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当たり前って?|橋本 彩加

「当たり前」この言葉は生きているとよく聞こえてくる言葉だ。
「そんなの当たり前じゃん」「え、それって当たり前だと思ってた」
そんな言葉を言われたことはたくさんある。
あまりにも日常に自然と溶け込んでしまっている言葉だと思う。

正直、今までその言葉についてちゃんと考えたことはなかった。
それが当たり前だ。 と言われたら、そうなんだ。 と思っていたし
自分が知らなかっただけなんだ、と受け入れることが多かった。
正直それを言われて嫌な気持ちになったことはあまりなかったのだ。

しかし、4月から働き始めた男女共同参画センターで
この「当たり前」という言葉に苦しんでいる女性がたくさんいることを知った。
「女性が家事や育児をするのが当たり前」「女性が我慢するのが当たり前」
何かを決めつけてしまう言葉、誰かを追い詰めてしまう言葉なのかもしれないと思うようになった。

「おばあちゃんのことは私がちゃんと最後まで見るから」
80歳を過ぎた祖母と、ふと介護の話になった時に何気なく言った言葉。
私は子どもの頃から祖母と一緒に過ごしてきたので
介護が必要になったら自分が担うということを当たり前に考えていた。
しかし祖母から返ってきたのは「介護が必要になったら施設に入るから」という言葉だった。

「なんで?」ただただ不思議だった。そして、驚きを隠せなかった。それは私の当たり前の概念と異なっていたからである。介護は家族がすべきもの、とは全く思っていない、でも家族が介護をすることを望むのであれば家族が介護をした方が本人は一番幸せだ、とは思っていた。それが私の介護に対する当たり前の概念だった。

祖母が施設に入ると言っているのは、家族に迷惑をかけてしまうと思っているのだろう、それなら問題ない。だって私が介護をしたいと思って言っているのだから。誰かに頼まれたからではないし、義務を感じて言ったわけでもない。

しかし祖母と話していると、自分の介護をすることで家族に負担がかかってしまうのが耐えられないのだと言う。家族に介護をしてもらわないというのが祖母にとって何より望んでいる生き方なのだと、祖母の強い意志を感じた。


それを言われた時に気が付いた。
私の当たり前は祖母にとっての当たり前ではなかった。
家族が介護をした方が幸せに決まっている、そう決めたのは私で
祖母にとっては違うかもしれないなんて考えたことがなかった。

祖母が元気な今、こうやって話をしたからこそ見えてきたこと、気づけたこと。
話をしないまま、もしその時を迎えていたらきっと私は自分の当たり前を押し付けていたのかと思うと怖くなった。

介護の話題が出ると必ず聞こえてくる声がある。
「家族だから介護をしなくちゃいけない」
「自分がするしかないと思っている」
それは誰が決めたことなのだろうか。
周りから言われたのか、自分でそう思っているのか。
しかし、介護をされる人と介護をする人。
お互いの気持ちをしっかり話し合ってみたら、全く違う答えが出てくるかもしれない。

祖母と話していく中で
私も無意識に自分の当たり前を人に押し付けてしまっていたのかもしれないと思うようになった。そして誰もがみんなそんな軽い気持ちで発した当たり前で誰かを傷つけてしまっているのかもしれない。
そう感じた。

どれだけ自分が相手に寄り添っても、相手が自分に寄り添ってくれても
どちらか一方が自分の当たり前を絶対だと思い続けていたら何も変わらない。
もし、一人ひとりが自分の当たり前が他の人にとっての当たり前ではないことに気が付くことができたら、悩んでいる人はどれだけ減るだろうと思う。

自分が介護をしなくてはいけない。だって、家族が介護をすることが当たり前だから。そんな風に悩んでいる人に届いてほしい。
そして「女性だから」という理由で、様々な当たり前を背負っている人たちが今よりも自由に生きていけることを当たり前にしていきたい。

そのために私ができることってなんだろう。
多くの人に出会い、多くの人の思いを知ることのできる場所にいるからこそ
見えるもの、発信できることがきっとある。
そんなことを考えて今日も過ごしている。

橋本 彩加 (札幌市男女共同参画センター職員)

プロフィール
静岡県出身。2020年3月まで児童会館で勤務をしており、4月から札幌市男女共同参画センターに勤務。趣味は食べ歩きと旅行、野球観戦。人と会って話をするのが何より幸せな時間なので、なかなか人に会うことが難しい今、エネルギーが不足しています。

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