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海の上に蝶が飛ぶ (20191127)

 わたしの町には蝶六という踊りがある。
 用意するのは日の丸が描かれたふたつの扇子と両手、そして身体。この扇子をどうするかというと、ぱっと広げて仲骨のまんなかにそれぞれ両手の中指を通す、指環みたいに。すると指先は扇子に変身する。この、変身した両手で踊るのが、蝶六というわたしの町にふるくふるくずうっと伝わる舞踊である。手首を上げ、手を一度外から内へくるんと一回転。そうして手と一緒にはためく扇子がまるで極楽蝶みたいだってことで、きっと名づいた踊りなのだろうと思う。

 この町の子供たちが独自に持っている通過儀礼として、中学3年生になったら年に一度行われる魚津まつりというものに組み込まれている蝶六町流しという演目に参加しなければならないというものがある。それぞれが中学の体操着の上に真っ赤な法被を着せられ、とある小学校をスタートにしてこの蝶六を踊りながら町を歩く。炎天下の空の下、彼らは進むのがめっぽう遅い。一巡する踊りの手順の中で足が進むのがほんの数歩とかそのくらいだからだ。だからそんなことをいちいち守っていてはこんな町流しなど永遠に終わらないから、みんな適当なところで適当に歩く。腕の振りさえ守っていればこの踊りはそれなりに見える。たぶん。
 わたしが通っている中学はとにかく治安が悪く、男子は男子でライターと制汗スプレーのふたつで廊下で火炎放射器を発射しまくり、女子は女子でトイレにたむろし本当にトイレを使いたい子がむしろ居心地の悪い思いをする。壁にはいつも穴が開く。窓のガラスはいつも割れる。何故か廊下でサッカーボールが蹴られ、天井に当たって蛍光灯が粉々になる。
 そんな中学だ。それでもわたしはこの学校が嫌いでなく、むしろ好きだった。天気も悪ければ湿度も高く、商店街は軒並みシャッター、おじいちゃんとおばあちゃんのためだけに走っているがらがらのコミュニティバス、しみったれた田舎の中でここだけが明るく人間の生気にあふれた場所だった。

 同じクラスに彩ちゃんという子がいた。
 いつもはのほほんと静かにしていて、いかにも窓際にいそうな、そしてスカートの丈もきちんとひざ下を守っている方がむしろ似合うような女の子だった。なんて珍しい、こんな学校の空気にはまるで似合わない。ので、派手な女の子たちにとってはに取るにも足らぬ、なんの脅威にもならない無害な「その他大勢」と思われていたことだろう。だけど彩ちゃんはなにぶん静かであまり余計なことを言わない子であったので、必要以上に目をつけられたり、ハブにされたりすることはなかった。そういうところは空気を読んだ、頭のいい子だったのだろう。
 わたしと彩ちゃんは同じ小学校出身で、特にお互い何を思うこともなくタイミングが合えば話すくらい、まあ普通の、どんな一線も超えない普通の友達だった。なので当然のように、中学に上がってからは友達グループが自然に分かれてあまり話さなくなった。けれどお互い帰り道は似ていたので、部活仲間と並んで歩くわたしの前に、大きなリュックを背負い、長いスカートを揺らしてひとり歩いていく彩ちゃんの後ろ姿があった。

 夏休みが近づいてくると、3年生は体育館に呼び出される。
 みんなこれから何が始まるかわかっている。来た来たという顔をしている。これからの体育の時間の「種目」は決まっていた。
「順番から覚えていかれ。いーち、にーい、さーん、ここで両手! 4で一回両手をおろして5でこう」
 前に立つ先生が扇子を指に嵌め、くるんくるんと手を回していく。蝶六の手順は最初から知っている子もいれば、わたしみたいに何も知らない子だっている。そしてわたしはとびきり運動神経がない方で、実際にやってみれば扇子はうまく回らないわ手と足の動きは一致しないわでこれは大変なことになったぞと、これからの体育の授業のこと、そして本番の魚津まつりのことを思って心臓がざわざわしていた。
 その中で、先生が突然に言った。
「広瀬さん、あんた上手やねえ」
 広瀬さんというのは彩ちゃんのことだった。一瞬で彩ちゃんの方に視線が集まり、びっくりした彼女は目を丸くして身体は止めてしまった。けれど先生はすっかり機嫌をよくしてしまって、彩ちゃんに向かって手招きしたのだった。
「ちょっと広瀬さん、みんなの前でお手本。見せてあげて」
 彩ちゃんが目に見えて怯えた顔をした。わたしは彩ちゃんがどういう子なのかを他の子よりは知っていたから、今この瞬間の彩ちゃんの気持ちを思うとこっちの胸がぎゅっとした。先生、なんでそんなこと言うんだろう。派手なグループの女の子たちがくすくす笑いながら彩ちゃんを見ていた。最初からやる気のない男子のグループは休憩だと言わんばかりに喋りだす。
 先生は手招きをやめない。わたしは彩ちゃんから目が離せなかった。だけど彩ちゃんは、最初はきょろきょろと周りを見回し泣きそうな顔をしていたけれど、ふと、表情が消えた。彩ちゃんは一度目を閉じて、開けた。さっきまで行ったり来たりしていた視線は、まっすぐ前を向いていた。彩ちゃんの視線はまるで一本きれいに伸びた道で、その道が一瞬目に見えたような気がして、わたしは瞬きをした。瞬きをしても彩ちゃんの顔つきは変わらなかった。覚悟が決まったみたいな、目から上の感情がすうっと静けさに包まれていくような、そんな顔をしたのだった。
 それは初めて見る彩ちゃんの顔だった。彼女はそのまま列の隙間を縫うようにさらさらと前へ歩み出ていき、毅然とした声で「音楽をかけてください」と言った。これには呼びつけた先生もびっくりしたみたいで、「ああ、うん、そうね」なんて言いながら床に置いたラジカセの再生ボタンを押した。

 聞こえてくる三味線と男の人が歌う独特の声の回り方と、早口で聞き取れない歌詞。
 彩ちゃんは踊りだした。
 かがめた腰、蝶が地上を見下ろすような伏し目、ぴんと伸びたつま先、頭の上、指先でくるくると生き物のようになめらかに回る扇子、ふたつの扇子の要がかつんと合わさったときの、蝶の形。
 わたしたちにとっての蝶六とは、中学生がだらだらと適当に踊って歩くものであり、むしろそれが正しい姿であり夏の風物詩だった。けれどその風物詩の一部にあって、彩ちゃんは「本物」だった。この体育館の中で、彩ちゃんだけが本物で、正当だった。

 音楽が消え、踊り終わったあとの彩ちゃんは、少し肩が上がっていたもののやっぱり目から上は涼やかな静けさに包まれていて、そして小さくお辞儀をした。
 おざなりな拍手が起きる。それは半分彩ちゃんを馬鹿にした音も混じっていた。なに、めっちゃマジやん、え、なくない? できんわあんなん。派手な女の子たちが声を憚らずに言う。男子もにやにや笑っている。
 彩ちゃんはそのいろんな声を、何にも聞こえていないかのように足音も立てず自分の位置に戻っていった。

 その日の放課後、生徒玄関でたまたまわたしは彩ちゃんに会ったので、お互いにひとりだったことで自然とふたりで帰ることとなった。
「彩ちゃん、今日、すごかったねえ」
 わたしが声をかけると彩ちゃんはきょとんと目を丸めたので、「ほら、蝶六。体育の」と付け加えると、彩ちゃんはつまらなさそうに「ああ」と返事をした。
「ばあちゃんがね、保存会に入っとるんね。それで、小さい頃から教えてもらっとったが。それだけ」
 ホゾンカイ。わたしは目を瞬かす。まさか蝶六のためにそんな会までこの魚津に存在していたなんて、そのときまでわたしは知らなかったのだった。
「そうなんや。でも、ほんとに、かっこよかったよ。嘘じゃないよ、ほんとに」
 何を言っても取り繕いみたいな誤魔化しみたいな、彩ちゃんを逆に馬鹿にしてしまうような気がして、それでもどうにかそうじゃないことを声に込めて伝えたら、ようやく彩ちゃんはちょっとはにかんで「ありがとう」と「と」の部分を上げて笑った。
「みんな、蝶六のこと馬鹿にするにか? でもあたし、ばあちゃんの踊りいっつも見とるから、そんなちゅーとはんぱなもんじゃないがよあれって。近くで見たら、すっごいかっこいいが。だから踊ったん。だって本物見たことなかったらしょうがないもんね」
 それは、彩ちゃんの独り言であったけれど、「本物を見たことない人たち」にきっとわたしのことも入っているのだろうと思うと少しバツが悪くなった。なんとなく、彩ちゃんに嫌われてしまったような気までした。
 だからわたしは彩ちゃんと、もっと蝶六の話がしたいと思った。
「あたしさあ、全然わからんがね蝶六。いっつも足反対になってしまうん。どこがおかしいんかなあ?」
 すると彩ちゃんはわたしに振り向いて、事も無げに言った。
「じゃあ見せてみて、まあちゃん」
「えーっ、ここで?」
「海やん。あたしがみんなの前で踊ったより全然ましやろ。ここにはあたしとまあちゃんしかおらん」

 気づけばわたしたちは海まで下りてきていた。
 今日の体育で、皆の前で踊らされた彩ちゃんのことを思うと確かになんでもないことなのかもしれなかった。わたしはここでようやく、あのときの彩ちゃんの気持ちがちゃんとわかったような気がした。彩ちゃんは、わたしが思っているよりもずっとすごい子だったのだ。
 ほらほら、彩ちゃんが軽く手を叩いた。
 わたしは一度だけ唾を飲み込んで、最初の右手を上げ、右足を踏み出した。彩ちゃんよりずっとずっと下手くそな蝶六を、わたしは踊り出した。
「まあちゃん、そこやわ」
 ちょうど3の振りを終えたところで彩ちゃんが手を叩いてわたしを止めた。
「そこで、下ろした手があるやろ、そのとき一緒に反対側は上げればいいが。ふつうに腕振る感じ。そこで一回やり直そうとせんでいいがよ。で、そこに足つければいいだけ」
 言って、彩ちゃんはひらりと防波堤の上に飛び乗る。わたしは彩ちゃんの跳躍を追いかけ、見上げる。
 夏の夕日に彩られた彩ちゃんの顔は得意げだった。ああ、いつもそんな風な顔をしていてくれたらいいのになあとわたしは思った。
 彩ちゃんはかわいかった。今このとき、彩ちゃんはとてもかわいかった。
「いい? 見とられまあちゃん。いーち、にーい、さーん、し」
 波が響く、夕日がその上で鳴っている気がする。そこに響いて映りこむのは彩ちゃんのきれいなきれいな踊りのフォーム。
 海の上に蝶が飛ぶ。

 と、私がこうして彩ちゃんのことを書こうと思ったのは、先日偶然魚津で10年ぶりに彩ちゃんに再会したからである。それも、あの魚津まつりのせり込み蝶六保存会の模範演技の発表会で。
 と言っても彩ちゃんが演者として出ていたわけではなく、互いに観客として訪れていたところに偶然かち合ってしまったのだった。
 私を見つけた彩ちゃんは、はじめ私とはわからなかったようで、何度か瞬きをして、首をかしげるようなしぐさをしたあと、ようやくぱっとひらめいたように「まあちゃん?」と言った。
「彩ちゃん、彩ちゃんやねけ!」
「えーっ、まあちゃん。何しとらけこんなところで、ちょっと!」
「何しとらけって、蝶六見に来たんやにか。彩ちゃんやってそうやろ?」
「そうやけど……うちは、お母さんが出とってさ」
「え! どれどれ?」
「あれ、あのはしっこの」
 彩ちゃんが指さした先で踊っていた人は小柄で、だけど確かに目元とか輪郭とか、今隣にいる彩ちゃんにそっくりだった。そしてその指先、つま先、腰のかがめ方は、あの体育の日の彩ちゃんだった。
「まあちゃん、今はどこにおるが? 魚津じゃないやろ?」
「うん。今は大阪。大学からそのまま就職した」
「そっか、まあちゃん頭よかったもんねえ。中部高校やったっけ?」
「なーん、富山。富山高校。でも彩ちゃんやって魚津高校やったにか、変わらん変わらん」
「変わるよー! だってあたしはもうずっと魚津やもん。今も市役所やし」「なんなん、全然いいにかそんなん! 安泰すぎるわ」
 彩ちゃんは笑った。「そうかもしれんね」
 鳴り響く三味線。早口の歌詞は10年経っても何を言っているのか聞き取れない。模範演技は提灯を持った人や扇子も何も持たずに踊る人や、扇子踊りでもいろんな種類があって、見飽きることはなかった。その中でも彩ちゃんのお母さんは、わたしたちも中学3年生のときに踊った種類の扇子踊りを踊っていた。
「彩ちゃんは、保存会とか入らんが?」
 彩ちゃんは噴き出すようにもう一度笑った。「入らんちゃよ」おこがましいとでも言うように顔の前で手をぶんぶん振り、首まで横に振った。けれど彩ちゃんはすぐに舞台に目を向けて、それはきっとお母さんの姿を見つめていて、眩しげに、優しい目で言った。
「でももっと年取ったら、入るかもしれんねえ」
 その答えが嬉しかった。いつか、クラスのみんなの前でひとり、意地を見せて蝶となり、挑むような目で私たちを見ていた彩ちゃんが、いつか彩ちゃんのお母さんのように、こんなにたくさんの人たちの前で踊る日が来ることを私は願った。魚津で暮らし、魚津で住んで生きることを決めた彩ちゃんだからこそできることだろうと思った。私みたいに、一度でも外へ出てしまった人間には背負いきれないことなのだ。

 町が踊りを持っているということはどんなに素敵なことなのだろう。私はそのとき、はじめてそう思ったのだった。
「やっぱり、かっこいいねえ」
 私がため息まじりに舞台へ呟くと、彩ちゃんは「そうやろ」と誇らしげに頷いた。
 目の前で繰り広げられる蝶の舞に、あの日の彩ちゃんの姿が重なっていく。私だけが観客だった、あの夕日に染まった彩ちゃんのたったひとりの蝶六踊り。防波堤の上にひびく、ひびく、なりひびく。海の上に蝶が飛ぶ。 
 彩ちゃんの声が舞う。いーち、にーい、さーん、し。

海の上に蝶が飛ぶ / 20151129 (→20191127修正)

▽BGM
I'm here saying nothing / 矢井田瞳

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わたしのふるさと、富山県魚津市にはせり込み蝶六という踊りが伝わっており、今でも年に一度の町のお祭りで町流しが行われます。
富山県には他にも民踊を持っている町が多く、五箇山あたりの「麦や節」「こきりこ節」そして八尾地域の「風の盆」で知られる「おわら節」は有名です。
この小説はちょうど4年前に書いたものを少し修正したものです。魚津の言葉をたくさん使えて楽しかった。

魚津市は富山県の東側にある海の町で、せり込み蝶六の他にも「たてもん」という三角の大きな船型の万燈を引回すたてもん祭りがあります。こちらは大漁と漁師たちの海上の安全を祈って行われるお祭りで、普段は都会に住んでいるわたしの幼馴染もこのたてもんを引回すためにわざわざ夏は帰ってくると言います。
わたしの故郷は本当に何もない、寂れゆく一方の小さな港町ではありますが、こうして古くから伝わる踊りや祭りを本当に大事にしているところはかけがえがなく素敵な町だと思います。
本当に何もないので安易な気持ちでと遊びにきてくれとはなかなか言いづらいのですが、北陸新幹線で金沢に来たついで、寄って行ってもらえたら嬉しいです。
運が良ければ蜃気楼も見えるかもしれない!(蜃気楼が見えるのは日本では魚津だけ!多分!)


読んでくださってありがとうございます。いただいたお気持ちは生きるための材料に充てて大事に使います。