見出し画像

その刹那、永遠の閃光

この電気シェーバーに
何年世話になってきただろう。
8年くらいだろうか。
であれば、
学生の頃から40年近い
何台もの電気ひげ剃り歴の中で、
最長だ。

その愛機が先週、
専用の充電器に差し込んでも
ボディの緑のライトが点灯しない。
電機製品だ、寿命かなと思った。

さよならを言う時期かと
諦めかけて3日目に、
僕はもしかしたらと
充電器にもう一度差し込んだ。
果たして、愛機は眠ったまま。

やむなくぼんやり、
スマホでユーチューブを観ていたら、
視界に入る場所に置いた
その愛機、シェーバーのボディに一瞬、
緑の光が点灯した。

それは、まばたき程の間。
微塵の期待を残して蘇ったのだ。
まるで幻のような出来事。
錯覚と思える程。
そして愛機は再び沈黙の眠りに落ちた。

勿論、電機製品だから、何か接触の加減で
通電しただけかもしれない。

別れの閃光。刹那の気の贈り。
8年及ぶ僕らの毎朝の付き合いへの、
愛機の最後の挨拶に僕は思えた。

16年前の父との別れ際を思い出した。
父は長く癌を患い、
入退院を繰り返していた。
あの日、僕は会社で仕事をしていた。
父危篤との連絡が携帯に入り、
東京から急いで小田急線に乗り、
2時間かけて町田の病院に駆けつけた。

病床に横たわる父は
いつ絶えるかわからない程
僅かに息をしていた。

でも僕が来たことに気付いて、
いやおそらく気付いたのだろう、
僕の呼びかけに、瞳を閉じたまま
穏やかに少しだけ首を縦に振った。

僕はあの瞬間を忘れない。
この世との別れ際に、
父は僕を認識してくれた。
一瞬の閃光のように。

大好きな父だった。
僕が学生の頃、
彼女とデートに行くと言えば、
「恥をかくなよ」とさり気なく、
五千円札を差し出してくれた。
この地球上で僕が最も敬愛した人。

その人と電気シェーバーを重ねては
不謹慎かもしれない。
でも思い出したのだ。

ところで、
冒頭の電気シェーバーの話には
オチがある。

僕はこのシェーバーが
大変気にいっていたので
その直後に全く同じ商品を探し出し、
買い直した。

新品の箱を開け、新品のシェーバー本体と
付属の充電器を取り出した。
そしてふと、もしやと思い、
真新しい充電器に、これまでの愛機、
かつてのシェーバーを差し込んだ。

すると、緑の光。
愛機は見事に綺麗に点灯。
瞬くに、蘇った。

故障は古い充電器のほうだった。
浅慮を恥じた僕は、古い充電器に
「ごめんね、ありがとう」と
手を添えた。

いつもの僕の朝、見慣れた洗面所に
8年連れ添った相棒が戻って来た。
僕の勘違い、いや、
こうした奇跡があるのなら
日々のささやかな一瞬から
小さな幸せの刹那を見い出せる。
そんな気がする。

この記事が参加している募集

#最近の学び

181,634件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?