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私の映画の先生


 知らない映画を観にいくきっかけとして、何か参考にするものがあったりしますか?

 予告編やCMなんかはもちろんですが、情報番組での紹介だったり、最近だとフィルマークスなどのWEB上の口コミが多かったりするのかもしれませんね。
 もしかすると、この note での感想を読んだりということも…

 知らない映画との出会いは様々ですよね。


 私もそれなりに映画好きな人間で、特に10代の終りから20代の頃は、ほんとにたくさんの映画を観ていました。
 その頃って、映画の情報を得る手段は、今ほど幅広くなかった時代です。そんな時代、私にとって、知らない映画との出会のきっかけを作ってくれた映画批評家の方が2人います。(正確には1人と1冊なんですが…)
 今、振り返ってみても、その影響は大きく、当時、私の映画趣向を大きく広げてくれたんですよね。
 いわば、私にとって ”映画の先生” みたいなもんなんです。

 今回は、その2人の先生(正確には1人と1冊…)について note していきたいと思います。


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■ 今野雄二


今野 雄二(1943年10月5日 - 2010年7月27日)
日本の映画/音楽評論家


 1人目の先生は今野雄二さんです。

 自分も高校生になると、ちょっと尖ったとこが出てきて、メインストリームのいわゆる "メジャー" なものよりも、あまりみんなが知らないような、サブカルチャーの方にも興味を持ち始めるんですよね。

 "マイナー" なものを好んだり、後でメジャーになるものでも、みんなより先に知ってた!みたいなことに価値を感じてた時期です。

 そんな時期に、情報を得るために欠かさず見てたのが、実は深夜番組の「11PM」なんです。

 「11PM」のコーナーのひとつに、映画や音楽などで、サブカルっぽいものを紹介するものがあって、それを楽しみにしてたんですよね。
 そのコーナーのコメンテーターだったのが今野雄二さんなのです。

 中学生の頃は、もっぱら「ロードショー」などの映画雑誌から情報を得ていた私にとって、今野雄二さんが紹介してくれる映画世界は、ちょっと大人な世界で、すごくお洒落に感じたんです。


 自分が、今野雄二さんの映画評に全幅の信頼を置くようになったきっかけは、映画監督のブライアン・デ・パルマ(今野さんはいつもデ・パーマと発音してました。)への評価です。
 自分自身、ギャング映画『スカーフェイス』を観て以来、大好きだった監督さんです。(ヒッチコック調のエロティックスリラー『殺しのドレス』や『ボディダブル』も実は大好きでした!w)

 「11PM」で見たのは、そのデ・パルマ監督の新作『アンタッチャブル』の紹介だったのですが、まあ、今野さんの解説が熱烈だったんです!
 今野さんも、デ・パルマが好きなんだな~、ってことが伝わって来て、なんか共感~!って感じだったんですよね。

『アンタッチャブル』1987

 もちろん、実際の『アンタッチャブル』(デ・パルマにしては正統派作品でしたが..)も傑作で、その頃から今野雄二さんの紹介してくれる映画を楽しみにするようになったのです。

 昭和から平成に変わっていく時代なんですが、それまでのハリウッド大作志向ばかりでなく、単館系、いわゆる "ミニシアターブーム" も盛り上がって来て、各国の映画が観ることができるようになってきた頃でした。
 私は、今野雄二さんを通じて、様々な映画監督を知っていくわけで、インディペンデント系のジム・ジャームッシュヴィム・ヴェンダース、また、当時「ニュー・フレンチ・シネマ」と呼ばれていた若手監督たち、リュック・ベッソンジャン=ジャック・ベネックスレオス・カラックスなんかもそうでした。(『ポンヌフの恋人』なんか、相当、推してた記憶がありますね。)
 

『ミステリー・トレイン』1989

 監督:ジム・ジャームッシュ


『ポンヌフの恋人』1991

 監督:レオス・カラックス


 また、ちょっとアート寄りの監督、ピーター・グリーナウェイデレク・ジャーマン、そしてデヴィッド・リンチなど、当時、美術を勉強していた自分にとって、ムチャクチャ魅力的に感じた映画と出会えたのも今野雄二さんを通じてです。
 特に今野さんのデヴィッド・リンチ愛は強く、自分も大きな影響を受けました。

『数に溺れて』1988

 監督:ピーター・グリーナウェイ


『ザ・ガーデン』1990

 監督:デレク・ジャーマン


『ツインピークス』1990

 監督:デヴィッド・リンチ、マーク・フロスト


 自分に多大な影響を与えてくれた今野雄二さんだけに、2010年8月の訃報はショッキングでした。




蓮實はすみ重彦の「映画に目が眩んで」


蓮實重彥(1936年4月29日 - )
日本の文芸評論家・映画評論家。東京大学総長を歴任し、その著書も多数。


 2人目は蓮實はすみ重彦さんなんですが、正確に言うと、蓮實はすみ重彦さんの著書である「映画に目が眩んで」という本が、もう一人の先生です。

 先生って言うなら 蓮實はすみ重彦さんでいいんじゃね?と思われるかもしれないんですが、蓮實はすみさんの映画評論って、私にはけっこう難解なんです。
 もちろん、著作も何作か読んでるんですが、ほとんどついていけてないというのが正直なとこなんですよねw
 その点、1991年にリリースされたこの「映画に目が眩んで」は、「ブルータス」や「マリ・クレール」で1983年~1991年に連載された映画コラムをまとめたものなんで、けっこう読みやすいのです。(辛口の蓮實節も控えめです。)

 私にとって新作映画の先生が今野雄二さんとするならば、過去作品を掘り起こしていく時の先生が、この「映画に目が眩んで」だったのです。

 総ページ765ページに及ぶこの本にはおびただしい数の映画が紹介されていて、すべてを網羅することはできていませんが、ちょこちょこ読んではビデオを借りてくるというのが一時期ルーティンでした。

 ゴダールやトリュフォーといった監督の作品も紹介されていますが、やはりこの時期の蓮實はすみさんといえばヴィム・ヴェンダースなんです。
 既に『ベルリン・天使の詩』等で知ってた監督なんですが、小津安二郎監督の影響を知るとともに、過去作を遡っていったのはこの本の影響です。(『アメリカの友人』のビデオを探してレンタル店をハシゴしたのも懐かしいのです。)

『アメリカの友人』1977

 監督:ヴィム・ヴェンダース


 他にも、ヴィクトル・エリセ(スペイン)やエリック・ロメール(フランス)の過去作や、当時、注目されていたアキ・カウリスマキ(フィンランド)や侯孝賢ホウ・シャオシェン(台湾)など、いろんな映画監督の作品と出会わせてもらったと思っています。


『エル・スール』1983

 監督:ヴィクトル・エリセ


『緑の光線』1986

 監督:エリック・ロメール


『マッチ工場の少女』1990

 監督:アキ・カウリスマキ


『悲情城市』1989

 監督:侯 孝賢(ホウ・シャオシェン)


 なんせ、紹介されてる作品が多いので、今でも使えている本だったりして、ホント感謝なのです。


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 多分、自分の note の映画記事を振り返ってみれば、この二人の先生の影響が随所に見られるに違いありません。

 今年は年間50作品(うち20本は映画館で✋)という目標を持ってるんですが、観る映画を選んでる際も、なんか、その影響が残ってる感があるんですよね~
 新たな方向性も開拓しなければと思うと同時に、こういう残ってる感覚も大事にしたいと思うこの頃なのです!



(関係 note)

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