ふと空いた時間
11日~14日まで、ワークショップ(参加)を予定していましたが、時節柄、延期になってしまいました。。。
ふと空いた時間。どうしようかなぁ~、となるのが私の癖。
※よくだらだらすればいいじゃんって言われるんですけど、なんなんでしょうね、この癖。
結局、映画見に行ったり、ピクニックに行ったり、前々からやろうと思っていたことをやったり、ちょっと時間いいですか?と声がかかったり。不思議なものです。※そして読もうと思った本はまだ積読。。。
ふと空いた時間は、ちょっと立ち止まったら?という導きだったのでは?と思いました。「余白」があってもいいじゃない?と。
ふと空いた時間には、、、
・ふといろいろ考える←「内省」の出番 いいこともそうでないことも考えるから、ちょっとチクチク痛いこともある。
・ふと色々感じる←自然の空気、香り、味覚、、、感覚が研ぎ澄まされるから、ポジティブなものも、そうでないものも出てくる。
「立ち止まる」ってそういうことなんだなぁって、改めて感じました。
トレーニングして巻き込まれないようにしてきたつもりだったけれど、仕事で起きた出来事に巻き込まれていた(自分と他者との距離感を重ね過ぎていた)ことにも気づきました。それは辛くなるはずです。。。
育成担当と労務担当って、真逆なんですよね。可能性を信じて接する立場と、トラブルを収めようとする立場。
労務担当ばかりやっているときは、常にその立場でいられるから、可能性を信じて接することは横に置いておくことができる。
育成担当ばかりやっているときもまた、常にその立場でいるから、トラブルもまたその渦中(成長途中)と捉えることができる。
どちらも同じ位な按配で対処する必要が出てきたときに、そのバランス感覚って難しいし、未知の経験であったから、巻き込まれてしまったのかも。そして、私の素は、可能性を信じて接する立場の方なのかも・・・笑 労務担当は仕事としては好きなのですが。。。
ふと空いた時間の最終日に、声がかかってコーチングインタビューを受けました。おかげで管理職になってからの日々を「立ち止まって」考え、言葉にすることができました。
・周囲に助けて、と言えるようになったこと
・身近に頼れる人がいなかったときに、プロからのエビデンスを集めて、物事を進めたこと
この2つが、今の価値観を構成する転機になっていることに気づきました。
管理職は完璧な人間ではない(仕事を離れた時の人もまた同じく完璧ではない)からこそ、周囲に助けてと伝えて、得意なことは得意な人にお任せをする。
プロからのエビデンスは、物事を進める上での自信・信頼になるから、(学ぶことそのものが好きではあるけれど)新しいことを知りたい、という欲求は途切れることがない。
無意識に、肩ひじを張り詰めてしまうところが私の癖でもある。
こうした自己認識のもと、意識して、肩ひじの力を抜くことが大切と気づけた「ふと空いた時間」でした。
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