エピソード.1「介護事業所を再建せよ!」第十六話 黒幕は、確かにいた...①
「追加で3,000万円必要だと…ふざけるな!」
石川支店長の重厚な声が、中央支店の会議室に響き渡った。普段は冷静沈着で感情を抑える石川だが、この瞬間だけは珍しく声を荒げた。支店長としての威圧感は相変わらずだが、その奥に宿る冷静な判断力も忘れてはいない。机に置かれた書類を指で軽く叩きながら、彼はじっと空本を睨んでいる。
「この一か月、何をやっていたんだ?再建プランの実現に奔走していることはわかっている。しかし、追加で3,000万円なんて、無茶苦茶な話だ」
空本は静かにその言葉を受け止める。彼もまた、ここまでの道のりが簡単ではなかったことを知っている。この一か月、清水と共に休む暇もなく再建プランに奔走してきた。リライフの地下に新たに設置予定のリハビリ施設、その改装費を見積もり、海南病院との提携を進め、北沢の協力を得てようやく内諾を得た。
それだけではない。神戸パイレーツや湊山商店街との交渉も、木下と共に熱心に足を運び、なんとか合意に近づけた。すべてはうみべの里を再建するため。
「石川支店長、この計画はうみべの里だけの話ではありません。リライフの設備を使って、海南病院と提携したリハビリ施設を作るんです。それが実現すれば、地域医療にも貢献できる。神戸パイレーツや湊山商店街との連携も含め、地域全体の活性化にも繋がります」
空本の声には、これまでの努力と進退を懸けている覚悟が込められていた。
「中小企業推進型保育事業についても、手続きの調査や事業計画を作成しました。湊山商店街にいる働くお母さんたちのためにも、この保育事業は地域にとって大きな意味を持ちます」
空本は事業計画書を手に取り、石川に差し出す。
「政府からの補助金があるとはいえ、リライフの改装費を含めると総額3,000万円の追加融資がどうしても必要です。保育事業は補助金が付くため収益性も高いのですが、そのためには施設や本社の改装が必須です」
清水が空本の言葉に続き、手元のデータを示しながら、細かな収益計画を補足する。「この事業が成功すれば、地域の待機児童問題の解消にも繋がり、さらに地域活性化に寄与することになります」
石川は資料に目を通しながらも、一切肯定的な表情は浮かべない。
「政府の補助金があることは確かに心強い。だが、地下改装費も合わせるとかなりの金額だ。この状況で3,000万円もの追加融資なんて馬鹿げている」
石川は鋭い目で空本と清水を捉え、続ける。
「うちの残債はどうなんだ?まだ2,000万円以上あるだろう?800万円を返済したとはいえ、その状態で3,000万円を追加融資しろというのか?」
「確かに、残債はまだ2,000万円以上あります。しかし、木下社長もこの再建に本気で取り組んでいます。彼自身もみなとやま信用金庫への返済を自ら立て替えており、この計画にかける覚悟は揺るぎないものです」
空本は落ち着きながらも、だが決して折れない強い意志をもって答える。
「それでも、稟議が通るわけがない!」石川の言葉には再び苛立ちが滲む。
「しかも、おまえの提案では兵銀が抱えているうみべの里の債権を、我々みなとやまで一本化するだと?ふざけた話だ!兵銀に1億3,000万円も債務が残っているというのに、我々にそのリスクを背負えと言うのか?」
石川は苛立たしげに椅子の背もたれにそのどっしりとした体を預け、深いため息をついた。
「高価な設備がある分、リハビリ施設の集客も見込めます。それに、保育事業は政府の補助金事業です。収益性は高いんです」と空本は食い下がった。
「今回のうみべの里の件、兵銀が裏で手を引いている可能性がある以上、うみべの里の債務を一本化する以外に再建の道はないんです!このままでは、兵銀の回収作業が始まってしまい、再建どころじゃありません」
空本はさらに続ける。
「兵銀への債務は、本社ビルの担保もあります。それに残債の内、6,000万円分は協会(※1)付きです。プロパー融資(※2)は3,000万円です。最大限のリスク回避をするので、何とかこの再建プランを前に進めさせてください!」
「当初うちの3,000万円の融資でこのざまなのに、例え担保や保証が多少あったとしても、債権の一本化、ましてや追加3,000万円などという話が通るわけがないだろ!」
「もう一度言う、無理だと言っているんだ!おまえは何を考えている!」
石川の声が一段と大きくなった。いつも冷静な支店長がここまで感情を露わにするのは珍しい。会議室の空気が一層重くなり、清水も息を詰めて二人のやり取りを見守っている。
「考えているに決まっているじゃないですか!」空本も負けじと声を張り上げる。
「この再建プランは、ただうみべの里を救うためだけのものじゃない!地域全体に波及効果があるんです!兵銀の不正が絡んでいるのに、それを見過ごしていいはずがありません!」
二人の声が交錯する中、篠田課長は一瞬目を伏せ、次に二人を心配そうに見つめた。彼はこの状況を静かに見つめていた。空本の真っすぐな情熱が石川にぶつかっていく様子を。
「おまえは理想論ばかりだ!」石川はさらに強く机を叩きつけた。拳の衝撃音が会議室に響き渡る。
「信用金庫は遊びじゃないんだぞ!こんなリスクを冒せと言っているのは、まるで自殺行為だ!」
空本は一歩も引かず、石川を見据えた。「遊びでやっているつもりはありません。私も、木下社長も、命がけでこの再建プランに取り組んでいるんです!」空本の声はさらなる熱を帯びたが、石川がその熱を遮るように、続ける。
「だいたい、不正の証拠にしても、小橋を追い詰められるかもしれないが、鳥井との関与はまだ証明できていない。そして、鳥井と兵銀との繋がりを示す証拠も何もないんだ」
石川の厳しい言葉に、空本は言葉を失った。重苦しい沈黙が部屋を包む。
その時、空本の携帯が震えた。画面には木下の名前が表示されている。
「木下社長…」
空本はすぐに電話を取り、木下の声を聞いた。
「空本さん、実は小橋が離職を申し出てきました…」
小橋が動いてきた。そう直感した空本は、木下に伝える。
「この件に加え、再建プランのこともあるので、鳥井さんを含めたアポイントをお願いできますか?」
空本は木下にそう依頼した。木下はすぐに承諾し、電話を切った。
空本は再び石川に向き直り、そして静かに言った。
「石川支店長、私たちはこの計画に本気です。木下社長も同じです。どうか、再度ご検討をお願いします」
その言葉に、石川も冷静さを取り戻しつつ、ゆっくりと立ち上がった。
「その木下社長と、鳥井、小橋のアポイントに私も同席をする。まずはそこからだ」
空本と小さく頷いた。清水もそれに呼応するように、小さく会釈をした。空本は目の前に迫っている次の戦いを見据え、ゆっくりと息を吐いた。
※1 信用保証協会:中小企業や個人事業主が金融機関から融資を受ける際に、保証人として支援する公的機関。信用保証協会は、信用力が不足している企業や事業主が円滑に資金調達できるようにすることで、経済の発展をサポート。保証制度を通じて、金融機関のリスクを軽減し、中小企業の成長と安定を促進する役割を担っている。
※2 プロパー融資:信用保証協会の保証を受けずに銀行が直接企業に融資を行う方法。保証料がかからず、借入金額に制限がないのが特徴だが、銀行が全額のリスクを負うため、審査は非常に厳しいものである。
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