、いくばくか懐に入ればそれはありがたかった。ただ、このようなカネに手を染めると、人として何かが狂う気がした。それが怖かったのだ。単に臆病だったのかもしれない。

リアリティの妙

本作は、あるホームレスが100万円を手に入れることから話は始まる。そのホームレスは、この100万円を手に入れたことで、人生の時間を縮めてしまう。これが自分の中で妙なリアリティを持った。

本作は、バングラデシュのグラミン銀行の取り組みを発展させたような共助組織『彼岸コミューン』が描かれる。その創始者・池尻の支援によって、ある若者は学びを得て、社会にでる。それが主人公・野々宮冬彦である。

野々宮は彼の価値観に基づいて自分の不幸な生い立ちを生み出した資本主義と対峙する。その選択として、彼は偽札づくりに手を染める。また、それを可能にするための手段として中華人民共和国の裏社会の人間の力を借りる。徐々に明らかになる彼の狙いは、資本主義の矛盾を色濃く映し出す。

2013年の作品だが、今の方がリアリティを感じさせる。作家の思考の方向性が正しかったということだろう。

私が新自由主義を礼賛できない理由

私は新自由主義に強い懸念を持っている。理由はいろいろあるが、やはり私の学生時代のあの強烈な体験が根っこになっているのだろうと思う。

カネは人を狂わせる。それだけの魅力と怖さがあるのだ。

資本主義は、その登場から矛盾をはらんでいるシステムである。問題を列挙すればキリがない。その一方で、このシステムの恩恵に浴した人々は、これを手放すことはできず、カネに執着する人生を余儀なくされる。

カネがたくさんあれば幸福なのだと思えるうちは、本当に幸せなのだろうが、人間はその体験を通して、カネがあることと幸福であることは、相関性がないことに気づく。それもまた、資本主義の真実の一面なのだろうと思う。

いい意味でも悪い意味でも目覚めをもたらす作品

本作は、カネと人生の距離感に迷っている人は、読むに値する作品といえる。自分の迷いは、「正しい」迷いであると気づくだろう。ただし、「正しさ」に一般性はなく、あくまで「個人的」な正しさである。それでいいのだろうと思う。人生において、自分だけが持つ価値観は、とても意味を持つからだ。

逆に言えば、カネがあることは絶対的な幸せをもたらすと思っている人は、読んではいけない作品だとも思う。エンタメによって迷いや苦しみの扉を開ける必要もないだろう。それだけの力を持つ作品でもあると思う。

本作が投げかける本質的な問い

本作の『悪貨』は、秀逸なタイトルだと思う。『悪』とは何か。『貨(幣)』とはないかを読者に問いかける。本作が哲学的な問いを読者に求める作品であるからだ。

最後に、20数万円が入った財布の顛末を書いてみたい。

ホテルから工場に問い合わせがあったらしいが、財布は、落とし主の手に帰ることはなかった。自分たちが渡した社員さんから、この工場の序列に従って財布は移動した。その過程のどこかで財布は誰かの懐に消えたと聞いた。私が感じた恐ろしさに打ち勝つ「勇気がある人」がいたのだろう。その人が人生にどんな影響を受けたかは知らない。知る必要もない。この作品に登場した誰かに似た結末になっただろうと思うからある。


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