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「国立障害者リハビリテーションセンター聴能言語専門職員養成課程」

 さっそく、「言語訓練専門職員課程」のある、所沢の国立障害者リハビリテーションセンターへ電話をして「見学をさせて下さい」とお願いをした。今、調べていてこの長い学校名が蘇った。STになると周りは「国リハ」と呼んでいたが、正確には記事タイトルのようだ。学生は履歴書の一行にこの学校名を押し込むのに苦労したのではないだろうか、、、😅

 1989年のGWの頃だった。丹沢山に登り山小屋に一泊。翌日爽やかな五月晴れの中、下山して行くと富士山が眼前に現れた。当時は絵が趣味の一つで、山行にはスケッチブックと絵具を携帯していた。決して上手くはないが、大きな富士を目の前にして描かずにはいられない。腰を降ろして写生した。下山して、生まれて初めてだったろうか、ヒッチハイクで所沢へ運ばれた。

 その日はリハビリテーションセンターの近くの小手指に住んでいた大学時代の親友宅に泊めてもらった。当時彼らには1歳半くらいの息子がおり、私の職業変更の意志も知っていた親友は、夕食後「息子がまだ一言も喋らないんだよな、、」と言う。「ふーん、そうなんだ、、」と私。早速息子の前にミニカーを並べて「パトカーはどれ?」と検査のようなことをやった。そうすると、全て指差しをした。が、確かに声は出さない、、その時の写真がある。もちろん、その後立派に育ちました!🤗

 翌朝、センターはタクシーですぐだった。登山リュックを担いで職員室に入って行くと小寺富子という先生が暖かい笑顔で迎えてくださった。当時は知る由もなかったが、言語発達障害の分野で著名な先生だった。前記事で書いたように、昭和の時代、STは一般社会では全くと言って良いほど認知されていなかった。その日見学をさせてもらった別の先生が「給料安いわよ」と、、その言葉と場面がなぜだか記憶に残っている。後に就職した病院での給与は確かに私が勤めていた会社の半分を超えたくらいだった。

あれから30年以上、、現在STの資格者は4万人ほどだが、依然として職業認知度は低く、給与もおそらく安い方だろう。資格化後少しは上がったとは思うが。。

もちろん、給与の多寡はその時の私にとって問題ではなかった。

 その日、男女二人の先生に臨床場面を見せて貰ったお陰でSTや職場のイメージを掴むことができた。小寺先生にお礼を言って『国立障害者リハビリテーションセンター聴能言語専門職員養成学校』を後にした。

🔗国立障害者リハビリテーションセンター

📕この頃読んだ本
「甘えさまざま」土居健郎 弘文堂
「食養といううこと」茂兼 仁 東明社
「自己実現」上田 吉一 誠信書房
「アウグスティヌス講話」山田 晶 新地書房
「行人」夏目漱石 角川文庫
「続)岳物語」椎名誠 集英社文庫
「学ぶこと」加藤諦三 大和出版



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