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自己完結型のメンヘラ

もくじ


はじめに

こんにちは、カロリーゼロです。
この週末は低気圧がやばかったですね。
私は気圧頭痛持ちなので、気圧の変動の際に頭痛や倦怠感などの体調不良になっており、この土日もずっと寝ていました。

で、頭痛の関係なのか、気圧がやばい日はメンタル病むことが多くて、先週の仕事中に案の定メンタルヘラヘラしたので、自己分析も兼ねてメンタル状態を言語化しよう! というのが今回の内容です。

ちなみに自己完結型のメンヘラとは、
「自分の中に欲求としてメンヘラ欲求と反論する思考があり、自己の精神の中では確かにあるけれども、他人に対してはメンヘラが出てこない、そんなタイプのメンヘラ」
だと私が勝手に思っているメンヘラのタイプです。

私はメンヘラなのか?

私は自身とメンヘラだと思っているのですが、なぜそう思っているのか。本当にメンヘラだと言っていいのかについて、一般的なメンヘラのイメージと比較して考えていきたいと思います。※精神的な障害、病気などについては考慮しないものとします。

一般的にはメンヘラというと女性というイメージが強い印象があります。
うつ病とは明確に区別されており、コンテンツでは隈の濃いメイクをした細身の女性が描かれていたり、束縛の強いイメージがありますね。逆に男性のメンヘラというとあまりイメージが沸かないような気もしますね。

上記のような一般イメージに対して、私はイメージ通りの行動をあまりしないように思います。
病んだ時に友達にしつこく連絡したりもしませんし、恋人を束縛したりもしない、一般的なメンヘラのイメージとは異なりますね。

そんな私が自身をメンヘラだと定義づける理由は下記になります。

  1. 辛いことがあるとすぐに死にたくなる

  2. 他人に依存しやすい

  3. 自分のことが嫌い

1つずつ詳細化していきます。
まず、「辛いことがあるとすぐに死にたくなる」
これは一般的なメンヘラのイメージとも合致する内容なのではないでしょうか。よくあるイメージ通りに辛いことがあるとすぐに死にたくなるような精神の弱さを備えています。もっと言うと、辛いことがなくても定期的にそう思うことがあります。

次に「他人に依存しやすい」
これも一般的なイメージと合致するのではないでしょうか。
私の場合、具体的に言えば他人に対しての期待値の割合が高すぎると言い換えてもいいかもしれません。
特定の相手ではなく、他人のすべてに対して「こうあるべき」という意識をもっているので、誰かに頼る時はその力に対して期待しすぎてしまうんですよね。

最後に「自分のことが嫌い」
これも同じく一般的なイメージに当てはまるものだと思います。
具体的な内容を言えば、他人に褒められると理解ができずに、相手に嫌われると安心するような精神性をしています。

私はメンヘラであると思う

以上のことを考えると、概ね私は一般的なメンヘラのイメージに合致した精神性をしていると言えるのではないでしょうか。
メンヘラのイメージも広義であるため、一概には言えませんが、データも何もないなんちゃって仮説なので、「私はメンヘラであると思う」程度で話を進めようと思います。

そんな「メンヘラであると思う」私ですが、先に述べた通りメンヘラらしい行動は全然しないんですよね。
精神的な状態はメンヘラであるのに、行動にしないのは何故でしょうか?

絶望による死にたさと俯瞰的な視点

話は変わりますが、私は常に自分自身を俯瞰的に考える癖があります。
悲しい話ですが、飲み会などで盛り上がっていても、第三者からみて自分はどのように行動しているようにみえるのか? を常に意識している状態です。
その上で他人からよく思われるように行動する、ということはなく、常に自身の行動を他人事のように捉えているため、楽しい場所でも悲しい場所でも場の雰囲気に乗り切れない、もっと言えば空気を読めない存在なんですよね。

精神的な状態はメンヘラであるのに、メンヘラ行動をしない理由はこの特性が関係あるのではないかと思っています。

先週死にたくなった時の話を例に出します。

仕事中に死にたくなった話

その日、私はいつも通り低気圧で死にかけながらも朝から出社をして働いていました。
仕事の状況としては、業務の期日が近いですがトラブルがなければ問題なく終われる状況です。
そんな時、私は長い間見過ごされていたミスを見つけてしまいその報告。更に他の人の業務状況を確認して、自分がやったことがない内容にもかかわらずその仕事を請け負ってしまいました。
結果としてその行動はトラブルを招き、計画では発生しなかった業務を作ったうえでトラブルにより計画上の業務が遅れるということになってしまいました。

要約すると、要らんことをして仕事を増やしたうえで、安請け合いをしたせいで業務に後れを生じさせたということです。

死にたくなったミスを俯瞰的にみる

そんなミスの状況の中でも俯瞰的な視点は消えずにありました。
状況を整理して自身の行動をとりあげると、

  • ミスの対応により品質が向上した

  • ミスの報告、共有により課題があることがわかった

  • 始めての業務内容だったので、よい体験を得られた

  • 計画上の業務は遅れたが期日には間に合いそう

といったことを認識していました。

精神的な状態

そんな認識の私ですが、精神的には普通に死にたくなっています。
要らんことをしたせいで仕事が増え、トラブルを生んだのは変わらないですから。それに低気圧で体調も死んでいる。

ですが実際に死ぬ行動に移すかというとそういうのはありません。
行動の尻ぬぐいもしていませんし、メリットにたいして行動ができていないので、今死んでも何も解決しないからです。

普通に死にたいのに次にやる行動を考えているとか、自分でもよくわからないですね。

一般的なメンヘラ行動をしない理由

仕事でのミスで死にたくなった話をした通り、自分でもよくわからない状態にいる私。
その「絶望による死にたさと俯瞰的な視点」こそが私が一般的なメンヘラ行動をしない理由なのではないかと思います。

イメージの例を取り上げると、

他人にしつこく連絡をするという行為。
この行為に対しては欲求自体はあります。寂しいときや辛いときは話をしたいですし、連絡がないと不安で追いメッセージをしたくなります。
ですが俯瞰的にみるとその行動めっちゃきしょいですし、実際にやったとしても何も解決しないという感覚があるからやりません。

他人を束縛する行為。
同じく欲求自体はあります。魅力的な人間がその魅力をそのままにして生きているのが不安ですし、相手の状況がわからないと不安になります。
ですが相手のすべてを知ることなんて不可能ですし、束縛してしまうことで魅力がなくなるのも嫌なのでやりません。

といった形で、常にメンヘラっぽい欲求自体は存在していて、俯瞰的、あるいは論理的? な側面から行動へのブレーキをかけている状態にあるのが自分の状態だと思います。

私の考え方に、「言い訳する時は他人からその論拠を示されて納得できるか?」という観点があるので、それも理由化もしれませんね。

自己完結型のメンヘラ

そんな理由で、私はメンヘラですがメンヘラ行動をしないような人間だとわかっていただけたかと思います。

このような自分をパッケージ化するのであれば、「自己完結型のメンヘラ」というのはいかがでしょうか?
自分の中に欲求としてメンヘラ欲求と反論する思考があり、自己の精神の中では確かにあるけれども、他人に対してはメンヘラが出てこない、そんなタイプのメンヘラ。

さいごに

と、変な名前までつけてここまで書きましたが、病院に行ったら病名がつくかもしれませんし、社会人はだいたい病んでいると聞くので、当たり前のことなのかもしれませんね。

死にたいと思うけれども行動には移さない自身の精神状態が不思議だったので整理してみました。
みなさんも自己分析として自分の行動や思考にテキトーな仮説でパッケージ化してみると面白いかもしれませんね。

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