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気持ちが塞ぎ過ぎて、大泣きをする ~とあるOLの乳がん日記【68】

68.

話を聞いてくれる人との電話が終わって、たくさん泣いたので少しは気分が変わるかなと思ったけれど、やっぱりそう都合よくはいかなくて、少しスッキリしたのもつかの間で、泣きすぎて少し頭が痛くなった。
天気予報のとおり今日は雪が降って、上長とのご飯は明日になった。
でも気分の落ち込みが酷くて、出かけられるか心配になった。

気分転換に何かする、ということもできないので、必然的に考え事ばかりして過ごすことになった。
精神腫瘍科の先生が言っていた、頭の中の「最悪の事態製造機」は相変わらずフル活動していて、何を考えてもすぐ、頭の中の私は、精神病院のベッドの上で暴れまわらないように括りつけられていて、そんな私を家族が悲しい顔で見ていたりした。

次第に、なんで自分がこんな目に合わなきゃいけないんだろうとか、ガン告知当初に感じていた理不尽さみたいな感情が出てきたり、私が今ここに至るまでに関わってきた、いろんな人たちに負の感情を抱いたり、身近にいる家族に八つ当たりをしたりして、自家中毒状態でますます気が塞いだ。

次の日になっても天気はよくなかったけれど、大雪ではなくなっていた。
昼過ぎになったら上長からご飯どうする?という連絡が来て、返事に困った。
少しでも気分が変わるかもしれないなら、行ったほうがいい、と頭では思っていても、とても誰かと会えるような状態とは思えなかった。
話を聞いてほしいけれど、外に出られない状態なので、何度もメールを書いて、消してを繰り返して、やっぱり今日は無理である連絡をした。
でも、話を聞いてほしいので、あとで電話をしてもいいかと書いた。

やっとのことでメールを送り終えたら、自分の情けなさみたいなものに押しつぶされそうになって、涙が出た。
嗚咽して泣いていたら、母親が傍に来て、私の背中を黙ってずっとさすってくれた。

涙は収まるどころか、どんどん止まらなくなって、私は、こんなふうに支えてくれる母親に対して八つ当たりをして、なんで酷い人間なんだろうとか、さすってくれる母親の肩が、思ったよりずっと小さく感じて、いつでも強いと思っていたお母さんはこんなに小さかったっけ、とか、この小さい身体でどれだけがんばってきたんだろうとか、なんの期待にも応えられない私でごめんなさいとか、そういう感情が怒涛に押し寄せてきて、押し殺すような泣き方じゃなくて、子供みたいに、声を出してわんわん泣いた。
こんなふうに泣いたのは、多分小学生とかそれ以来くらいだった。

母親は、何泣いてるのよ、って言ってきたけれど、悲しい顔をしていて、声も震えていて、涙を目に溜めていたので、ますます泣いてしまった。

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