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「例外なき法則はあるのか」 

「絶対はある」と言った人が落ちぶれて行くのを何度も見た。

言論上、振り上げた拳は降ろせないのだろう。

つまり、経験的には「絶対はない」と感じている。

しかし、「絶対はない」という言葉は成立しない。

「〜はない」というのが絶対を前提としているからだ。

言葉はどうしようもなく不完全だ。

絶対はないと言うそばから絶対を宣言している。

付き合いきれない。

会議の場では「絶対はある」側が常に優勢だ。

「絶対はない」側は相対化されて埋もれていく。

挙句の果てに反対するなら代案を出せと迫られる。

代案とは、「別の角度からの絶対」のことである。

会議は絶対教の集会に過ぎない。

しかし、議会一致の「絶対」は、いずれ崩壊する事を、私は経験的に知っている。

しかし、反対する言葉を持っていないだけだ。

意見がないのではない。

そんな言葉が存在しない事を知っているだけだ。

優れた法律は含みを持たせている。

優れた国家は法律が少ない。

優れた人間は言葉との距離感が絶妙である。

含みのない法律が溢れかえる国は

形骸化して崩壊する。

私はそれを止める言葉を持っていない。

もしかしたら、言葉そのものを持てないのかも知れない。

自然界を見渡せば、人間以外の生命は言葉を禁じられているように見える。

もちろん知性の問題だと言えるが、知性という問題において人間は言葉を使えていないのではないか?

追記
そのうち書くであろう「白いクマについて考ない」に続く。


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