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仏教経典(教相判釈/方便)

 今日も仏教経典について書いていこうと思います。

教相判釈

 仏教経典は経・律・論の三つに大きく分けられることは、前のnoteで書きました。経は釈迦の思想が直接著されているとされているので、経は三つの中でも最も重要な経典であるといえるでしょう。さてその経ですが、釈迦の言葉を書いたのであれば内容に矛盾がありはしないのですが、実際の経を読むと、経典間で内容が矛盾すると考えられるものがあります。中国では小乗大乗の経典がごちゃまぜにインドから伝わってきましたので、経典を読んだ中国僧はどの経典に真実が書かれているのか分からず、さぞ困惑したことでしょう。

 そこで、内容の異なる経典を体系的にまとめて、釈迦の思想を再構成し、最も重要な経典を決めようとする流れが生まれます。この営為を教相判釈(きょうそうはんじゃく、略して教判)といいます。有名な教相判釈として、中国天台宗の開祖である天台智顗が分類した五時八教が挙げられます。

方便

 内容の異なる経を読んだ人は、なぜ内容が異なるのかという疑問にぶちあたり、一つの結論にたどり着きました。それは、釈迦は自らの思想を相手のレベルに合わせて伝えたから内容が違うのだ、という結論です。つまり相手のレベルが低い場合には、直接真理を伝えるのではなく、だいぶかみ砕いて伝えたり、時にはあえて間違いを教えたりしながら高みに導く、といった手段を釈迦が使ったと考えたのです。たしかに、この説明では経の内容が異なることに説明がつけられますね。この、真実ではない仮のもの、とでもいうべき教えを方便といいます。嘘も方便という諺はここから来ています。

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