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スキとフォローのお礼

スキとフォローへのお礼を込めて書きます。


連日、頭に思い浮かぶ文章を書き写してはNOTEに投稿していました。エッセイに評価が来ることが嬉しくてハマっていたのです。


すると不思議な感覚になってしまった。


言葉でないものがきれいに見えるのです。


皮肉ですね。


特に植物にそれを感じる。
物言わぬ花に感じている。


最も言葉から離れた存在だからでしょうか?
だから無性にカメラで撮りたくなって最近のNOTEはNOTEらしからぬ、映像と写真だらけになってしまいました。それでも読者の皆さんは広い心でスキを送ってくれて、懐深い優しさを感じました。


ありがとうございます😊


もしかして私のくどい、引き下がらぬ文章に疲れて、私と同じ感覚になったりして。
書けば書くほど現実にまみれ、筆が濁るものです。こうやって植物に触れる時間があると、魂に張り付いた言葉が、かさぶたのように剥がれおち、再び何かが見えてきます。


あらためてスキを967個押してくれてありがとうございます。もちろんフォロワーさん37人も同じです。フォローバックしてないのにフォローしてくれたのは私の心の支えです。

NOTE新参者ですが、これほどスキやフォローを獲得するのが難しいものなのかと実感しています。スキにも色んな意味がありますよね。

「役に立った」
「応援してます」
「感動した」
「同意する」

私の記事は

便利情報やお得情報ではないので役には立たない。

一生懸命頑張っているわけでもないので応援でもない。

何かすごい人や出来事と出会う物語でもないので感動でもない。

賛同を求めて提言しているわけでもないので同意でもない。

私の記事は

自分の精神を落ち着かせるための足掻きのようなものです。自己紹介にも書きましたが自分に向けてのメッセージです。この自分というものが、もしかしてあなたの自分と同じであれば伝わるかもしれないと思っています。自分の内面を深く覗き込んでなんとか吐き出した記事に一つスキが付けば「おお〜」という感じです。逆に多く付き過ぎると少し怖くなります。今のところ怖くないですけどね。

他の作品を見てますと桁違いのスキやフォロー多さに驚いてもいます。

記事の内容も様々ですね。

いろんな物事を学んだり感じたりする中で、選択によって自分らしさが出てくるのだと思います。皆さんの多様な作品は自分らしさの結晶です。それが魅力につながっていると思います。

しかし自分らしさはそれぞれの条件や環境で作られるものでも、その根源は共通だと思います。

わかりやすく言えば、我々は神の触手のようなもので、神の代理人として真実をこの世に花開かせたいともがいているのです。神と言っても宗教っぽい神ではなく、「お天道様」ってくらいの感じです。それは日常に寄り添っている神です。

そして色々あって人生を終えて元に戻っていく。

そういう意味では頑張ってブログを書いている人たちは、あったかもしれない自分の可能性の一部だと思えて来ます。

現実にまみれることで、いびつさや、不完全さや、醜さにからめ取られそうになって犯罪や悪に墜ちていく人もいますが、それらに打ち勝つ人は勲章のように個性がついてくる。

すべてを終えてかつての元へ帰る時、古傷を自慢するように自分の個性を語ることでしょう。

若い頃、時代も国も歴史も性別も年齢も、何もかも違う人が書いた本の中に、恐ろしく自分と似たテキストを発見することがありました。その時は驚きましたが、しばらくして興奮が収まると、ああ同じなんだと気付きました。

スキやフォローは「あっ同じだ!」という共感ではないでしょうか?
そうやって答え合わせは進んでいくのだと思います。

我々は別なように見えて実は同じなのだと思います。空気を読んだり、間を感じたり、行間を読み取ったりできることがあるのはなぜでしょうか。同じものが共鳴する時にそれらが起きる。「わかる!」とはそういうことではないでしょうか。

私はそれに根拠なく賭けています。死んだ時が答え合わせです。もし無であっても、それに悔やむ私もいません。つまり勝ちしかないわけです。

最近のYouTubeを見ていると馬や犬や猫やイルカにもそれが感じ取れるのです。子供を見る眼差し、反省した顔、仕事なんてほっぽり出して遊ぼうとするところ、幼児に対する優しい手。

そしてモフモフされて頭を突き出す地蜘蛛にも。

皆同じ?

いや全て同じかもしれない、、、、、、、、、、。

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