支援される側の勝ち組と負け組
僕の人生は総じて支援される側ですが、2019年11月より炊き出しを手伝い始め支援する側にもなっています。その中で、支援される側にも勝ち組と負け組が存在することに気づき、また、自分自身を振り返ると概ね勝ち組の立ち位置でいたんだなと気づきました。
僕は暴力で支配されている家庭で育ちました。多分、それが原因で中学生くらいから精神がおかしくなってきて、高校生の頃から精神科にかかり、精神薬を飲み始め、かれこれ四半世紀を低空飛行しています。そういう中で20歳頃に最初の親代わりの人と出会い、25歳頃に二人目の親代わりの人と出会います。22年くらいかかり、他者と意思疎通ができるくらいに回復しました。あらためて考えると、親に見捨てられた子が、親代わりの人を二人も見つけて、その人達が親代わりを演じてくれたというのが、かなりの幸運だったと感じています。その実体験から、僕の総合運はかなり悪いが、とどめを刺されるほど悪くないという、根拠なき自負があります。笑 これが、自分は支援される側の勝ち組だなと感じる一番の理由です。
一回の炊き出しで、今では380人くらいのおじちゃん達と接します。おじちゃん達にも様々な性格があり、暴言ばかり吐いて、なかなか炊き出しルールに協力してくれないおじちゃんもいれば、労いの言葉をかけてくれて、協力的なおじちゃんもいます。昨年途中からぱったり来なくなってしまった、仮にQさんというおじちゃんがいました。常にかなり酔っ払った状態で現れて、周りのおじちゃんを睨みつけながら威嚇行動にでます。そして、僕らの炊き出しルールには協力してくれず、いろいろお願いをしても聞いてくれません。最初の頃は、僕は怖くて、あまり接したくないと思っていました。
ある回の炊き出しの時、結構な雨でした。衣類配布が終わったくらいに現れて、いつも通り周りのおじちゃんを威嚇していました。しょうがないから注意したんです。そうしたら、何か言ってきました。酔っ払ってて何を言ってるか正直、殆ど理解できませんでした。だけど、ボディーランゲージで少し理解できたのです。Qさんは雨の中、傘も差さず立っていて、薄汚れた上着の袖を僕に突き出して見せてきたんです。それで、何かブツブツ言ってました。袖を見たら服に穴が空いてたんです。それで、衣類配布のことを言ってるのかな?と思い、「ごめんなさい。衣類配布はもう終わってしまいました。」と答えたんです。それで、Qさんの何か訴えかけるような行動は止まりました。多分、概ね当たってたんだと思います。
一方で真逆のおじちゃんを紹介します。別のnote(あるホームレスのかたから言われたこと)などに出てくるXさんです。炊き出しで一番接する機会や時間が多かったのもありますが、笑顔の多い人で、その笑顔に何か僕は引き寄せられるのです。結局、今年始めから、Xさんの教えてくれた寝床に伺って、支援物資と手紙を渡しました。そこから大体、炊き出しと炊き出しの間に一度伺って支援物資や、たまに手紙を渡しながら、一時間くらい話をして帰る習慣になっています。
数ヶ月前には意を決して、ホームレスのかたに雑誌の販売員の仕事を提供している団体へ、「Xさんは足の状態があまり良くないから、座って販売を許可してくれませんか?」と電話しました。僕自身が日々、挙動不審なので、電話口のかたがいたずら電話と思ったのか、初回、切られてしまいました。笑 でも、諦めず二回目の電話をかけたら話が通じました。販売会議の議題にしてくれて許可は下りたのですが、Xさんの個人的な事情で、あと一年くらい路上生活を耐える覚悟でいるようで、一年後くらいにXさんがチャレンジしてみる気持ちになったら、僕と一緒に事務所へ伺うような話になりました。
また、足の具合の詳細も、徐々に教えてくれて、見せてもくれました。足のサイズが28センチと大きめなので、最近まで炊き出しの衣類配布で、丁度いいサイズの靴に出会えず、小さな靴を無理やり履き続けていたら、右足親指の爪がいびつな形に変形しちゃって、路上生活を終えられたとしても、この爪の変形が治らないことは覚悟してること。左足ふくらはぎ辺りに、下肢静脈瘤が出来ていて、そもそもそれが原因で失業しちゃって、一時は腫れが酷くて、炊き出しのある街までも移動できなかったけど、現在は多少の移動くらいは出来るようになってきたこと。
よく話を聞くと、Xさんは僕以外にも、定期的に支援をしてくれる人に、既に出会っているようです。女性の勤め人みたいで、毎週一回くらい、手作りのおにぎりと手紙を持って会いに来てくれるようです。また、近くにあるモスクの人達が、毎週月曜日にご飯などを置いていってくれるようです。あと、僕の月2回くらいの支援物資も含め、この三件の支援はそのXさんだけ受けています。また、近くの居酒屋さんのお店の人や常連客にも、荷台や携帯ラジオなどを貰ったそうです。そういうところからも、Xさんもまた、支援される側の勝ち組だと、僕は強く感じています。
炊き出しで威嚇行動するQさんは、支援される側で攻撃的だから、支援する側が躊躇してしまい、支援の手からこぼれ落ちてしまっています。一方で、僕やXさんはあまり攻撃的でなかったり、支援する側が接しやすかったりするんだと思うんです。だから、支援を受けやすいのだと思います。支援する側も人ですから、手を差し伸べて噛みつかれるようなことは、やはり嫌なんだと思うんです。でも、意識的に支援していかないとならないのは、Qさんみたいな支援する側が嫌がる人なんだと思います。僕にとってかなり印象的なおじちゃんだったので、全然良い思い出はないのですが、たまにQさんのことは思い出します。支援される側にも勝ち組と負け組が出来てしまう。言い換えれば、優遇される人と優遇されない人です。人と人が関わる中で生まれることだから、難しいですね…。
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