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自分がつかんで離さないもの

何度思い出しても腹が立つ、憎い、悲しい、そんな感情が湧き上がる思い出ってありますよね。
思い出すたびに嫌な気分になる記憶、それは自分自身が手放さないようにしてるだけって言われたらどう思いますか?

私にも思い出すたび腹が立つし、悲しくなる思い出があります。

それは三男出産のとき。
私は身体が小さくて、赤ちゃんの頭蓋骨が私の骨盤から出られないと判断されたため、長男出産のときに帝王切開をしました。
なので三男出産のときももちろん帝王切開。
産後は術後でもあるので身体には相当ダメージを負っています。

三男出産後のベッドの上でもうろうとした意識の中、夫は私の頭をポンポンと2回たたいて病院から出ていってしまいました。
何の言葉がけもなかったと思います。
というのも遠方の里帰り出産だったので、仕事が立て込んでいた夫は私の出産を待ってすぐに仕事場へ帰ってしまったのでした。
里帰りは訳あって夫の実家にお世話になっていたので、義理の母親や兄妹が助けてくれ、夫がいなくても大丈夫ではありました。

さすがに「がんばったね」とか「おつかれさま」くらいは声をかけてほしかったなー…

と、思う気持ちがいまだにフツフツと湧いてきて、お腹と胸のあたりに黒いものが渦巻くわけです。

しかし!
記憶はけっこう曖昧だし、人間というのは記憶に脚色を加えていたりするもの。
私も術後のもうろうとした記憶ではあるので、もしかしたら、もしかしたら、夫もねぎらいの声を一言くらいかけてくれていたかもしれないのです。

あの時は仕事で大変なスケジュールだったのに、遠方の病院まで来てくれてありがとう、という感謝にすら変換できたりもします。
これができたら仏レベル。

ではどうしていまだに腹が立つのか。
それは自分が夫にとって取るに足らない存在なんじゃないかと思うときに、その思い出が証拠として浮かび上がってくるんじゃないかと思います。
脳内で証拠集めをしているんです。
脳内で思い出したことは再体験したのと同じことなので、どんどん脳内で強化されていきます。

そして、やっぱり許せない!やっぱり私のことなんてどうでもいいんだ!となってしまいます。

証拠集めのための嫌な思い出。
人それぞれいろいろな証拠を必要としていて、その情動記憶をつかんで離さないようにしているんだと思います。

証拠となる記憶が出てきたとき「だから私は○○なんだ」と結論づける前に「自分にはこういう感情があるんだなぁ」と、そのまま感情を受け入れて自分をヨシヨシがんばってきたね、とねぎらってあげてみてください。

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