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私の幻の博士論文 第7回 IAA(運動方程式)から目的論的解釈を導くことは可能か?

前回


1. はじめに:IAAによって個別筋が発揮した力(トルク)の機能が分かる?

 前回はIAAと呼ばれる解析手法を用いて、運動中の時々刻々において全身に作用・発生する関節トルクや重力、角速度が、並進加速度や角加速度、関節力の発生に対してどの程度貢献しているかを定量的に評価する際の基本的考え方を紹介しました。

第1回および第2回では、スポーツ技術の目的論的意味を解釈するということに関心を向けていました。実は、IAAを用いて「個別の筋が発揮した力(によって発生するトルク)が運動中に担っている機能」を分析するという研究論文が相当数存在しています。

第1回で言及したように、「機能」と「目的」や「意味」という語は、ほとんど同じ意味で使われていることが多々あります。そうすると、「IAAによる機能分析」という方法を適用することによって、「スポーツ技術の目的論的意味」を上手く解釈することができないだろうかというアイデアが浮かんできます。そこで今回は、このようなアイデアが実際のところ上手くいきそうかどうか考えてみたいと思います。

結論から先に申し上げますと、IAAによる機能分析は、スポーツ技術について目的論的意味解釈を行うための分析ツールとしては不十分なものであるというのが私の見解になります。次節以降では、どのようなロジックからこのような見解を導くことができるのかということについて、順を追って整理していきたいと思います。

2. IAAを使えば良さそうに感じられる理由:目的と効果の互換性

 本節(および5節)では、「IAAによる機能分析を用いることで、スポーツ技術の目的論的意味を解釈する」ということが「できそうに感じられる」理由について考察します。「できそうに感じられる」理由について理解しておくことが、「できない」理由についての理解の解像度を高めてくれるのではないかと思いますので、遠回りに感じられるかもしれませんが、お付き合いいただけますと幸いです。

 最初に、議論のための前提として、IAAを用いることによって導かれる「機能」とは、具体的にはどのようなものかという点について確認しておきましょう。IAAによる機能分析では、IAAによって導くことができる「ある筋によって発揮された力(によって発生するトルク)が原因となって発生する因果的効果(全身の各セグメントにおける並進加速度、角加速度、関節力の発生)」のことを、その筋が発揮した力が担っている機能とみなしています。
※厳密に言うと、この表現には少しだけ不正確なところがあるのですが、かなり細かい話になってしまうので、今回はこの前提で話を進めさせていただきます。

また、前回は、この因果的効果のことを指して、並進加速度、角加速度、関節力の発生に対する「貢献」と呼んでいました。したがって、IAAを用いた機能分析では、「貢献のことを機能と同一視している」とも言えます。

 以上を踏まえると、目的論的意味と因果的効果(=貢献)を同一視可能であるということが、「スポーツ技術の目的論的意味」を解釈するための分析ツールとして「IAAによる機能分析」を用いることができるための必要条件だと考えられます。そして、以下で取り上げるように、目的論的意味を因果的効果と同一視することが可能なケースは実際に存在します。こうしたケースが存在しているからこそ、IAAによる機能分析を用いることでスポーツ技術の目的論的意味を解釈するということが「できそうに感じられる」のではないかというのが私の考えです。

 まず、私たちの日常的な言語使用のあり方に注目してみましょう。あるふるまいの機能(目的、意味)について語る文は、そのふるまいによって何が実現するか、すなわち、そのふるまいが持っている因果的効果について語る文で置き換え可能な場合があります。例えば、以下のような文は、相互に置き換えてもほとんど実質的意味内容は変化しません。

・ボディを打つことの機能(目的、意味)は、対戦相手のガードを下げさせ  ることである。
・ボディを打つことによって生じる(因果的)効果は、対戦相手のガードが下がるということである。

・内角高めにボールを投げることの機能(目的、意味)は、外角低めのボールを打ちにくくさせることである。
・内角高めにボールを投げることによって生じる(因果的)効果は、外角低めのボールが打ちにくくなるということである。

 また、シンプルな力学的状況についても、機能(目的、意味)と因果的効果を同一視できる場合があります。図1は、ある人が、荷車を押している状況を表しています。

図1 機能(目的、意味)と
(因果的)効果が一致するケース

図1の状況を力学的な因果関係という観点から捉えると、

荷車に対して右向きの力が作用することが原因となって、右方向に動く(右向きの加速度の発生)という効果が生じている。

ということになります。他方で、

この力の機能(この力を作用させている目的論的意味)は、荷車を右に向かって動かす(加速させる)ことである。

といったように、同じ状況を目的論的に捉えることもできそうです。つまり、ここでも力の機能(目的、意味)とその力によって生じている因果的効果(動き/加速度)の間には、互換的な関係性が成立しているということです。

 このように、機能(目的、意味)と(因果的)効果を同一視して捉えることが可能な「場合がある」ということが、IAAによる機能分析が、スポーツ技術の目的論的意味を解釈するための分析ツールとして利用可能なのではないかという期待を抱かせるのではないかと私は考えています。

3. 有益な逆向き行動

 本節および次節では、IAAによる機能分析によっては、スポーツ技術の目的論的意味解釈が上手くできない場合があるということについて本格的に議論していきます。本節では、このようなアイデアが上手く行かなくなると考えられる典型的ケースを紹介したいと思います。それを踏まえて、次節では、そのようなケースが上手く取り扱えない根本的理由は何なのかという点について考えてみたいと思います。

IAAによる機能分析によっては上手く取り扱えないと考えられるのは、「大局的にはある目的を実現する上で有意義だが、局所だけを見るとその目的に逆行しているようなふるまい」が存在しているケースです。私たち人間の行動には、このようないったん最終目的から遠ざかることがかえって最終目的の実現につながる(あるいは必要になる)ものが多々あります。こういったふるまいのことを「有益な逆向き行動」と呼ぶことにします。

この「有益な逆向き行動」の貢献を適正に評価することができない(=目的論的意味を上手く解釈できない)ということが、IAAによる機能分析には(スポーツ技術の目的論的意味を解釈するための分析ツールとしては)限界があるという主張の根拠となります。以下では、垂直跳びにおける反動動作の貢献(=目的論的意味)という題材を通して、この点についてさらに詳しく議論してみたいと思います。

 一般的に、立った状態から反動をつけて垂直跳びを行うのと、膝を曲げた姿勢からいきなり垂直跳びを行うのとでは、前者の方が高く跳ぶことができるということが知られています。どうしてそうなるかというと、反動動作後の身体を上に向かって加速させていく局面において、反動なしの垂直跳びと比較して下半身の伸筋群がより大きな力を発揮できるようになり、その結果として、より大きな重心の上向き加速度が発生するからです。そして、より大きな上向き加速度が発生するということは、垂直跳びの跳躍高に直結する変数である離地瞬間における重心の上向き速度がより大きくなることにつながります(図2)。

図2 2種類の垂直跳びの比較

この場合、上昇局面において下肢伸展筋群が大きな力(トルク)を発揮していることが、高い跳躍高の実現に貢献していると評価することができます。それに対して、下降局面におけるふるまい(反動動作やそれを実現するための力発揮)は、その瞬間における因果的効果としては、大きな上向き加速度を発生させているわけではないので、大きな跳躍高の実現に対する貢献は小さいということになりそうです。あるいは、下降局面においては下向きの加速度も発生するので、マイナスの貢献をしていると評価されることもあるかもしれません。

この場合、IAAによって導かれる因果的効果(貢献)に基づき機能(目的論的意味)を解釈するという方針の下では、反動動作やそれを引き起こす力発揮は、大きな上向き加速度が発生する(ことを通じて高い跳躍高が実現する)ことに対して特にポジティブな貢献をしていない(目的論的意味を有していない)ということになります。

 しかし、私たちに自然に備わっている直観的判断力に従うならば、このようなケースでは、反動動作やそれを引き起こす力発揮は、その後に続く上昇局面において大きな上向きの加速度が発生することに重要な貢献をしており、したがって、大きな跳躍高が実現されることに対しても重要な貢献をしているとみなすべきだと考えられます。

つまり、下降局面におけるふるまい(反動動作)や力発揮には、より大きな垂直跳び跳躍高を実現させる「ために」行われているという「目的論的意味」があると解釈されるべきなのではないかということです。このような解釈を導くことができないというのが、IAAによる機能分析を用いて、スポーツ技術の目的論的意味を解釈するということに慎重になるべき理由だと私は考えています。

4. 時間遠隔的効果の取り扱い困難性

 前節では、どういうケースにおいて、IAAによる機能分析によって私たちの直観に反する貢献(=目的論的意味)が導かれてしまうかを指摘しました。本節では、こうしたケースがIAAによる機能分析によっては上手く取り扱えない根本的理由は何かという点について、さらに掘り下げて考察してみたいと思います。

「下降局面におけるふるまい(反動動作)の効果として(貢献によって)、上昇局面においてある出来事(大きな上向きの加速度)が生じる」という命題が有している特徴的構造は、原因(下降局面において生じた出来事)とその効果(上昇局面において生じた出来事)との間に時間的ずれが存在することです。このような時間的にずれがある原因と効果を結びつけて捉えるということが「部分的にしか」できないということが、IAAによる機能分析が上手く行かない根本的理由であるというのが、以下の議論の趣旨となります。

 まずは、発生する時間が同じではない出来事同士の因果関係を特定するためにはどうしたら良さそうかということについて考えてみましょう。ここで、前々回の議論を少し振り返ってみましょう。そこでは、図3のように、加速度を中継することによって、直接的に貢献(因果関係)を定量することのできない力と速度の間の因果関係(速度に対する力の貢献)を表現するということがされていました。

図3 速度に対する力の貢献を
定量する際の考え方

ところで、IAAによって実行可能なことは、基本的にはある瞬間における【関節トルク・重力・角速度】と【並進加速度・角加速度・関節力】との間に成立する同時的な因果関係を定量的に把握することでした。このことと、速度に対する力の貢献を表現した際の考え方を合わせてみると、図4のように、時刻tにおける加速度を発生させた同時的原因が発生したことに対する、時刻t-1における出来事の貢献を定量的に表現することができれば良さそうです。

図4 異なる時点において生じる出来事同士の
因果関係を表現するための基本的アイデア

つまり、ここで考えるべき論点は、時刻tにおいて身体に作用・発生する関節トルク、重力、角速度を、時刻t-1において生じた出来事の因果的効果として定量的に捉えることが可能か否かということになります。以下では、この点について角速度と関節トルクの間に重要な違いが存在するということを指摘したいと思います。なお、重力については、かなりややこしい議論が必要になってしまうので、今回は取り上げないことにします。

 時刻tにおける角速度については、IAAを用いることで、時刻t-1において生じた出来事の因果的効果として取り扱うことが可能です。前々回において、ある瞬間の速度は、それまでに生じた加速度の影響の足し合わせによって表現することが可能であるということをお話ししました。そのため、ある瞬間の速度について、それ以前の特定の瞬間の加速度がどの程度貢献しているかということを定量的に表現することが可能でした。

そして、このような関係性は、角速度と角加速度との間にも成り立ちます。すなわち、ある瞬間に生じている角速度についても、それ以前に生じた角加速度による貢献が足し合わされたものとして捉えることができるということです。

そうすると、「時刻tにおける角速度に対する時刻t-1の角加速度の貢献」を中継することによって、図5の赤矢印のようなルートをつなぐことができます。つまり、時刻t-1において発生した関節トルクは、その瞬間における同時的効果である角加速度の影響が時刻tにおける角速度の中に残るという経路を通じて、時刻tにおける並進加速度、角加速度、関節力の発生に対してまで因果的効果を及ぼすということです。そして、IAAを用いれば、この因果的効果がどの程度のものかということを定量的に表現することが可能です。

図5 関節トルクの効果が部分的に
時間を超えて伝播していく経路

 それに対して、時刻tにおいて発生する関節トルクについては、これを時刻t-1において生じた出来事の因果的効果として表現することは、実はIAAによってはできないのです。
※このことについては、別の回でどうしてそう言えるのかということについて詳しく考察します。

前節で提示した反動ありの垂直跳びのケースを上手く取り扱うために要求されるのは、まさにこの時間的に前の局面における力(関節トルク)発揮が、時間的に後の局面における力(関節トルク)発揮が大きくなることに対して貢献している(因果的効果を持っている)ということを表現できることです。これができないということが、異なる時間に生じる出来事同士の意味的(目的論的)つながりを、IAAを用いて分析することに限界があることの根本的理由だと考えられます。

5. 何が盲点を生み出すのか?

 ここまでの議論をいったんまとめてみましょう。IAAが得意とするのは、同時的な効果(貢献)を定量的に表現することです。それに対して、スポーツ技術の目的論的意味解釈を行うための分析ツールには、時間遠隔的な効果(貢献)までも上手く取り扱えることが要求されます。このような時間遠隔的効果(貢献)を十分に扱えないということが、IAAによる機能分析をスポーツ技術の目的論的意味を解釈するための分析ツールとして活用するというアイデアに対して慎重になるべき理由でした。

実は、スポーツ技術の目的論的意味解釈を行うためには時間遠隔的な貢献の存在を考慮しなければならないということは、意外に見過ごされてしまいやすいことなのかもしれません。その理由としては、同時的効果のみに注目していても、全体としてのパフォーマンスを計算上は表現することができてしまうということが挙げられます。以下では、ここで私が言いたいことを直観的に理解していただけるのではないかと思われるモデルを提示してみたいと思います。

 スタート地点から東に100kmの位置にゴールが設定されたアドベンチャーレースのようなものがあるとします。レースなのでもちろん、できるだけ早くゴールするということが目標になります。できるだけ早くゴールすることを目指すということは、スタートしてからゴールに到達するまでの平均速度をできるだけ大きくすることを目指すと捉えることもできます。

このレースに参加したある人は、スタートから20時間かけてゴールに到達しました。図6は、この人の5時間ごとの東西方向の位置変化をまとめたものです。

図6 5時間ごとの東西移動距離と
全体平均速度への貢献の分解

図6中で行われているような簡単な式変形を行うことによって、20時間全体としての平均速度(=パフォーマンス)は、4つのセクターごとの平均速度の貢献が足し合わされたものとして捉えることが可能になります。その場合、東への移動距離が最も小さい第1セクターのパフォーマンスへの貢献が最も小さく、最も大きい第2セクターの貢献が最も大きいということになります。

 ここまで提示された内容だけだと、第1セクターの行動(東へ10kmの移動)のパフォーマンス(できるだけ早くゴールすること)に対する貢献は小さなものであるという解釈には、それほど大きな違和感を抱かない方が多いのではないかと思います。しかし、東西方向の位置変化パターンは変わらないままに、図7のような情報(設定)が追加されると、印象が一変するのではないかと思います。

図7 最初の5時間における東への
移動距離が小さくなっていた裏事情

実は最初の5時間は、(そのままゴール方向へと直線的に突っ切ろうとするとかえって時間がかかってしまうような)険しい山岳地帯を回避するための迂回行動を取っていたのです。この場合、第1セクターにおける行動こそが、第2セクターにおいてスムーズにゴールに近づくことを可能にしているのであり、より早くゴールに到達するということを実現することに大きく貢献している行動であると評価すべきだと感じられるのではないかと思います。

 情報提示のされ方によって受ける印象がかなり異なったのではないかと思います。ここから得られる教訓は、細やかな背景的文脈についての情報が抜け落ちてしまうと、私たちに自然に備わっている直観的解釈能力が鈍らされてしまうことがあるということです。

図7では、セクターごとのふるまいの貢献(目的論的意味)は、他のセクターにおいて生じる出来事とは無関係な自己完結したものとして評価・解釈されています。本節冒頭で申し上げましたように、個別のセクターごとに表立って生じている出来事(そのセクター自体における平均速度)の単純な足し合わせによって、計算上は全体としてのパフォーマンス(全体平均速度)を表現できてしまうということが、このことの不自然さを覆い隠してしまっているのではないかと思います。

実は、IAAに限らず、バイオメカニクス的動作解析の作業は、こうした細かな現実の文脈から隔離される形で、数式や数値を操作するということが要求されるという側面があります。だからこそ、IAAによる機能分析が上手く適用できないような反例が存在しているということに気がつくのは、意外に難しいことなのではないかと私は考えています。

 本節で主に語りたかった内容は以上になりますが、最後にもう一点、重要な事柄であり、かつ図7を見ていただいたことによって格段に理解がしやすくなったであろう点に述べておきたいと思います。前々節で、IAAによる機能分析によっては上手く取り扱えないケースとして、有益な逆向き行動が存在する場合を挙げました。このとき、有益な「逆向き」行動が存在しない場合には、IAAによる機能分析を用いて問題ないのだろうかと思われた方もいるかもしれません。

図7のケースでは、第1セクターの行動は小さなプラスの貢献しかしていないだけで、マイナス(逆向き)の貢献をしているわけではありません。つまりここから、「有益な逆向き行動」は、同時的な効果のみに基づいて貢献(目的論的意味)を評価・解釈することの不自然さが分かりやすく現われている典型例のようなものであり、IAAによる機能分析によって目的論的意味を上手く解釈できないケースは、逆向き行動が存在する場合に限られないということが分かります。それは、ある行動自体が直接的にプラスの貢献をしているかマイナスの貢献をしているかということに関係なく、その行動が、直接的に有益性の高い別の出来事が発生する(行動が可能になる)ことの助けになっているか否かということが根本的な問題だからです。

6. 力学的な出来事の把握と人間的直観に適った出来事の把握

 前節までの議論では、IAAによる機能分析の結果と、私たちが直観的に感じる意味的つながりとの間に食い違いが生じるということに着目してきました。本節では、このような力学的分析の結果と直観的判断とが食い違うということが何を意味しているかということについて、より俯瞰的な視点から考察してみたいと思います。

 ボタンを操作することで、自動で開閉される窓がある状況について考えてみましょう。この部屋の住人がボタンを押すことで少しのタイムラグの後に窓が開き、しばらくそのままにしておくと、部屋が換気されます。つまりここでは、「ボタンが押される(ボタンが凹む)」、「窓が開く」、「換気がされる」という3つの出来事が順々に起こっています。

まず注目したいことは、この3つの出来事のうち住人が直接的に働きかけたと言えるのは、ボタンを押す(ボタンを凹ませる)ことのみだということです。それに対して、窓が開いたのは、機械的な自動窓開閉システムが働いた結果だと考えられます。同様に、換気がされるのも、大気循環のシステムが働いた結果だと考えられます。

しかし、私たちはこの「ボタンを押す」という行動を指して、「窓を開ける」とか「換気をする」といった表現をすることもあります(図8)。この場合、直接的にはこの住民の働きかけによって生じたわけではない出来事についてまで、あたかもこの住人が実行したことかのように表現しているということになります。つまり、私たちは、「ボタンを押す」という1つの出来事に対して、複数の異なる表現をする可能性があるということです。

図8 1つの行動に対して
あり得る複数の表現

 ここで、なぜこのような複数の表現が可能になるのか、あるいは、これら複数の表現はどのような基準で使い分けられるかということについて考えてみましょう。それは、ボタンを押す人が、何を意図してボタンを押したのかという目的意識に依存していると考えられます。窓を開けるということを意図してボタンを押したのならば、「窓を開ける」という表現がしっくりくるし、換気をするということを意図してボタンを押したのならば、「換気をする」という表現がしっくりくるといった具合です。

ボタンを押す人がこのような意図を形成することが可能になるのは何故でしょうか。それは、「ボタンを押す」ということには、それによって「窓が開く」、「換気がされる」という「効果」があることを認識できているからだと考えられます。

一般論として、人間の行為は、その人自体のふるまいの側からも、そのふるまいによって生じる効果の側からも表現することができます。例えば、まったく同じ物理的状況に対して、「押す」と表現することも「動かす」と表現することもできます。

特に、行為者が意図的にその効果を生じさせているという場合に、効果の側からの表現は自然なものになります。行為者自身が物体を動かそうと意図して物体を押した場合には「動かす」と表現しても自然ですが、何となく物体を押してみたら、結果的に動いたというケースでは、これを「動かした」と表現するのは少し違和感があります。このように、行為者自身がその効果を生じさせる意図があったか否かということは、その行為をどのような言葉で表現するのかを左右する重要な要素だと考えられます。

 「ボタンを押す」ことに「窓が開く」、「換気がされる」という効果があると考えることができるのは何故でしょうか。端的に言ってしまえば、「ボタンを押す」ことが原因となって「窓が開く」という結果が生じ、さらに「窓が開く」ことが原因となって「換気がされる」という結果が生じるという因果関係があるとみなせるからです。

ここで注目すべきことは、具体的にどのような作用機序(メカニズム)がそこに存在しているのかということは、必ずしも知っている必要はないということです。私自身も、「自動窓開閉システムの働き」、「大気循環システムの働き」といったふわふわした表現をしてしまっているように、こうした出来事が展開される際の具体的なメカニズムを説明することはまったくできません。それでも、私がボタンを押す当事者だったとしたら、「窓が開く」、「換気がされる」ということが「ボタンを押す」ことの効果として生じるのだという判断を下すことができるはずです。

どうしてこのような判断を下すことができるのでしょうか。それは、「ボタンを押す」ことによって「窓が開く」、「換気がされる」という出来事が「再現的に」生じ、そして、そのことを行為者自身も把握しているからだと考えられます。このような再現性が存在していることで、「ボタンを押す」ということに「窓を開く」、「換気をする」という効果があるという認識を形成することが可能になります。そして、こうした認識が形成されているからこそ、「窓を開ける」、「換気をする」という意図を持って、「ボタンを押す」という行動をすることが可能になります。

 このように、私たちは、出来事同士の関係に再現性があることに基づき、自分自身が直接的に働きかけているわけではない出来事についてまで、自分自身の行動によって意図的に効果を及ぼすことができるという物事の捉え方を、日常レベルではごく自然なこととして行っています。直接的にはパフォーマンスの向上に貢献していないふるまいに対して、間接的にはプラスの目的論的意味があると感じる私たちの直観は、このような日常的な出来事の捉え方の延長線上にあるのではないかというのが私の考えです。

反動動作の例で考えてみると、反動動作をすることによって、反動なしの場合と比較して「再現的に」大きな跳躍高を実現できると考えられます。このような再現性があるからこそ、反動動作には、より高く跳ぶために、上昇局面において下肢伸展筋群がより大きな力を発揮することを可能にさせるという目的論的意味があるという認識を持つことが可能になるのです。

 それに対して、IAAによる機能分析では、全体としての出来事を部分部分の出来事に分解して捉えるという立場が採用されていると言えます。これは、本節の例との関係で言うと、ボタンを押すことの効果=機能(ボタン押すという行動が貢献しているの)は、ボタンが凹むという出来事のみだと考えるようなものです。

このように全体としての出来事を部分部分の出来事が集まったものと捉えること自体が、絶対的に間違ったものだとは私は考えていません。なぜなら、前節で指摘したように、部分部分の出来事の足し合わせによって、全体としての出来事を表現することも可能だからです。

しかし、出来事同士を分断して捉えるということが行き過ぎてしまうと、人間的視点からすると分かりづらい(違和感のある)ものになってしまうことがあると考えられます。それは、私たちに備わっている、時間的に離れた出来事同士の間に意味的、目的論的つながりを見出すという習性に反しているからだと考えられます。

 本節冒頭で言及したような食い違いの本質は、力学的に瞬間瞬間をバラバラに区切って出来事を捉えるか、人間にとって直観的に自然な出来事の捉え方を捉えるかという基本方針を巡る対立にあるのではないかというのが私の考えです。そして、パフォーマンスに対してそれ自体としては直接的に大きなプラスの貢献をしていないふるまいが、間接的には大きく貢献しているのではないかと考えるということは、ここで言うところの、力学的な出来事の捉え方ではなく、人間にとっての自然な出来事の捉え方が採用されるべきだという立場を暗に支持していることになるのです。

そして、このような立場を採用するという前提の下では、IAAによる機能分析を用いてスポーツ技術の目的論的意味を解釈しようとする試みは上手くいかないと結論せざるを得ません。なぜなら、IAAはあくまでも力学的な同時的因果関係を分析するための分析ツールであり、私たちが直観的に認識する時間遠隔的な目的論的関係性を分析するという用途のためには設計されていないからです。

7. おわりに

 今回は、IAAによる機能分析を用いることによっては、スポーツ動作の目的論的意味解釈を上手く行うことは難しいということを考察しました。その理由を一言でまとめるならば、IAAによって導くことのできる効果と私たちの日常的な出来事の捉え方において効果として認める事柄の範囲が同じではないからということになります。これらいずれもが、「効果」という同じ言葉で表現されてしまうことがあるため、同じ言葉で実は指し示している内容(範囲)が異なるということに意識を向けるのが意外に難しいというのがポイントではないかと思います。

 今回の議論から導かれる興味深い教訓だと私が考えているのは、純粋な力学的分析によって取り扱うことのできる問題の範囲は、意外に小さいかもしれないということです。前節で、第三者視点から見たときの物理的状況としては同じであっても、それをどのように表現する(意味づける)かの選択肢は、必ずしも一つには限定されないということを指摘しました。このことが示唆しているのは、IAAのような力学的解析によって導かれるような因果関係のみに基づいて、この世界の出来事を意味づけるというのは、唯一絶対の物事の捉え方ではないということです。

力学的な分析によって表現可能なかたち以外の出来事の捉え方が存在しているという考え自体はそこまで驚くべきものではありません。スポーツ動作について考える際に、力学(バイオメカニクス)的思考を重視している方たちの多くは、力学的・客観的・科学的なものの見方の他に、直観的・主観的・感覚的なものの見方が存在しているという認識を持っているのではないかと思います。

こうしたものの見方の存在自体は受け入れつつも、力学的・客観的・科学的思考によっては扱いきれないものである以上、こうした観点からスポーツ動作を捉えることは、スポーツ実践の現場にいる選手や指導者に任せて、自分たちは、力学的・客観的・科学的な研究に邁進すれば良いといった立場が標準的なのではないかと思います。学生時代の私の先生の立場も、基本的にこのようなものだったのではないかと思います。

 十分に広い範囲の問題を、人間的直観・主観・感覚とは無関係の力学的・客観的・科学的アプローチによって取り扱うことができる場合には、このような棲み分けが成立しやすいと思われます。しかし、今回の議論からすると、このような棲み分けが単純には成立しないケースは意外に多いかもしれないということになりそうです。なぜなら、時間遠隔的な効果(目的論的関係)が存在するという発想自体が、力学的な出来事の捉え方から逸脱した、私たちの直観的なものの見方を引きずったものと言えるからです。

先ほどお話ししたように、力学的分析の範囲内で取り扱えないタイプの問題が存在しても構わないかもしれませんが、このような問題までもが実は力学的分析の範疇に収まりきらない可能性があるというのは、バイオメカニクス的動作解析に関わる多くの人にとって、おそらく想定外なのではないかと思います。選手や指導者の方たちも、この手の問題をバイオメカニクス的動作解析によって説き明かしてくれるのではないかと期待している方はそれなりにいるのではないかと想像します。研究者もそのような期待の声に応えたいと考えているのではないかと思います。だとすると、単純にこうした問題は私たちが取り扱うべき問題の対象から外れたものなのだと簡単に割り切るわけにもいかなくなってきます。

 したがって、課題として、遠隔的な関係を取り結びためにはどうしたら良いのかということについて熟考する必要が出てきます。IAAのような力学的な因果関係を取り扱うための方法論を既に相当程度確立されているのに対して、時間遠隔的な効果を取り扱うため考え方については、十分に整備されているとは言い難いです。そこで次回以降は、どのような枠組みで考えれば、ふるまいの目的論的意味を解釈することが可能かということについてさらに考えていきたいと思います。


次回

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