ダイアナ妃が亡くなった時の不思議な話
ダイアナ妃が地雷原に足を踏み入れて話題となったのは
1997年1月のことでした。
彼女が訪れたのは、奇しくも昨日の記事でご紹介した
アンゴラ共和国のウアンボ州でした。
それから僅か半年後の 8月31日、
ダイアナ妃は
パリでの事故で亡くなっています。
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私が初めてアンゴラを訪れたのは、1997年2月、
ダイアナ妃が訪れた翌月のことでした。
そして彼女が亡くなる前日の1997年8月30日、
当時、形だけ近くのアパートに住んで、
半ば同居のようだった母が、
我が家の玄関を開けるや否や
「ダイアナ妃が死んだってよ!」
と、大きな声で言いました。
まだ、「即ネット検索」という時代ではなかったので、
リビングにいた私は、驚いてすぐさまテレビを点けました。
どこのチャンネルもワイドショーをやっている午後の時間帯でしたが、
そのような速報を流しているチャンネルはありません。
数分後、
玄関からキッチンに進んだ母が
リビングに来たので、
「どこもそんなニュースやってないわよ」
というと、
「えっ、何の話?」
と言う母。
「さっき『ダイアナ妃が死んだ』」って言ったじゃない!」
と、私。
「ええ~っ、そんなこと言ってないわよ~」
と、母…。
「???」
となってしまった私でしたが、そのときは
「空耳?」
と思うに留まったのですが…。
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それが8月30日の夕方でしたから、
パリは同日の朝です。
その時点でダイアナ妃は生きていました。
それから16~17時間程度経った日本の翌朝
事故が起きたことになります。
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翌日、そのニュースが流れたときは
いわずもがな
唖然…!
その日も我が家にやってきていた母が
「あんた、すごいじゃない!」
と…。
本当に母は、そんなことを言った記憶がなかったのです…。
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あれはいったい何だったんでしょうね…。
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場所もテレビも、
「テレビをなんとなく点けた途端アイルトン・セナの車が
壁に激突して、そのまま彼は亡くなった」
と書いた記事の時のものと同じでした。
そういえば、当時は不思議現象が多くありました。
母が無意識に予言したのか?
家がそういう家だったのか?
はたまた、当時は私が「聞こえる人」になっていたのか?
今も真相は分かりません。
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それから2か月弱、
私は2度目のアンゴラへの渡航が決まりました。
当時はまだ在京アンゴラ大使館がなく、
パリに2泊してビザを取得してから現地へ向かう
というスタイルでした。
不思議現象から未だ日も浅いこともあり、
居ても立ってもいられず、
自由時間を利用してアルマ橋へ向かい、
手を合わせました。
当時はまだ自由の炎ではなく、
橋の欄干のところに
多くの花が捧げられていたように記憶しています。
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おまけ情報です。
2019年、母の歩んだ道を辿って、
今度はヘンリー王子がアンゴラを訪れています。
が、ウアンボ州は既に地雷除去が終了しているため、
同様の写真を撮りに向かったのは、
クアンド・クバンゴ (Cuando Cubango)州でした。
本日もお読み頂き、誠にありがとうございました!
※ 「通園 ネコ」はこたつぶとんさんの作品です。
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