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芥川龍之介『蜘蛛の糸』 主催者の感想

読書会では話は盛り上がりましたが、みなさんこの作品の評価は良い印象を持っている人はあまりいませんでした(笑)。この教訓めいた話に、なにか窮屈さを覚える人は多かったようです。例えば、罪に対するお釈迦様の非情さや、極楽の美しさと地獄の悲惨さの描写が、歳を重ねた今、罪を犯した人はいないということが身にしみて実感できることと、罪を犯した人の背景を無視した内容に、ぼくもそうですが、窮屈さを覚える人が多かったです。

ぼくは読書会を通して、この作品はコントとしてとらえるのが良いかなと考えました。極楽の過剰な美しい描写と地獄のおどろおどろしい描写、お釈迦さま、犍陀多のキャラが類型的であること、緊張と緩和の話の流れなど、単純でコメディ要素として捉えられるものが出てきます。話の流れは落語の「死神」に少し似ています。そして、お釈迦様の犍陀多(カンダタ)への「裁き」がこの作品の主題としてありますが、この「裁き」自体がコントに感じました。この「裁き」について考える上で、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の中に以下の一節を引用させていただきます。

「……『そいつを追え!』将軍が命令する。『走れ、走れ!』犬番たちがわめくので、少年は走りだす……『襲え!』将軍は絶叫するなり、ボルゾイの群れを一度に放してやる。母親の前で犬に噛み殺させたんだよ。犬どもは少年をずたずたに引きちぎってしまった! ……将軍は後見処分にされたらしいがね。さて……こんな男をどうすればいい? 銃殺か? 道義心を満足させるために、銃殺にすべきだろうか? 言ってみろよ、アリョーシャ!」
「銃殺です!」ゆがんだ蒼白な微笑とともに眼差しを兄にあげて、アリョーシャが低い声で口走った。
「でかしたぞ!」イワンは感激したように叫んだ。「お前がそう言うからには、つまり……いや、たいしたスヒマ僧だよ! つまり、お前の心の中にも小さな悪魔がひそんでいるってわけだ、アリョーシャ・カラマーゾフ君!」
「ばかなことを言ってしまいましたけど、でも……」
「ほら、そのでもってのが問題なんだよ……」イワンが叫んだ。「いいかい、見習い僧君、この地上にはばかなことが、あまりにも必要なんだよ。ばかなことの上にこの世界は成り立っているんだし、ばかなことがなかったら、ひょっとすると、この世界ではまるきり何事も起らなかったかもしれないんだぜ

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』第五篇第四節

イワンの話に対してアリョーシャは将軍を銃殺にすべきだと「裁く」。裁きとはその行為と共に、それ自体に必ず意味を保有してしまいます。そして、そもそも人は人を裁くことができない。それどころか超越的なもの(お釈迦様、神、システム)ですら人を裁くことができない。なので、裁きに意味を付与することは本来できないので、むりやり強制的に意味を与えることしかできません。しかし、裁きがなければ社会は成り立たない。いや、もしかしたら人が人を裁きたいという無意識下の欲望が、裁きというシステムを生んだのかも知れません。
裁判というものはソクラテスの時代から大逆事件、はたまたカルロス・ゴーンの裁判まで、不条理(ばかばかしさ)を含んでしまっています。それは裁きに、むりくり意味を与えられた結果のように思います。
読書会のなかで芥川龍之介の「怖さ」についての話になりました。言ってしまえば『蜘蛛の糸』という話は、ばかばかしい話です。しかし、ぼくらの世界はそのばかばかしさを有してしまっていて、それがなくなったら世界は成り立たない。そして、その世界の中でばかばかしいものをそのままばかばかしいものとして書いてしまったら、その世界の中では生きてはいけない。ぼくらはどうしてもばかばかしくないものという足場を欲してしまいます。しかし、『蜘蛛の糸』での芥川龍之介はそんな欲望は振り払って、生や死もばかばかしいものとして書いているような気がします。ぼくはそこに恐ろしさを感じてます。

極楽も地獄もばかばかしいものなのかもしれないが、そんなばかばかしいものの上に世界が成り立っています。哲学者イマヌエル・カントは霊魂の不死といった形而上学的欲動をたんに否定してはならないということ警告しました。なぜかというと、それを否定したつもりの思考には、別の形で不死の形而上学が暗黙に挿入されてしまっているからです。それは孫悟空がお釈迦様の手の上に出たつもりが、実は手の中でいるだけだったという話と似ています。
これは、極楽や地獄についても同じことが言えます。努力したものは報われ、悪は成敗されなくてはいけないという思考は現代においても存在しています。それを否定する考え方もあるとは思いますが、善悪二元論からはなかなか逃れることはできません。なのでその思考を簡単に否定することができません。
ぼくらの世界は、ばかばかしいもので構成していますが、やはりばかばかしいものだけの中では生きてはいけない、ばかばかしくないものをどうしても探してしまいます。芥川龍之介は自殺してしまいましたが、ぼくはどう生きていくか考えていきたいです。


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