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夏空、夏風、夏の爽 1 (短編連作)

僕の数年下の年次に、
夏風爽一という男がいる。
隣の職場で部長代理のポジションだ。

50代前半ながら
四分六に分けた涼しげな髪、
微笑むと、くしゃくしゃになる表情、
常に力みない瞳で、若々しく見える。
そんな彼を「Mr.瓢箪」と僕は呼ぶ。

5年程前、僕らは仕事を通じて、
親しく話す間柄になった。
部長、役員側と20名の部下側に挟まれ、
忙しく切り盛りしている彼は、
いつも飄々と淡々(坦々)としている。
ゆえに僕にとって、「ひょうたん(飄淡)」なのだ。

ミスを起こした部下が報告に来ると
「わかりました。
○○に注意して、直ちに動いて下さい」
そして、熱を帯びる部下に、
彼は常に静かに接する。
爽風がそよぐように。

大勢の会議で、彼の上司が
彼の面目を潰すような意見や指針を示しても、
全く感情を表に出さずに彼は、
淡々と「承知しました」と告げ、
また爽風を呼び起こす。

たとえそれが彼の上司でなく
部下の意見であっても同じ。
「諒解です。それで進めましょう」
とこだわりがない。

さりとてノンポリというのではない。
コンプライアンスに反することや
極めて不効率なことには、
きちんと意見を示す。
但し、静かに。

この静謐な雰囲気の彼だからこそ
ぽつりと放った一言が周囲には響く。

そんな滅多にいないような物分りの良い、
情熱タイプではない彼の個性について、
僕は数年前の夏の夜に、ビールを飲みながら
彼に直に尋ねたことがある。

「君は、感情を出さないね。
どうしてそうなの?我慢してるの?」

いや、別に、そんなことありません。

「こんちくしょう!とか思うことないの?
本当は心のなかで叫んでいたりする?」

叫んでいませんよ、心の中でも

「愚痴をこぼしたり、
一人で悩んだりすることはないの?」

そういうことはあまりないですね

「どうすれば君みたいに、達観できるの?」 

達観ですか?よく、わかりませんが、
楽しく、やっていきたいだけです

「皆、何かしらの情熱とか思惑があって
その通りにならないと腹を立てる。
それが人間でしょう。」

ああ。……確かにそうかもしれませんね

「君は何も欲がないのかな?」

いやいや、僕も人間ですから。
それなりの思いとか願いはありますよ。

「例えば?」

まあ、秘密です。
もう少し酔っても人には言えません。

「丹念に練り上げた資料や
考え抜いた意見を、上司に玉砕されても
あるいは、部下から無礼にも批判されても
何とも思わないの?
コンプラ違反と業務非効率以外は、
全てを許すわけ?」

上司とか部下とか、経験のあるなしとか、
あまり考えていません。
要は自分以外の方々というだけ

「部下と一緒に、
信念に基づいて作った資料について
批判されても、君は戦わないよね。」

人と戦う?戦わなければならないですか?
僕は侮辱や屈辱を受けたとかで
怒ることは有り得ないのです。
どうでもよいのですよ。職場ですから。
ここは戦場ではありません。
同じ時間を過ごすなら、
穏やかに過ごしたいだけです。

「部下にとっては、自分たちのために
戦ってくれないと思い、失望するのでは?」

僕が見ているのは、
上司からの指示が理にかなっているか、
大きく外れていないか、だけです。
その要点から逸脱していなければ、
僕が声を発しなくても、一緒に仕事をしている皆は
理解してくれると思っています。

「君の考えもよくわかるが、
情熱とかこだわりがあって、
いや、欲があってこそ、この世は進歩する。
君のやり方では人格者にはなれても、
開拓者、良き経営者にはなれないのではないか」

確かに、僕には経営者になりたいという欲は
持ち合わせていません。
だけど、世の中を良くしたい、
社会に役立つ仕事がしたいとは思っています。
要は…、そうですね、アスリートと同じです。

「アスリート??アスリートと君は好対照でしょう。
スポーツ選手は闘争心の塊じゃないの??」

彼はそれに答えず、ビールを飲み干し、
自ら話題を変えた。

そんなやりとりのあった日を境に
僕の彼への興味は益々深まっていった。
その数日後、僕はひょんなことから
彼のことをよく知る、別のフロアの社員から、
意外な情報を得た。40代半ばの彼女はこう言った。

夏風さんですか。
20年くらい前に同じ部署にいた頃、
かなりの荒くれでしたよ。
毎日のように、カッカして、日替わりのように、
誰かしらとぶつかっていました。

「えっ、今では見る影もないね。
どうして変ったのだろう。」

さぁ、どうしてでしょう。
よくわかりませんけど。

次号に続く

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