見出し画像

【第2話】ミラーレス派の私がデジタル一眼レフを再評価した理由

カメラは日進月歩、進化しているのだから、最新のカメラが生成する写真もさぞかし進化しているはずだと思っていた。

前回、私は初めてデジタル一眼レフを購入し、撮影したことをご報告した。機種は、2007年に発売されたPENTAX K100D Superだが、たった600万画素にもかかわらず、想像以上に個性的で美しい写真を作り出してくれた。

あまりにも嬉しくて、今度は2008年に発売されたNikon D60をレンズ込み1万円で購入し、届いたその日に撮影に出かけた。D60は約1000画素。PENTAX K100D Superとの共通点は、いずれもソニー製のCCDセンサーということだ。

画像1

このD60だが、PENTAX K100D Superに勝るとも劣らない写真を生成した。ダイナミックレンジの広さといい、色味の素晴らしさといい、大満足な機材だった。それが500gに満たない一眼レフなのだから、恐れ入った。

いまは、どのカメラも低コストで電力効率に優れたCMOSセンサーに取って変わってしまっているが、だからこそ、CCDの写真は新鮮でもあった。

Nikon D60の作例は私のブログにアップしたので、ご関心のある方はご覧ください。

今回、撮影したPENTAX K100D SuperとNikon D60の購入費はレンズ4本含めてトータル1万9000円ほどで済んだ。

CCDセンサーの古いデジタル一眼レフはボディもレンズも激安。フィルム代や現像代も不要。そして写真もいい。

カメラの安さに魅力を感じてフィルム撮影している人、あるいはミラーレスに飽きてフィルムに転向した人は、ぜひデジタル一眼レフも見放さず、お試しいただきたい。何かを感じるはずだ。

画像2

ところで、1980年代、フィルムカメラで仕事していた私が想像するに、フィルムからデジタルへの移行は当時のプロカメラマンには革命的な出来事だったに違いない。

何しろ、シャッターを切った直後に写真を確認できるなんて、フィルム時代には考えられないことだったからだ。

現像しなければ、どう写っているのか分からないフィルム時代は、常に撮影結果に怯えていたような気がする。撮影現場から暗室に戻って、現像したフィルムの出来が悪かったときの失望感たるや、「この世の終わり」とさえ思えたものだ。

現場は二度と蘇ってくれない。撮り直しが効かないわけだから、頭を下げるしかない。しかし、デジタル時代のいまはすべて現場で確認できる。素晴らしい進化だと思う。

私のスナップも、いまはシャッターを切ってカメラの液晶を軽くのぞいて「うん、OK」と心の中で呟き、次の被写体を撮影する、このリズムが実に心地よい。

私は約30年ぶりにカメラを再開した際、最初に選択したメーカーがフジフイルムだった。

当初、「フジフイルムはハッピーカラー」と言われていたようだが、徐々に、クラシッククロームやモノクロのアクロスといったフィルム時代を彷彿とさせるフィルムシミュレーションを充実させ、その色味が私の心を捉えた。

しかも、フィルムカメラのようなデザインで軍艦部も直感的に操作できる点も好印象だった。

カメラ選びは恋愛に似ていると思う時がある。

好きな相手だったら短所であっても長所に見えることを「あたばもえくぼ」と言うが、カメラも多少欠点があっても惚れた弱みで使い続けたいものだ。

フジの弱点はAFとダイナミックレンジだと感じていたが、そんな弱点を差し引いてもクラシカルなデザインや直感的に操作できるメカメカしい軍艦部など、とても魅力的な機種ばかりだ。

いいカメラというのは、直接、写りに関係ない部分にお金や労力をかけているものだ。M型ライカにはその空気を感じるが、フジにも片鱗が見える。

しかし、どうしても私には理解できない、いや、我慢ならない出来事があった。

それは次回、お話したいと思う。

(次回に続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?