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ロビト市とロビト港の思い出(2)

こちらの記事の続きです。↓

上の記事でも記したとおり、
優秀なロビト港とのお付き合いは
思ったほど永くは続きませんでした。

(1)で行っていた調査は
「開発調査」というもので、
この段階で大々的な工事を行うようなことはありません。
あくまでも将来実施されるプロジェクトの妥当性を証明し得る
報告書を策定することが目的なのです。

この「開発調査」が完了し、
日本がロビト港の復旧工事を行うことになり、
そのための「基本設計」のために
渡航したときのことです。

首都ルアンダに着くや、申し訳なさそうに

「実は中国が港を改修をしてくれることになりまして...」

と告げられたのです...!

ぎょえ~っ!!!!!

😱😱😱


聞けば

「大統領の指示で突然決まりまして…」


とのこと…。

つまり、「犯人」はこのキンキラキンです。↓

というか、

実際は復旧を急いでいたロビト港が
大統領に相談し、

国としても
この港の改修・拡張は急務だとしていましたから、

急遽
大統領府直結の
クレジットラインを申請したということなのでしょう...。

そして現地に赴くと、
既に近隣に中国の仮設ヤードが出来ており、

港内にも中国人エンジニアが何人もいたのです…。

orz...


で、どうしたかと?

「ああ、そうですか」

と言って帰るわけにいかないのが
コンサルさんというものです…。

TOR(業務指示書)どおりの
仕事をせざるを得ません...。

中国人に

「すみませんねぇ…」

とか言いながら、
あっちを調べ、こっちを測り、

指示書どおりの報告書も策定した上で、
その中に
「このような事態が発生している」旨も記述する…
という方法しかないのです…。

あ~、
あれは肩身が狭いというかなんというか、
むなしい仕事だったなぁ~…。

(;´д`)トホホ


しかも
それら中国人にアプローチして
さぐりを入れてみると、

(当たり前っちゃ当たり前なのですが…)
彼らが基礎資料として
アンゴラ側から提示されていたのは
日本が策定した報告書の
ロビト港に関する部分の抜粋なわけでして...。

それは基本設計以前のものだとはいえ、
日本が作る報告書ですから
とても詳細なものなのです。

その報告書の図面一式さえあれば、
中国流の曖昧な計算書など
あっという間に出来てしまうことでしょう。

一方、日本の援助、
しかも無償資金協力ともなると、
最後のネジ一本まで
細かく積算をした上で
議会を通過させなければ実現しませんから、
当然

非常に時間がかかるのです…。


そしてロビト港は
上でも書いたとおり、
とにかく急いでいたのです…。

結果、日本は
中国に出し抜かれたというわけです…。

(ノдヽ)(ノдヽ)(ノдヽ)

そんな憂鬱な調査を行っている最中、

ポルトガルから
植民地時代終盤までロビトに住んでいた
港湾関係者によるロビト訪問がありました。

ロビト港のン十周年だかに合わせて、

その頃には当然改修工事が完了している筈だと
思い込んでいた
かのニコニコ顔の総裁が
数年前から計画し、
その人達を招待していたのです…。

1970年代にはロビトに住み、
港湾職員として働いていた
おじいちゃん、おばあちゃんの団体です…。

この機会を逃したら、
懐かしいロビトを再び目に焼き付けることが
できることはないかもしれない
後期高齢者の団体です…。

しかしながら港湾はというと、
中国人エンジニア達が準備を進めているとはいえ、
まだ工事が始まっているわけでもなく、
港本体はボロボロのままで、

かつての栄光からは
見る影もなく、

総裁はニコニコと
現状や今後の計画について
案内しながら説明しつつも、

その表情には
なんともいえない
やるせなさや憤りが垣間見られ、

来訪者も
楽しみにしていた港の
穴だらけの舗装や舞い上がる埃に
落胆の表情が隠せず、

テレビで流れた
このご一行様の市内観光では

港湾同様整備が進んでおらず
舗装がボコボコで
廃墟と化している建物も多い住宅街で

「見て、あれよ、あれだわ、私が育った家よ...!」

などと涙を流す
年老いたご婦人の姿が
視聴者の涙を誘い、

まだ数少なかった
市内のレストランで
その団体と遭遇すると、

全員疲れ切っており、
口数も少なく、
なんとも物悲しい雰囲気の中
食事をしていました…。

(´・  ω  ・`)


あの時ばかりは
期待し過ぎてしまったがために
朽ち果てた町や港を見せざるを得なかった
「いつもニコニコ顔の」総裁が、
なんとも哀れに見えました…。

また、
昔の思い出に浸る筈が
戦争と経年の末路を見せつけられる結果となった
ご老人達の
言いようもない落胆の表情には
かける言葉もないと感じました…。

😔😔😔


こうして
私達のロビト港との関係は絶たれました。

その後
ロビトには
軽犯罪者を含む夥しい人数の人員が動員され、
人海戦略による突貫工事で
あれよあれよと言う間に改修工事が行われました。

もし「いつもニコニコ顔の」総裁の試みが
3~4年後に実現していたなら
ポルトガルからの団体さんの印象も
随分違ったものだったのかもしれません。

が、
なにせ本当に全員が大層お年を召した方々でしたから、
時期をずらすことで
必ずしもあの時の全員が参加できたものなのかも
定かではありません...。

😟😟😟


そして、改修のみならず拡張工事なども
おおかた完了した昨年、
中国のオペレーターが
フィリピンのオペレータと競り合った挙句
コンセッション契約に至りました…。

中国による
ロビト港改修・拡張プロジェクトの全貌をご覧下さい。


ポルトガル時代のベンゲラ鉄道とロビトの町


ロビト港のオフィシャルサイトです。

本日もお読み頂き、誠にありがとうございました!

※ 「ロビトはお魚も新鮮でおいしいよ♪」、否、
「魚 新鮮」はこたつぶとんさんの作品です。


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