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点に向かうもの
思考
努力
意志
目的
目標
視座
視点
全て点に向かっている。
点に向う時、全体からのシグナルを無視してしまう。
点に向う時、客観性を失っているというか客観できない。
集中しているとは、ずっと点にこだわっていること。
あ~恐ろしい。目が点になる。
人間がそうならば、世界経済も、世界行政もそうなる。
だから、何もしない。
だから、全否定になってしまった。
もう何もできない。
ひたすら瞑想するしかない。
今のままでは、
生きることは、
行動することは、
暴力だ。
何もするな。
存在が迷惑だ。
何が間違っているのか?
無意識が壊れている。
無意識こそ点に向かうものなのだ。
今は壊れた無意識が点に向かっている。
だから問題であり、全否定なのだ。
天然の無意識がもう無い。
それは、ほとんど捨ててしまった。
残されたのは自力の論理のみ。
自作自演の自己満足世界に震えるな、
しらけると言うな。
人間が背負った宿命だ。それしかない。
無意識で生きて世界と調和できる天使のような存在に憧れる。
しかし、失ってしまった。
ただ受け入れて、
たまに論理的にかわして、
そうやって生きていける場所がないものか?
天然の無意識も失ったが、
天然の場所も失っているようだ。
自前の理性でなんとかするしかない。
don'tthink.
feel.
とか言ってたけど。
残念ながらthinkしか残ってない。
feelには憧れるしかない。
天然無意識への憧れを心の支えにして、
理性のみでしのいでいく。
これが現実である。
論理的思考による形骸化に対しては、
天然の無意識によるフィードバックがあればこそ戦える。
しかし天然の無意識を失い、
人工の穢れた無意識ではどうしようもない。
しかも、論理的思考は補強に過ぎない。
現在問題になっているのは、穢れた無意識の補強を論理的思考が担っていることなのだ。
無意識に任せて生きてはいけない。
それは憧れに留めるべきだ。
単なる論理的思考も駄目だ。
頼れるのは理性のみ。
僅に残った天然の無意識と論理が組み合わさって理性になる。
たったこれだけしか武器がないのだ。
でもここが折り返し地点だ。
ゴースト(陰)がそうささやくのよ。
ねっバトー。
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