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友人の義母はアウシュヴィッツで夫を亡くしていた

ブラジル時代に知り合い、
私が日本に帰国したことにより親しくなったという
変わった経緯の友人の話です。

彼女はレバノン系3世の陶芸家。
(トップ画像は彼女の作品です。)

ご本人はこちら。

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ご主人はドイツ系フランス人でありユダヤ人であり、
ブラジルに帰化した人。
(ややこしい...。)

元はと言えば、
私が日本へ帰国する直前まで
日本語が習いたいというご主人に
ご自宅で個人レッスンをしていたというご縁です。

我が家から車で5分未満の
ご自宅兼彼女のアトリエに、
ご主人の出勤前の時間に週2度ほど伺い、
日本語をお教えしていました。

私が日本へ帰国することが決まり、
日程を報せると、

なんという偶然でしょう!

私が日本に戻ったわずか2~3週間後に
彼女の初の銀座のギャラリーでの
個展が決まっているとのことで、

「それなら通訳として是非」とのお誘いを受け、
日本での初めてのアルバイトがブラジルを発つ前に
決まりました。

そんなこんなで
日本もまだバブルの余韻が残る時代だったので、
彼女はその後も3度ほど来日し、

地方への出張にも付いて行かせて頂き、
すっかり仲良くなってしまいました。

彼女は私より一回り以上年上ですが、
アーティストだからか
子供のままの部分を持ち合わせる
とても純粋で可愛らしい人で、

一方の私も
インチャ(インナーチャイルド)トラブルありあり人間なので、
2人でいると、勝手にインチャケア、
子供みたいにはしゃいで、箸が転んでも...な状態...。>笑

そんな彼女がある時、
出張先の旅館に泊まった夜、

「ねぇ、○○キーニョ(ロナウジーニョなどと同じ
「イーニョ」を付けた「~ちゃん」みたいな呼び方)、
ゼ―(Zé : ご主人の愛称)の子供の頃の話って聞いたことある?」

「ない、ない、てか、あるわけないじゃん!
授業中にそんな話、しないっしょ!笑」

「うちのお義母さん、知ってるでしょ?」

「うん、2度程お会いしてる」

「実はね、Zé のお父さんね...、アウシュヴィッツで亡くなったの」

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Shiomin、唖然...。

こうして聞いたのは、以下のような内容でした。
(1990年代初旬に聞いた話なので、あまり覚えていませんが。)

ナチスの手から逃れるべくドイツからフランスへと移り住んだ一家。
フランスに落ち着いてまもなく生まれたのが Zé。

父親の顔を覚える間もなく、追っ手がやってきて
連れていかれてしまったのだそうな。

お母さんは国籍が違ったため連行されることはなかったのだそうですが、
その後は路頭に迷い、
Zé と兄はしばらく別々の施設に預けられ、
家族全員がばらばらになってしまったのだそうです。

結局父親が戻ることはなく、
何年も後に母子は再会、さらに何年も後に
親戚を頼ってブラジルに移住したのだとのことでした。

この話にも驚きですが、
ある意味もっと驚いたのが、

終戦時には既にドイツに住んですらいなかったというのに、
何十年も経ってから
ブラジルの自宅にドイツから遺族年金のお知らせが届き、

お母さんは、数カ月に一度それを受け取っているというのです。

さすがはドイツ!
でも、何気にちと恐い...。
お父さんをフランスで見つけ出したのと同じノウハウが
活かされたということですかね…。

*****

ちなみに母子が再会しても、
Zé よりずっと大きかった兄は、
ブラジルへは移住せず、

敬虔なユダヤ教信者として
ニューヨークにお住まいとのことで、

我が友は、

「(日本からの)帰りね、NYに寄って
お義兄さんのところに泊まらせてもらうんだけれどね、
彼ら、私がユダヤ教じゃないって知らないの…。
すごくユダヤ教にこだわりのある、
ほらさ、三つ編みして髭生やしてっていう、ああいう人なのよ。
バレたら Zé が怒られるから
一生懸命それっぽいふりをしてるんだけれど、
姪っ子とかがブラジルで〇〇はどうやるのかとか
聞いてくるんで、誤魔化すのが大変なの! orz...」

と嘆いていました。>笑

動いてしゃべっている彼女(笑)がこちら。↓

彼女の家の界隈はアーティストが多く住んでいるので、
一人がもう一人を紹介していくという形式で撮ったもののようです。

こんなページもよろしければ、どうぞ。

というわけで、懐かしい友人の紹介と、
多民族国家に住んでいると、世界史がやけに身近に感じることがある
というお話でした。

お読み頂き、誠にありがとうございました!

遊ぼ 2匹のネコ

※ 「みんなが平和でハッピーだといいのにネ!」否、
「遊ぼ 2匹のネコ」はこたつぶとんさんの作品です。


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