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思い出は形なきもの、消え残るほのかな桜色

思い出は無形。
記憶の中にぼんやり、
ときにまばゆく、ある。
確からしさは
ひときわ淡い桜色。

年度替わり、4月1日付け人事異動。
この火曜、この4年間共にした部下の
最終出勤だった。

この日、この部下は
朝からめきめき動き回り、
引き継ぎや残務に勤しみ、
身の回りの備品の、
段ボール詰めに注力。

傍らで僕は忙しいふりをしては
これまでこの部下から届いた、
個人アドレスへのメールを
数えていた。
20件。決して多くない。
「本日は発熱しお休み頂きます」
「お気遣い頂きありがとうございます」
よくある儀礼的なものだけ。

でも、この段になると
そのメールから様々な記憶が蘇る。
当時の滲み出る時間と場面がある。

当然に僕が、これらのメールで
しみじみしていることを
この部下は知らない。

夕方、職場の終礼で
この部下は最終出勤の挨拶をした。
その直後、何人かがこの部下を囲んで
わいわい思い出を辿っていた。

それを横目に、僕は帰り支度をして
いそいそと、その横を通り過ぎた。

その瞬間だった。

その彼女は僕を追いかけて、
「本当にお世話になりました。」
と深くお辞儀をした。

僕は言った
「別に…、今生の別れてはないから。」

「でも…」と俯かれた。

僕はこういうのが精一杯だった。
「どこへ行っても、
自分に出来ることを
精一杯やればいい。」

「私は心配性で、
ご迷惑ばかりかけてきました。」

「いや、貢献と活躍の記憶しか
残ってないよ。お疲れ様でした。
ありがとう。」

微笑み返しで僕はドアへ。

いつもこうなのだ。
異動する部下の最終出勤の、
最後のやり取りでは、
エレベーター前まで見送るとか
しみじみしたのは、耐えられない。
さらりといきたいのだ。

だから送別の宴会なども
途中で席を立ち、ひとり帰ってしまう。
もう十何年もこんな感じ。
あまのじゃくは治らない。

でも、部下、いや仲間たちの
これからの人生に幸あれ、
と強く祈る気持ちは確か。

思い出は無形。
ひときわ淡い桜色。
でも確かに残るメールの跡。

「異動の部下の背 消え残る花ほのか」弥七

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