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色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ

レッドツェッペリン、記号性の塊。意味や理由やバランスや、世の中のよしなしごとを駆逐していく鉛の飛行船。歌詞は徹底して〈哲学風〉であり、その言葉の意味や連なりに感銘を受ける事は私は一切ないが、全てがグルーブとして存在し、有機的に機能する。重く、果てしなく大きいただの塊である。The song remains the sameのイントロ、We're Gonna Grooveの音圧、アキレス最後の戦いのボンゾのフィルが小節の終わりに辻褄合わせで、ドドドドドドと滑り込んでくる音の漲り。こんなのリアルタイムでライブ見たらマジで人生イカれるよな。レッドツェッペリンは言わずもがな20世紀のひとつの奇跡だが、定期的にその素晴らしさを誰かに伝えずにはいられない。音楽においてロックが最先端のトレンドだった時代の遺産。

吉村弘のアンビエントに惹かれる。私は所謂アンビエント音楽には全然詳しくないけれども、シンプルなアレンジにセンチメンタルで無機質なムード。単なる癒し系環境音楽(昔流行ったfeel的なやつ)に堕しない表現とのバランス。思えば、私のアンビエントの扉を開いたのは20年くらい前のdo make say think「&Yet & Yet」であって、その前にはbloodthirsty butchersの「yamane」があったのだった。

「しょうぼうじどうしゃ じぷた」という絵本を娘の絵本棚に追加し、寝しなに読み聞かせしている。子供がいる友人にどんどん啓蒙したいと思える素晴らしい絵本。娘よ、じぷたが山火事の現場に向かう勇姿を決して忘れるな。例え報われなくても、誰かに馬鹿にされても、蓄え、自分を信じ、タイミングを待つのだ。時が来たら迷わずアクセルを踏もう。その後は天に任せよう。読み継がれるクラシックな絵本はやはり凄い。ライトな筆致と軸のあるテーマのバランス。

「いろはにほへと」について「あいうえお」の昔版の手習いの為のものという認識はあった。「ちりぬるを」までは記憶から引っ張って次げたのだが、その向こうまでは記憶になく、なんとなく気になって、ささっとインターネッツで検索。詩としてマジで完璧過ぎる。〈色即是空〉を座右の銘とする私だが、この世界に対する我が身の置き方、世界を眼差す方法論は私の思想にぴったんこカンカンである。これを一切被らない仮名で作ってしまう空海か誰か(詠み人は実際には不明らしい)は本当に凄い。いやー凄いなー。レッドツェッペリンと同じくらいすげえよ、これは。通勤電車で職場に向かっている最中にこれを読み、自分のくだらなさを感じざるを得ないのだった。

色は匂へど 散りぬるを 
我が世誰ぞ 常ならむ 
有為の奥山 今日越えて 
浅き夢見じ 酔ひもせず

都議会選挙の通知を受け取る。他人に対して「選挙に行こうぜ!」などとは全く思わないし、選挙結果にも実はあまり興味はないのだが、私は必ず行くようにしている。私は自分の問題にしかいつも興味がない、と少し反省する瞬間である。

久し振りに品川アクアパークへ。イルカショーが季節ごとに代わるので年パスがお買い得である。早くアシカのショーが再開になってほしいなあ。

youtubeでcharと布袋の対談番組をなんとなく流してたら釘付けになって最後まで一気観。Cream の Cross Roadでメジャーペンタとマイナーペンタを覚えたギターキッズだった高校生の私は、その後パンク音楽に傾倒し、ギターとそれを含めた表現という所謂アート性やポピュラーミュージックの歴史の変遷に興味や移行していったが、ギターキッズだった頃の純粋な気持ちを思いだしたのだった。弾けるようになった喜びとか初めてスタジオでデカい音でギターを鳴らした喜びとか。charはあれだけ世界の名だたるギタリストと共演し、深い繋がりがあるのに日本の歌謡界の水商売的な匂いやスナック的な土着な日本のカルチャーの匂いをプンプンと醸し、本物と似非が溢れかえるエンターテイメントの世界を揺蕩いながら、ちゃんとギタリストのプライドで一線を引いているように見える。デカい音でエレキギターを鳴らしたくなる。そろそろ、だいちゃんに電話するか。



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