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私の人生は東先生なくして語れない

子どもの頃の先生の思い出はたくさんあります。
人懐っこいところがあったせいか、どの先生にも色々と良くしてもらった気がします。
私は大人に対して割と平気に話せる子どもでした。
失礼は多々あったかもしれませんが、自分から大人に近づける子どもでした。
特に学校へ行けば、先生の他、事務員さんや用務員さんとかもいて、その人達たくさんから名前を覚えてもらっていました。

私は、やんちゃなクソガキだったと思います。
女の子のようなお淑やかなところは一切なくで、男の子の様にわんぱくでした。
小学生の頃、授業中でもとてもお喋りで、落ち着いて前を向く子ではありませんでした。
だから、先生からも毎日叱られて、後ろやら廊下やら立つのは当たり前で、名前を呼ばれれば自ら席を立って、行くべきところへ自分から向かうのでした。
ある日、先生が算数の問題を黒板に書いて、問題を競争で解かせようとしたことがありました。
私は無自覚で算数が好きだったのかもしれません。
珍しく即座に1番で手を挙げました。
前に出て黒板にスラスラと解けた答えを書いて席に戻ろうとしたとき、
東先生は私を捕まえ、肩に手を置きこう言ったのです。
「やればよく出来る子です」

3年生だったのかな、私。
こんな言葉は生まれて初めて、今までに聞いたこともなくて、一瞬意味が分からなかった。
でも、この言葉が何だかものすごく大事な言葉に感じて無性に嬉しかった。

「閃光が走る」ってこういう時のことをいうのかもしれません。
この日から、自分のことをもっと”わかる必要”がある、と感じました。
小学3年生の時、自分の可能性というものに目覚める瞬間を体験したのです。
小さい頃から兄より劣ると思ってて、何にも取り得がない平々凡々な自分にも何か人をびっくりさせるような「何か」。
その存在があるという前提がいつも胸の内にあって、別の人生の扉を叩くことができたと思います。

あの時に東先生が私にあのように言ってくれなかったら、私の隠れた可能性どのようになっていたのかな。
人の言葉はとても影響が大きいものです。
「やればできる」に込められた前提を、今も尚、自分に対して声をかけています。







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