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『さよなら、野口健』元マネージャーが全てを明かした前代未聞の人物ルポ

愛憎の果てにたどり着いた次世代ノンフィクションの作法

「野口健との縁が切れますように」

 最強の「縁切り神社」と呼び声高い京都にある安井金毘羅宮への参拝から始まる人物ノンフィクション『さよなら、野口健』。アルピニストの野口健さんの元マネージャー小林元喜さんが綴った愛憎劇を読み終えた時、自分の近くにいる恫喝上司も、ライバルのマウンティング野郎もなぜか許せる気持ちになっている…。長らく小説家を目指していた著者の小林さんが人生をかけて取り組んだノンフィクションは、いかにして完成したのか。

――冒頭の縁切り神社の願掛けのインパクトがすごすぎて、これからアルピニスト野口健の正体が暴かれるのかとドキドキして読み始めたのですが、意外や意外。愛憎の中に二人の友情が見事に表現されていて、読後感が最高でした。

小林元喜 ありがとうございます。野口さんとは18年来の仲ですが、僕はその間、3回も事務所を入退社し、計10年間にわたってマネージャーをつとめてきました。一緒に仕事をした10年間はそれは濃密で凄まじい時間でした。野口さんの力になっているという喜びもありながら、一方でやりたいことをどんどん実現していく野口さんの強烈なエネルギーに、自分の存在がのみこまれてしまうある種の恐怖もありました。そんな相反する感情が交差しながらも、いつかは野口健という呪縛を振り払わないと自分自身の真の人生を生きたことにならないのではないか、といった思いが大きくなっていきました。

小林元喜さん

 僕は20歳の頃からずっと小説家を志していたのですが、何度も文芸誌の新人賞に応募してもまるでダメでした。そこで戦い方を変えて、フィクションではなく、ノンフィクションの手法で野口健さんをテーマに書くことで、断ち切れなかった物書きへの夢、そして愛憎劇ともいえる野口健さんとの18年間の関係にも決着をつけたいと今回の執筆を決意しました。

――今回、『さよなら、野口健』を描くことで、“物書き”になりたいという夢をかなえたわけですよね。スローニュースはノンフィクションを楽しむメディアです。ぜひ、夢と現実が交差する『さよなら、野口健』のメイキングドラマを伺いたいと思います。

だったらオレはパンツまで脱いでやる!

小林 この本を書くと決めたのが3年前。当初は野口さんのオーソドックスな人物評伝といったイメージだったんです。あまり批評性も持たせたくなかったですし、どちらかといえば彼のことを分かりやすく描くものでいいと思っていました。ですので、著者である自分自身は一切出さないかたちで書いていました。

――それは意外ですね。本書は、野口さんだけでなく小林さん自身の人生もしっかり描かれていて、読み手は小林さんの経験を追体験するように圧倒的パワーの野口健さんに巻き込まれていく感覚が味わえます。構想が当初から大きく変わったわけですよね。いったい何があったのですか。

小林 物書きの世界にあこがれてはいるものの、プロではない素人の僕は、野口さんは有名人だから彼を題材にテクニカルに書いていけば、出版社に何かのご縁をいただけるんじゃないかと甘い期待を抱いていたんです。ところが取材を重ね、実際に書き進め、何人か知り合いの方に読んでもらって感想をいただいたりする中で、そんな甘い世界ではないと痛感しました。

――小林さんは最終的には集英社の「開高健ノンフィクション賞」に応募されたそうですね。

小林 オーソドックスなスタイルで一旦は原稿をまとめたものの、本好きな知人・友人からの反応は非常に厳しいものでした。自分の中にわずかに残っていた自信のようなものも木っ端みじんにされた感じでした。ただ、僕と野口さんの関係をよく知る親友から「野口さんの綺麗なところだけ書かれてもまったく面白くないよ。そんなもの誰が読む? そうじゃなくて何でお前は三度も野口さんの事務所に出入りして、それでも離れられずに性懲りもなくまた野口さんを追いかけてるんだ? 散々色々な面を見てきただろう? そういったことを書かなきゃダメだよ」と言われました。彼の助言は非常に腹に落ちました。ちょうど開高健ノンフィクション賞の締め切りが迫っていました。私は、これをラストチャンスとし、ダメなら物書きはあきらめようと決め、野口さんも自分自身もさらけ出して書いてみたくなりました。僕自身の感情もむき出しにして、野口さんと憎しみあったり、愛し合ったりしたことを全部、書いてしまおうと腹をくくった感じです。

「野口健公式ウェブサイト」より

 幸い野口さんからは「俺はまな板の鯉になるから、好きに書け」と言われていました。それなら本当に好きに書いてみようと思いました。ただ、人様のことを裸にして書くわけですから、自分自身のことはそれ以上でないと礼を失すると思い、あるルールを決めました。それは「野口健さんをパンツ一枚までほぼ丸裸にするかわりに、礼儀として俺はパンツまで脱ぐ」というものでした。

――すごい気概ですね!結果、開高健ノンフィクション賞の最終選考候補作にも選ばれて出版の道が開かれたわけですが、そんな紆余曲折があったのですね。ということは、書いているうちに野口さんへの思いが鮮明になってきたということですね。

気づいてしまった…野口健への愛憎の正体

小林 そうなんです。様々な方に取材をして、資料を読み込んで書いていくうちに、僕が野口さんに抱く愛憎の理由がだんだんと明らかになってきました。そして、気が付くわけです。これは、やっぱり僕と野口健さんとの18年間の愛憎劇に決着をつける作品なのだと。そういった観点では、執筆していた3年間は、自分と野口さんの関係を通して、人と人とが関わることはどういうことなのか、といったことを学ぶ旅をしてきたような気がします。

――お二人は思いが強いところが似ていますよね。野口さんは七大陸最高峰登頂を当時、世界最年少で登っている。また、橋本龍太郎さんや都知事の石原慎太郎さん、小池百合子さんなど時の総理や都知事と密接に付き合いながら富士山清掃や災害支援など、自分のやりたいことを次々に実現していきます。かたや小林さんにもエネルギーがないわけじゃない。20代のころにはあこがれだった小説家の村上龍の実家を尋ねてアシスタントになったし、石原慎太郎の自宅に直撃に行って公式サイトの運営者にもなっています。

小林 確かに似ているところはあるのだと思います。だからこそ、うまくいっている時は二人の関係は無敵状態にも感じていましたし、まわりからもそう映っていたと思いますが、その繊細なバランスが一度崩れると近親憎悪みたいな感情が湧き上がって来てとことん拗れてしまう。だから、「ずっと二人でやっていこう」と約束しながらもすぐに事務所を辞めてしまい、でも再び誘われると嬉しくなって戻ってしまう。今思えば僕の方がどうかしているとも思います。

エベレスト街道のカラパタール(5545m)登頂時 2004年

 最初に野口さんの事務所を辞めたのは20代後半の時です。野口さんのエネルギーが最も強かった時で、このまま飲み込まれるのが怖かった。「俺は健さんの野心の道具じゃない」とまで思い詰めてしまい、結局、僕は独り立ちしたくて「弁護士になる」と飛び出したのです。

――小説を書きたいという思いがあったのに、弁護士になろうと思ったのはなぜ?

小林 小説は書いてましたが、どれだけ応募してもまったくダメでしたから。小説家になるのは至難の業だと思ってました。そんな時に、父親が経産省キャリアだという慶應幼稚舎出身の女性と交際していましてね。彼女が「慶應だって東大に勝てない」「司法試験で一発逆転よ」なんて言われて、この言葉に過剰に反応してしまったんですよ。当時、ロースクールがどんどん大学に設置されていて、「司法試験も受かりやすくなった」と言われていた。「ああ、これは、こっちに行けという見えない力が働いているんだな」と安易なストーリーを描いてしまったのです。当時は野口健事務所の他に都知事だった石原慎太郎さんの事務所でもお世話になっていたのですが「司法試験に賭ける」とすべての仕事や人とのつながりを切り捨て、実家に戻りました。

 ところが司法試験のために参考書を買い込んで実家に戻ってみてはじめて気づくわけです。「あ、俺はこれをしたいわけじゃない」と。そして後の祭りですが、はじめて失ったものの大きさを知るわけです。しかも、野口さんや石原さんからクビにされたならまだしも、こっちから勝手に辞めてしまっているわけですから、自分自身を責めるしかなくなるわけです。結果、あまりの喪失感と罪悪感からうつ病を患って入院までしてしまいました。でも、自分から辞めたにもかかわらず、野口さんは「いつでも席をあけておくぞ」と僕が入院していた精神科病院に見舞いにもきてくれました。そして、再び僕は事務所に戻るわけです。「この人のもとで一生やる」と心に決めて。でも、そう誓っても、時がたっていく中で、今度は野口さん自身が情緒不安定になっていき、またもや二人の関係はどんどんナーバスになりました。結局、三度も事務所の入退社を繰り返すことになりました。

――印象深いのは、お世話になった橋本龍太郎さんが日歯連の闇献金事件で大バッシングにあったとき、野口さんは一度はホームページから橋本さんとツーショットの写真を消してしまいます。ところが、数分後には考えを改めて「元に戻して」と小林さんに指示しました。

「野口健公式ウェブサイト」より

小林 あれは実に野口さんらしいエピソードです。野口さんは行動が早いのですぐに実行に移しますが、「何か違う」と思えば、すぐに改める。朝令暮改でスタッフは常に振り回されるのですが、根底には人間に対する優しさがあるから、ハチャメチャでも惹かれてしまうし、ほおっておけなくなるわけです。「この人は俺がいないとダメだ」と思わされてしまうわけなんですね。こういった抗い難い魅力があり、離れたくても離れられない関係を続けてきたのだと思います。

――そんな小林さんを野口さんが頼りにする気持ちも分かります。二人のすったもんだは、読者としては面白くもあり、羨ましくもありました。小林さんが3度目に事務所を辞める時、野口さんは「小林、お前は本当は書きたいんだろ?」と言います。

小林 当時は二人の関係が壊れかけていて、修復できるかどうかといった時でした。そんな時に「この関係は長くは続かない」「小林はやっぱり物を書くべきだ」と言ってくる。こっちは40歳を目前にして子どもも二人。住宅ローンも抱えています。もうとっくに物書きの夢なんて諦めているのに、なんでこの人はわざわざ傷に塩を塗るようなことをするんだと思いましたね。

野口健の持つ「夢を実現する本当の力」

小林 あと、ひとつ忘れられないエピソードがあります。もう10数年以上前、マネージャー時代にヒマラヤ遠征にいく野口さんを成田空港まで送りに行った時のことです。出発ゲートをくぐろうとするその時に「小林、小説は書いてるのか?」と聞いてきたのです。その時、実は自信をもって投稿した思い入れの強い小説が落選したばっかりの頃でこっちは自暴自棄になっていたこともあり、投げやりに「もう小説は諦めましたよ」と返したんです。すると、野口さんは軽蔑したような眼をして、「へえー、もう諦めるのか?」「そりゃ~随分と早いな」と捨て台詞を残してヒマラヤに旅立っていきました。今の今までその時ほど怖い野口さんの表情は見たことがないですね。

 野口さんは自分がやりたいこと、やるべきことをしっかりと実現してきた人生だから、人にもそうあるべきだと考えているふしがあります。そこには人知れぬ努力をしてきたという自負もあると思います。さらに他にも彼には恐ろしい力が備わっています。それは人の本質を見抜いてしまうことです。つまり、僕がマネージャーの仕事で一生を終えたいと思っていないことは、野口さんには最初からお見通しだったのです。

――だから「書いてるか」と小林さんに問い続けるんですね。でも、小林さんには辛い問いかけでも、それが原動力となっていった。

小林 その通りです。僕が『さよなら、野口健』を書けたのは、やはり野口さんの圧倒的なパワーが介在していたからだと思います。

 野口さんの凄さは、たくさんありますが、中でも総理をはじめ政治家でもスポンサー企業でも関わる人たちみんなを自分のやろうとすることに巻き込んでしまうところ。さらにもう一つ強烈な特殊能力を持っている。それは思い込みの強さ、現実まで歪曲してしまう力です。

――それが本書に登場する植村直己さんと奥さんのエピソードですね。確かにあれはすごい。

小林 マッキンリー単独登頂後に消息を絶った植村直己さんは冒険に行く前に奥様と必ず行うとある儀式がある。そう野口さんは信じ込んでいました。そして野口さんは、エベレストに行く前に願掛けにと植村直己さんの奥様にその儀式をやってもらったというエピソードが雑誌にも書かれています。ところが僕が植村夫人に取材してみると、そもそもそんな儀式自体がなかったということがわかりました。驚いて、それを野口さんに質してみても「絶対にそんなはずはない」と頑なに反論するのです。

――それは野口さんが演出しているということではないのですか。それが現実だと本当に信じこんでいるのでしょうか。

小林 僕が取材を通して感じたのは、野口さん自身は完全に信じ込んでいて、野口健にとってはそれが現実になっていたと思いますね。最初は物語にして自分の頭の中に描いたのかも知れません。ところが、そのイメージの力が強すぎて、いつしかそれがすっかり彼の中で現実になってしまう。

アジア・太平洋水サミットにて 2007年

 アップルの創業者のスティーブ・ジョブズは、彼の行動力と実現力、周囲への影響力を「現実歪曲フィールド」と指摘されていましたが、野口さんにもそれがある。現実を歪曲してしまうくらいの気持ちでやらないと、世の中は変えられないし、やりたいことはできないということでしょう。

――その力が、小林さんの念願がかなったことと関係していると。

小林 そう感じています。僕も、野口さんに「書けよ」「書けよ」と言われて続けて、結果、20年越しの念願がかなって本が出版となったわけですが、野口さんはそのことについて軽く「ほらね」と言うんです。「ほら、できただろ」「な、言っただろ」「な、叶うだろ」と。彼は自分の夢に留まらず、僕の夢までをも現実化してみせたわけですよ。こう考えてしまうと、関係に決着を着けたかった僕としては、まだまだ野口健の掌に乗せられているのかと愕然としてしまう気持ちもあったりします。

――だとしたら、野口健とはなかなか恐ろしい人ですね。

小林 確かにそうですね。でも彼は僕にこう言ったわけです。「好きに書け」「俺はまな板の鯉になる」と。だったらこっちも真剣勝負だと思いましたね。ヨイショ本になんて絶対しない。そうではなく野口さん自身が読んだ時に「おいおい、何てものを書くんだよ」と言うくらいに人間存在に迫る怖さのある作品にしないとダメだと思った。だからこそ、野口さんと差し違えてやる気持ちで書き抜きました。野口さんは「出版されるまで俺は絶対に見ない」と言い続けて、本当に出版されるまで中身を一切確認しませんでした。最終的に出版された本を手渡し、読了された後に野口さんには「おいおい、本当にここまで好きに書くやつがあるか! 普通はもっと遠慮するものだろ!」と言われました。野口さんの嫌なところもとことん描き切ったあの内容を受け入れてくれたことに、驚きましたし、やっぱりデカいなと思いましたね。

編集者との共同作業は極上の体験だった

――集英社インターナショナルから刊行されることになり、連絡をとってこられたのが、編集者の田中伊織さんでした。本書のあとがきには、田中さんと作業する喜びが綴られていますね。

小林 田中さんが担当になってくれて、プロの編集者とのやり取りが始まるわけですが、そういった体験は僕には初めてのことです。これがすごくうれしかった。田中さんのご指摘に自分の中の潜在意識が刺激されて、自分でも気づいていなかった野口健さんへの感情が掻き立てられていくようでした。妥協を許さないプロフェッショナリズムで、1の力が10になる、そんな極上の体験でしたね。

 校閲の方もすごかった。僕が全く気づいていなかった時系列の誤りを指摘されてこられたのですが、これには驚きました。たとえば、野口さんの長女の絵子さんがまだ生まれていなかったときの飲み会なのに、初稿では絵子さんが生まれていることになっていた。野口さんとは頻繁に飲んでいましたから、記憶がごちゃ混ぜになっていたんですね。きっと僕だけなら100回読みなおしても気づかなかった。職人技だなと思いました。

――今日は、編集者の田中さんにもインタビューにお付き合いいただいているので、せっかくですので、編集の妙味を教えていただければ。

田中伊織 野口健さんの本はたくさん出版されているので、通り一遍のものでは関心を持たれない。ですが、マネージャーだった小林さんがご自身のことを野口さんに絡ませて描いていくことで、実に趣深い作品になっています。その構成は、言うなればクエンティン・タランティーノが脚本し、ロバート・ロドリゲスが監督した映画「フロム・ダスク・ティル・ドーン」(米1996年)に似ています。この映画が前半はギャングものだったのに、後半からはモンスターが登場して壮絶な痛快アクションに様相が一変します。本作も後半からは、野口さんと小林さんの愛憎が入り交じって怒涛のようなバトルに発展していくのですが、前半は野口さんや小林さんの生い立ちや人生が静かに説明されていきます。ですから課題は、前半を如何に飽きさせずに読んでもらえるかということでした。

――なるほど!まさかあのB級映画の最高峰にして不朽の名作『フロム・ダスク・ティル・ドーン』が例に挙がるとは思いませんでした。実に分かりやすいです。

田中 たとえば、本書の前半には小林さんの初体験のシーンが登場しますが、当初、それが本当に必要なのかと他の編集者たちと議論になりました。私もここはいらないのではないかと思ったのですが、しかし、全体の構成を考えていくうちに考えが変わりました。やはり初体験のシーンがあったほうが、より小林さんのキャラクターが印象付けられるだろうと思ったからです。

本作を読んでいただければわかると思いますが、対象の野口健さんとの距離感がうまく保たれています。そのうえ表現力が豊かで筆力がとても高い。

 小林さんご自身のことも赤裸々に描いてしまう覚悟と対象となる野口さんとの距離感、そこに筆力が加わって力のある作品に仕上がったと思います。

――まさに小林さん自身が自分をさらけ出すことで、本当の野口健さんが浮かび上がっています。丸裸にされてしまった野口さんは、どんな感想を持ったのか、詳しく教えてください。

「小林、ちゃんと生きろよ」

小林 本が完成して発売日もせまったころに野口さんに手渡しました。その翌日には読んでくれたと思います。一言だけ「僕よりも僕のことを知っている人がいた」と呟いていました。野口さんは、本を読んだオフィシャルな感想を動画で公開するつもりだったようなのですが、後日、「やっぱりやめた」と言ってきました。そこがまた野口さんらしいのですがね。

――もしかして、怒っちゃった…?

小林 いえいえ、そうではなくて出版後に野口さんのところにいろんな人から感想が届いたそうなんです。アマゾンのレビューにも感想が書かれています。それを読んだ野口さんは「当事者である自分が感想を述べるべきじゃない」と思ったらしいのです。

――それはまた凄い話ですね。あれだけ自分のことを赤裸々に書かれると自分なりのエクスキューズをしたくなるものですが…。

小林 そうなんです。野口さんは純粋に僕のためにも感想を述べないとならないと考えていて、僕もそれを楽しみにしていました。動画撮影にはプロのインタビュアーを入れて質問事項を作り本格的に制作されたようです。ところが、野口さんはその映像を何度も見返しているうちに「これは違うわ」となったと。「この作品は読み手に自由に感じ取ってもらうものだね」「自分がこの作品に感想を述べて、介入すべきじゃないな」と言っていました。

――「好きに書け」といった自分の言葉に責任をもっているのでしょうね。

小林 そうなんだと思います。あらためて凄みを感じました。そして、野口さんはこう言うのです。「小林。次だ」と。「さっさと切り替えて次を書け。鉄は熱いうちに打つんだ。人間には勝負どころというものがあるわけだから」と。

八ヶ岳登山 2007年

 結局、野口さんは「小林、人生がつらくてもちゃんと生きろよ。お前のやりたいことはちゃんと叶うぞ」というメッセージをずっと発信し続けてくれていたんですね。僕はきっと野口健のその優しさに魅了されていたんでしょう。その野口さんの思いに、応えられたことが本当に嬉しかった。

 本音をいえば、もう少しこの本を完成させた余韻に浸っていたいですが、次の作品に取り掛かりたいと思います。あ、でも、これじゃあ、また野口さんの作戦にひっかかってますね(笑)。


小林元喜(こばやし もとき)
1978年、山梨県生まれ。法政大学経済学部卒業。早稲田大学大学院公共経営研究科修了。法政大学在学中より作家の村上龍のアシスタントとしてリサーチ、ライティングを開始。『共生虫ドットコム』(講談社)、『13歳のハローワーク』(幻冬舎)等の制作に携わる。卒業後は東京都知事(当時)の石原慎太郎公式サイトの制作・運営、登山家の野口健のマネージャー等を務める。現在に至るまで野口健のマネージャーを計10年務めるが、その間、有限会社野口健事務所への入社と退職を三度繰り返す中で、様々な職を転々とする。現在は都内にあるベンチャー企業に勤務。本作が「第19回開高健ノンフィクション賞」最終候補にノミネート。刊行にあたり全面改稿を行った。
『さよなら、野口健』小林元喜・著 集英社インターナショナル刊 定価2,090円(税込み)