七五三から高級ソープまで
七五三で実家へ。今回、祖父母として参加した自分の親も同じような気持ちで私の七五三を親として迎えていたのだろうか。お宮参りやお食い初め、七五三などの子供イベントは家族や親戚が大勢集まる。勿論主役はお祝いされる子供なのだが、そこに集まる個人が喚起する想い出は個人それぞれであって、誰にも共有される事なく心に浮かんでいる想い出があると想像する(逆に全く何も思い浮かんでなくても、また趣深い)。みんなで生きてるけど、結局ひとりで生きてるんだよ、と思う。子供イベント以外にもある葬式や結婚式などの家族のイベントは、一人一人の人間が共時的空間の共有することで、通時的な軸における孤独を連れてくるプラットホームなのだった。孤独は繋がりの中にしかない。
大手メーカーのビールで言えば、俄然キリン派ではあるのだが、最近アサヒスーパードライも美味いのではないかと〈俺的アサヒスーパードライ見直しキャンペーン期間〉に突入している。私の認識ではキリンはビールだけで成立するどっしり目の苦めのビールであり、アサヒスーパードライは日本の居酒屋文化のカウンターとなるべく、揚げ物など食事と一緒に楽しむ辛口の鋭いサッパリしたビール、サッポロはホップ感を重視したオールマイティーなビール好きの為のバランスの取れた優等生的ビールという認識である。私は苦味のあるビールが好きなので、大手メーカー系ではキリンクラシックラガーをその頂に置いているが、アサヒスーパードライのキレ味を今更凄いと感じ始めている私なのだ。食事と一緒に、と書いたがそのまま単品でもこの爽やかさ、ビールらしからぬ感はまたクセになりそうである。なんだ、素晴らしいじゃないか、アサヒスーパードライ。日本の宝ですね。尚、この文章は七五三帰りの新幹線で娘と2人で帰る途中、娘が寝てしまい、暇つぶしにアサヒスーパードライを飲みながら移動販売のワゴンで買ったどうでもいいチクワを摘みつつ書いている文章なのであり、このどうでもいい栄養のない文章を読ませてしまった読者諸兄には申し訳ない気持ちで一杯である。尚、謝罪は致しません。プシュ(2本目)
「沈まぬ太陽」を観終わったので、次は「空飛ぶタイヤ」へ。主役の中村トオルが役にハマってない感じを感じつつも、徐々に愛着が湧いてきて、中村トオル以外に考えられないところまで自分の中で育ってきた。不器用で無骨な感じ、最高。ちょっと調べてみたところ、原作の池井戸潤は元銀行員だったことを知る。ドラマの脚本の力でもあろうが、サラリーマンにおける政治的な振る舞いをゲーム化して、見事にエンターテイメントに昇華する手腕は素晴らしいと改めて痛感。サラリーマンは人生だし、人生はサラリーマンだけど、サラリーマンだけが人生ではない。ドラマがあるかは自分次第で環境は関係ない。ドラマは自分が起こすか、そこにあるドラマを感じられるかでしか存在し得ない。自分が自分に語る物語でしかないのだ。物語だよ、人生は。自分の人生こそがドラマなのだ...一体何を言っているのだ、私は。プシュ(3本目)
The bodyshopのシアバターのボディソープの匂いと保湿感にハマり、続けてロクシタンのシアバターのソープを購入。1500円もの大枚をはたいて買った高級ソープである。石鹸如きに1500円も払うなんて、20代の俺からは全く考えられなかった。香水もAesopに変え、私もようやく大人の階段(のテンプレ)を昇りはじめた気がする。脳内にはH2Oが流れている。次はモルトンブラウンの高級ソープを。これはもしかすると、大人の階段というより女子大の階段を昇っているのかも知れないのだが。
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