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原子炉・加速器で癌を治す 第5回 承認

取材・執筆:下山進

 頭頸部癌は腫瘍の縮小を治験の評価項目におき、承認を勝ち取る。しかし、脳腫瘍には、ウイルス療法という強力なライバルが現れていた。BNCTは「圧倒的な結果」を出すが・・・。

 福島にある南東北BNCT研究センターには全国から、頭頸部癌の患者が集められた。切除不能の再発頭頸部癌か、切除不能の進行性の頭頸部癌の患者のみがこの治験に参加できる。

 21人の患者が集められ、ステラファーマのホウ素剤と南東北BNCT研究センターにある住友重機の加速器でBNCTを受けるフェーズ2の治験だ。

 これは比較対象群のないいわゆる「シングルアーム」の治験だ。だから「切除不能の再発頭頸部癌か、切除不能の進行性の頭頸部癌の患者」という厳しい条件が課せられたのである。これは、手術もだめ、化学療法もだめ、放射線治療も限界いっぱいまでうけたがだめ、という患者という意味である。ただし、手術は、手術を拒否した患者もこの中にいれられた。これは後に大きな意味をもってくる。

 治験の成否を決する主要評価項目(primary endpoint )には90日後の腫瘍の縮小の度合いとなった。病院にもステラファーマや住友重機にも関係のない第三者の検査機関がその腫瘍の縮小を評価する。

71.4パーセントの奏功率

 2016年6月から2018年2月の間に、BNCTの照射をうけた患者は、この第三者機関による画像検査をうけた。

 その結果は驚くべきものだった。

 21人のうち5人(24パーセント)は腫瘍が完全に消失した。10人は30パーセント以上の腫瘍の収縮が見られた。変化がなかったのは5人。

 これを癌の治験の用語で完全奏功、部分奏功というが、完全奏功と部分奏功をあわせると71.4パーセント。通常の抗がん剤の場合は、2割程度しか奏功しないから、これは「圧倒的結果」と言えた。

 このBNCTによる治験は、「さきがけ審査指定」をうけていた。これは2015年にできた制度で、①既承認薬と異なる新作用機序であること、②一刻も早い実用化が求められる生命に重大な影響がある重篤な疾患に対する療法、③対象疾患に対して既存の治療法と比べて大幅な有効性が認められるもの、④世界に先駆けて日本で早期開発・申請されるものについて指定される。

 この指定をうけると、承認審査の期間が通常1年かかるものが、半年で済む。実際には、審査をうけつけた時点で承認がされることが予想されるものだ。

 こうして頭頸部癌については、「切除不能な局所進行または局所再発の頭頸部癌」について、BNCTを行うことが、2020年2月10日に、承認されたのである。

 ただし承認には条件がついており、「全症例を対象に使用成績調査を実施」することが義務づけられ、その調査期間は8年とされた。2020年6月には、保険での治療が可能な保険収載が決められ、BNCTをうける費用450万円から500万円の7割~9割を保険でカバーすることも認められたのである。

オプジーボ 

 とうとう日本人の科学者はやった。アルゼンチンのブエノスアイレスで、アマンダ・“マンディ”シュイントは、喜びを噛みしめながら、BNCTによる頭頸部癌の治療が、世界で初めて日本で承認されたニュースをメールで知った。

 アルゼンチンでは、2002年9月のドイツ・エッセンの加藤逸郎の発表を見た直後に、悪性黒色腫に対するBNCTを7例行った。ところが、その後、原子炉の燃料替えという事態が起こって原子炉を使えなくなってしまい研究が停滞する。アルゼンチンではすべての出来事がスローだ。原子炉の燃料替えも7年もかかってしまった。2015年にBNCTの悪性黒色腫に対する治験を再開するが、このときすでに、BNCT以外の治療法が悪性黒色腫で承認をされていた。

 ニボルマブ、商品名オプジーボである。京都大学医学部の本庶佑(ほんじょ・たすく)の研究チームが開発したこの薬は、悪性腫瘍のがんが、免疫細胞から逃れることに着目し、その逃れる機能を抑制する薬だった。

 この免疫チェックポイント阻害剤が出てくると、治療の地平ががらりと変わったのである。つまり医者は、わざわざ患者をBNCTの治験に送ろうとは思わないのだ。効果のある薬があるのだから。しかも、点滴で投与可能で、加速器や原子炉を使うなどという大仰なことをしなくて済む。

 がんの治療法の場合、アルツハイマー病の治療法の開発とは違って、まったく予期せぬ方法で頂上にアタックする部隊がいて、それまでこつこつと積み上げてきた治療法を出し抜くことがある。オプジーボは、免疫細胞の働きというまったく新しいアプローチから悪性腫瘍に効果のある方法を考えたということになる。

 アルゼンチンで2015年に行われたBNCTの臨床研究はたった一件のみ。それは、悪性黒色腫でも、このオプジーボが効かない患者に行ったのである。

 アルゼンチンのBNCTの実施例は、2002年からの悪性黒色腫の7例と、2015年のオプジーボに耐性をもつ悪性黒色腫に対してだけだ。

 マンディは、日本人の科学者が、頭頸部癌で世界に先駆けてBNCTを実現した理由を、米国人の研究者の意地悪な質問に切り返した日本人の学者の答えに求めた。

「われわれは患者ひとりひとりのプロトコルをもってやっている」

 2001年の時点で、頭頸部癌の患者にBNCTを行ったのは、なんと独創的で、勇気があったことだろう。

  地球の裏側でこのアルゼンチンの科学者は日本の科学者に対して惜しみない拍手を送っていた。

ウイルス療法の登場

 オプジーボの悪性黒色腫への承認が、BNCTの悪性黒色腫への承認のハードルをあげたように、脳腫瘍でも、彗星のようにライバルがあらわれていた。

 遺伝子工学を利用した改変ウイルスによってがん細胞だけを叩くというウイルス療法である。

 BNCTが物理学の1920年代の革命によって生まれた療法だとすれば、ウイルス療法は、1980年代、90年代に花開いた遺伝子工学によって生まれた療法だった。

 もともとは、アフリカでリンパ腫の子どもがはしかにかかり、高熱を発して、症状がおさまった時に完全寛解していたという報告が、1971年の「ランセット」という医学ジャーナルに報告されたことから研究が始まった分野だった。80年代になって、遺伝子の構造を人工的に改変できるようになってさかんになった。実は、BNCTの悪性脳腫瘍グレード3、4の治験の調整医師を勤める大阪医科大の宮武伸一も、1990年代にジョージタウン大学に留学した際には、このウイルス療法を研究テーマに選んでいる。

 アデノウイルスやヘルペスウイルスの遺伝子を、正常細胞には無害に、がん細胞だけを殺すように改変するのである。

 宮武は、90年代当時、遺伝子療法は安全性の問題がクリアできるのがまだまだ遠い将来のことと考えて、帰国後はBNCTの道を追及することになる。

 その宮武といれかわりに米国で、このウイルス療法を研究し、日本に帰ってきてから、ヘルペスウイルスを癌細胞だけを殺すように改変したものを使って治療法を開発してきたのが東京大学の藤堂具紀だった。

 藤堂は単純ヘルペスウイルス1型に注目した。その理由は人のあらゆる細胞に感染できる能力を持ち、細胞を殺す力が比較的強く、しかも抗ウイルス薬が存在するのでいつでも治療を中断できる、という点にあった。この単純ヘルペスウイルスの遺伝子を三カ所改変する。そのことで癌細胞では改変されたウイルスは増殖するが、正常細胞では増えなくなる。この改変ウイルスにがん患者を感染させれば、がん細胞のみを選択的に叩けるというわけだった。

 2009年に東京大学で臨床研究が始まり、5年間安全性を確かめた後に、フェーズ2の治験に入ったのが、BNCTの脳腫瘍に対するフェーズ2治験に先んじること10カ月の2015年4月、対象はBNCTの治験の対象患者と同じ膠芽腫の患者、治験の主要評価項目もBNCTと同じ一年生存率。

 ただ、この単純ヘルペスウイルス1型を改変したG47Δ(デルタ)の治験は、企業主導導治験ではなく、医師主導治験。藤堂らが、治験の枠組みを自由に設定できた。

 そしてG47Δも「先駆け審査指定」をうけていたのである。

悪性脳腫瘍、治験第二相 

 BNCTの脳腫瘍に対する治験のフェーズ2は2016年2月から開始された。27人の再発した膠芽腫(うち24人はステージ4の悪性膠芽腫)の患者を対象にBNCTを実施する。京大原子炉実験所、大阪医科大、総合南東北病院、国立がんセンターの四つの施設を使って行われた治験である。

 主要評価項目は一年生存率、副次的評価項目にもともと宮武が希望していた全生存期間と、PFS(Progression Free Survival ) というBNCT照射から腫瘍が増大するまでの期間のふたつをもうけた。腫瘍の増大をこの治験でうんぬんすることの意味がないことを、宮武は主張したが、これも企業側にはいれられなかった。脳腫瘍の場合は、脳細胞の壊死による偽進行がかならずおこる。それもPFSでは画像上の増大としてカウントされてしまうから、数値は極端に悪くなる、宮武はそう主張したがうけいれられなかったのである。

 2016年2月に最初の患者が照射をうけ、最後の患者は2018年7月の照射だった。

 それからの一年生存率は、79.2パーセント。全生存期間の中央値は18.9カ月。

 この数字は、抗がん剤のアバスチンを使った治験の数字と比較すれば「圧倒的」といえた。アバスチンの場合は一年生存率が34.5パーセント、生存期間の中央値は10.5カ月だったからだ。

 再発後半年で患者は亡くなると言われている悪性膠芽腫で1年半に余命を伸ばしたのだ。

 しかし、治験を審査するPMDA(医薬品医療機器総合機構)は承認申請をうけつけようとしなかった。

ウイルス療法の承認 

 最初PMDA側は、宮武が、壊死の対策としてアバスチンを投与していることに注目、これでは、BNCTがよかったのか、アバスチンが効いたのかわからないではないか、という言い方をしてきた。しかし、アバスチンは関係はないのは明らかだ。抗がん剤としてのアバスチンはせいぜい4カ月程度余命を伸ばす効果しかない。

 宮武は脳神経学会を通じて学会要望をして、PMDAが申請をうけつけるよう、学会に働きかけた。すると学会からの情報を通じて、東大の藤堂具紀もウイルス療法の治験を終えて、そのデータで「先駆け申請」をうけつけてくれるよう学会要望を出すよう働きかけていることがわかった。

 2020年の年末に広島で開かれた学会で、PMDAが、藤堂のウイルス療法の治験の結果をもって、承認申請をうけつけたことがわかった。

 そして2021年5月24日、藤堂らが開発したG47Δ(販売名 「デリタクト注」)が承認されたことがわかる。

 承認された際公表された審査報告書で、G47Δの成績を確認してみる。

 13例の一年生存割合は92.3パーセント。全生存期間の中央値は20.2カ月。

 たしかに、BNCTの数字よりはいい、しかしほとんど変わらないとも言える。なぜあちらが承認され、こちらは申請をうけつけてもらえないのか?

 PMDAとの交渉で、治験を行った三施設で、同じ時期にBNCTをしなかった膠芽腫の患者のデータと比較して再提出をすることになった。

 しかし、これも、三施設のうち二施設は優位差がついたが、国立がんセンターでは、優位差がつかず、認められなかった。

 そして今は、全国の治療施設から、膠芽腫の治療をうけて、遺伝学的にもスコアがほぼ同じひとたちのケースを集めてそれと比較するというデータセットをつくっている。その新しいデータセットをもって、再再度、PMDAに働きかける戦略だと、ステラファーマの浅野智之は私に語っている。しかし、これが認められなければどうなるのか?

 ウイルス療法のデリタクトは第一三共製薬が製造し販売する。同じグレード3、グレード4の脳腫瘍に対して承認をされている。承認は7年の期限をくぎって販売後も全症例についてフォローをするという条件付きの承認であったが、承認は承認だ。しかも、あちらは腫瘍内に投与する注射で済む。オプジーボの黒色メラノーマに対する承認で、BNCTの承認のハードルがあがったように、ウイルス療法が標準治療となる可能性が高いので、BNCTの承認のハードルはあがったと言える。

 1980年代の遺伝子工学によって生まれた治療法が、1930年代の物理学の革命の中で生まれた治療法をだし抜いたことになる。

シングルアームの難しさ

 そもそもの難しさは、グレード3、グレード4の脳腫瘍の場合、画像診断ができないこということにあった。そのため、腫瘍の収縮を頭頸部癌のように治験の主要評価項目におくことができない。しかし、宮武自身は、この腫瘍の縮小を評価項目にすることについては、意味のないことだと考えていた。

 いくら縮小しようと、部分奏功ではがんは残っている。また完全奏功といっても、画像上癌が消えるだけで、画像がとらえきれないような癌細胞自体は残っているかもしれない。

 だから、全生存期間で見るのが、フェアなのだと宮武は考えていた。一年生存率でも、その病気の治療の一部しかとらえられていない。

 また、比較対象試験をもうけないシングルアームの治験の難しさもあった。BNCTを行った27例と同じ条件の患者をあとから探してそのデータを比較するというやりかたは説得力という点で非常に難しい。

 宮武は、画像診断ができる髄膜腫の治験を、PMDAから資金をもらい「医師主導治験」で行うことになるが、この髄膜腫では脳壊死の問題がなく、画像診断ができるので、シングルアームではない比較試験を試みている。

 同じ条件下で、比較対象群をもうけることで、治験の結果はより説得力をますのである。

 高悪性度髄膜腫を対象にした治験で、わが国での患者数は年間1500人程度。放射線治療後再発をした高悪性度髄膜腫の予後は非常に悪く全生存期間の中間値は24.6ケ月の病気だ。髄膜とは脳をおおう膜のことでここに腫瘍ができる。

 この治験の設計は、患者18人のうち3分の2にあたる12人がBNCTの照射をうけ、残りの6人は主治医が考えるBNCT以外のベストの治療法をとるという形になっている。そして画像診断で病状が進んでいると判断された場合は、対象群から、救済措置でBNCTの群にいれることを許容している。そうすることで、倫理的問題を回避している。

 この治験は、フェーズ2が2019年8月より開始され、すでに12人の照射を終わっている。この後3年をかけて、全生存期間を対象群の6人との比較のうえで見る。

 つづく

証言者・主要参考文献

宮武伸一、Amanda E..Schwint,、小野公二、浅野智之、平塚純一

デリタクト注 審査報告書 独立行政法人医薬品医療機器総合機構 2021年5月13日

“Accelerator-based BNCT for patients with recurrent glioblastoma: a multicenter phase II study, ”Shinji Kawabata , Minoru Suzuki, Katsumi Hirose , Hiroki Tanaka , Takahiro Kato, Hiromi Goto ,Yoshitaka Narita , and Shin-Ichi Miyatake, Neuro-Oncology Advances, 20 May 2021

「BNCT 臨床研究の展開と展望」第51回 鹿児島放射線治療研究会、2021年7月16日 宮武伸一

※1 東京大学の藤堂具紀の研究室に手紙を送って取材を依頼したが、助手が電話に出て「多忙によりうけられない」とのことだった。その後藤堂のメールアドレスに直接二度、「期限をもうけないので、受けてほしい」と依頼をしたが、返事はなかった。

冒頭のサムネイル Photo/Getty Images