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思春期なんかに出会わなければ

朝4時から支度をして、ろくにものを食べることも叶わず、祖父母や従姉妹の家に挨拶に行き、水気の多い雪でぬかるんだアスファルトに下駄を置いて母に傘を差してもらいながら、髪飾りと付け毛で重くなった頭をぐらぐら揺らしてたどり着いた成人式会場にはすでに見知った顔たちの晴れ姿がひしめいていて、それぞれに、これと選んだ振袖の柄が舞い歓声が響き渡り、すでに疲労の限界に差し掛かりつつあった私の感覚もその空気に飲まれて精度が取り戻されていくのを感じた。私は随分と大振りの髪飾りを頭のてっぺんと頸の二箇所に挿していてその上長い付け毛を巻いていたので、出くわす同級生は第一声には「久しぶり」と声をかけてくれるもののその次に続くのはみんな「すごい髪型やね」だった。私の振袖は叔母からのお下がりで流行りの柄では全くなく、緑色と紫色を下地にして足元に大きな花がひとつふたつ鎮座している、祖母や母に言わせれば「上等なもの」で、赤色や桃色を下地にした多くの振袖たちの中では浮いていた。


式は喧騒のうちに過ぎ、立派なヤンキーに成長した同級生は派手な髪型に真っ白な袴姿であの日のように徒党を組み、女の子たちはひたすらに入れ替わり立ち替わり写真を撮りあっていた。あの美しい写真たちがどこに行ってしまったのか、私はもう思い出せない。あの日使ったデジタルカメラのデータをどこに保存したのか、今ではすっかり忘れてしまった。今、私の自室に残っているのは式の当日、写真館で撮ってもらった私一人のポートレートだけだ。



成人式を終えたあと、同窓会に参加することになっていた。
一体どこから私の連絡先が巡っていったのか、成人式を二ヶ月後に控えた秋に、中学時代ですらメールをしたことがなかった同級生から同窓会の出欠確認のメールをもらった。あまりに突然のことだったので、そのときまだ連絡を取り合っていた数人の友人に相談し、皆一次会だけなら参加するつもりだという意思を確認してから「参加」の返事を彼女に送った。

ふと思い立って、彼にもメールを送ってみた。「一次会だけ参加する予定だよ」と、案外すぐに返信が来た。




振袖や髪型の重さに耐えかねていた私は会場を後にして帰宅するなり早々に振袖を脱ぎ散らかし髪飾りを取りお風呂へと直行した。ついさっきまで大ぶりの巻き毛がくっついていた髪は肩までにしか届かない茶髪のセミロングへと戻り、前髪もまた戻ってきた。

同窓会用の服、と言っても大した服はなく、白のタートルネックにエスニック柄の長いワンピースとフード付きベストを合わせて会場へ向かう。入り口には一応受付席が置いてあり、3年生の時のクラスと名前を言うことになっているらしい。私の番が来て、3年2組の桐谷ですと短く告げると受付係の女の子、中学時代はギャルのカーストにいてほとんど話したこともなかった彼女が顔をあげて「あーきりさん!」と顔を綻ばせる。あれ、そんな間柄だったっけ、確かに私は学年ではそれなりに存在感のある方の女子だったかもしれないけど、なんて、久しぶりありさちゃんと挨拶をして、同じ部だった子たちがとりわけ集まっている奥のテーブルを見つけてそこへ直行した。

テーブルに向かう途中、右から左からいろんな声をかけられた。きりさん! 振り返ると別のテーブルの真ん中に座っていた女の子だった。私はとっさにその子が誰かを思い出せなくて、それを察した彼女が自分を指差して「5組の槇村だよ、久しぶり!」と言う。あれ、そんな間柄だったっけ、中学時代、私とあなたは明らかに違うグループにいたし、言ってはあれだけどカーストも対等ではなかったよね、なんて、おお久しぶりと手を上げて、私は目指すテーブルへ向かう。



私たちの学年にはおよそ190人がいて、今夜、この場には140人ほどが集まったと司会の男の子が言う。とにかく足が速くてサッカー部のエースを張っていた、カーストのてっぺんにいた男の子。彼が他にどんな挨拶文を並べ立てたかはもう忘れてしまった。ただ彼が、貸し切ったお店の中央に立って、心なしお店のライトも浴びながらグラスを片手にマイクを持っていた姿だけが、今も両目に残っている。

2杯目以降はセルフサービスなんで、各自お店の中央のバーカウンターまで注文しに来てください。それでは、成人式お疲れ様でした、そして皆さん成人おめでとうございます、乾杯!



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私はほとんど最初のテーブルから動かなかった。同じ部だった旧知の子たちとほとんどの時間を過ごした。途中、中高を経て立派なギャルに成長した親友がやってきて、成人式も行かなかったんだよね、ここは来れたけどそのうち男が迎えに来るからそんなに長いこといられないんだ、と、高校時代と変わらないスタンスでいる彼女に苦笑する。そして彼女は言ったとおり、一杯のビールを飲んですぐに店を出て行った。

各々が酒のお代わりを求めて席を立ち、ふとテーブルが空いたとき、私の前にかつて同じクラスだったギャルの女の子が座ってきた。これまた足が速くて、いつも高い声で男の子とけらけら笑い、スカートの短い女の子だった。彼女はバスケ部にいたけれど、幼い頃からやっていたサッカーの方を選び、ひとり県外の高校に進学して行った。
久しぶりやねと、中学時代よりも落ち着いた声、けれどあの面影をいっぱいに残した声と笑顔に私も自然と「久しぶりやね」と返事をする。今はどうしてるのと互いに近況報告をする。その時に確か、今は美容師を目指しているのだと聞いたような気がする。彼女の笑顔はそのままで、けれど彼女はあの日々のように、常に誰かと連れ立っているわけでもなくて、ごく自然に私を見つけて私のもとにやってきた。だから私も、ごく自然に大学を目指し、神戸に進学したことを伝えた。


もしかしたらこれが、本来のこの人たちだったのかもしれないと、私は喧騒の只中にいるお店を見回す。ここにはもうあの日々を、あの教室を、廊下を貫いていた序列は存在していなかった。



あの日々、私たちは何にも自由ではなかった。私の内面から、そして外部から割り当てられたグループとカーストの中でしか生きることを許されなくて、カーストを踏み越えた交流など無いに等しかった。知らず避けている子たちがたくさんいた。知らず見下して安心している子たちがたくさんいた。私はあの日々、あらゆる視線にがんじがらめにされながら生き、知らず他人にレッテルを、そして自分にもレッテルを貼り、この人は話してもいい人、この人は話してはいけない人と選別すること、そうすることで、中学時代を無事に無事に、生き抜いてきた。

けれど「話してもいい人」も「話してはいけない人」も、本当は存在しなかったのかもしれない。出会ったのが、同じ時間を過ごしたのがあの中学時代だったばかりに、私はこの人たちからいろんなことを、それはもういろんなことを、取りこぼしてしまったのだ。

あまりにも子供だった。そうすることでしか生きられなかった。思春期なんかに出会わなければきっと、大人になってから長きに亘り友情を続けられる人だってあの学校にはいたはずだ。あまりにも子供だった。それを、その人を見抜くには、あの日々の私はあまりにも子供だった。




元ギャルの彼女もまた席を立って行った。私もグラスが空になったので立ち上がる。バーカウンターに向かい、そこで立ち話をしている男性数人組に目が留まり、私は、この空間を漂う切なさを一気に凝縮させてこの身に受ける。

(一次会だけ参加する予定だよ)



人をかき分けて、彼の隣に立った。横から覗き込むように顔を見上げると、彼はすぐに私に気づいた。気づいて、肩の力が抜けた声で「きりさんじゃん」と言った。きりさん。苗字のあたま二文字を使った私の愛称。中学時代からずっと変わらない私の愛称。それをついぞ、私に呼びかけることがなかった私とあなたの三年間。あなたが私をきりさんと呼ぶのに、私たちには、五年もの歳月が必要だったのだろうか。


彼は空になったグラスを差し出してきた。私もまた空になった自分のグラスを差し出した。
「お疲れ」
空のグラスは中で音を震わせて、かつんと、綺麗な音で鳴った。



思春期なんかに出会わなければ、私とあなたはどこかで出会い、何を気負うこともなく意識することもなく自然にグラスを、空になったグラスであろうとも合わせることができたでしょうか。思春期なんかに出会わなければ、私とあなたはどこかで乾杯できたでしょうか。思春期なんかに出会わなければ、あんなに身勝手な恋愛をあなたに押し付けることもなく、ただ誰よりも賢くて知性豊かで努力家だったあなたを純粋に尊敬し、あなたの将来と私の将来とを、語り合うことができたでしょうか。思春期なんかに出会わなければ、私とあなたは、良い友人として、長く関係を続けていけるような間柄に、なれていたのでしょうか。

きりさんと、何の気負いもなく、あなたは私を呼んだでしょうか。



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互いにお酒が穏やかに体をまわり、バーカウンターでそのまま私たちは立ち話を続けた。今となっては思い出せないくらいに他愛ない、中身もない、くだらないことを、話したのでしょう。
やがて彼の先客だった男の子が私を見つけ、全き純粋な気軽さでぐおんと肩を組んできた。私はバランスを崩して転びかける。きりたにー! 飲んでるか?
そうだった、こいつはあの日もずっと私を苗字四文字をしっかり使って私を呼んだ。そうだった。こいつはこいつで、いろんなことがあった。かつて私を好きだと言ったこと、私がそれを断ったこと、それはひとえにあなたではなくて彼が好きだったからであったこと、そして別々の高校へ進学したこと、それでも私に連絡をよこしてきて、いろんな相談に乗ったこと。

あなたとも、思春期なんかに出会わなければ、もっと違う関係のあり方があったでしょうか。



それでも思春期なんかに出会わなければ、私はここにいることもなかったし、二度と再会しないであろう人と思っていた人とも再会を果たすことができなかっただろうし、ついぞ違う世界の住人になってしまったヤンキーたちに肩を組まれて乾杯することもなかったし、一切の序列が消し飛んだこの空間、一切の序列が消し飛んでいるというこの実感を持つことも、永遠になかっただろう。私は思春期に感覚の一部を壊された。思春期は私から公正な目を抉り取った。思春期はそれ自体で生き物だった、どうやっても手なづけられない獰猛な怪物と隣り合って、毎日を生きていた。その怪物を日々から遠ざけるのに、私たちは五年もの歳月を要した。15歳と20歳の見える世界はこんなに違う。すべては思春期なんかに巻き込まれなければ。

この人たちを、今この目で、今初めて会った人たちとして、もう一度見てみたかった。この人たちにまつわる一切の記憶が存在しない世界で、もう一度この人たちを見てみたかった。

もう一度この人たちに初めて会いたかった。






今年の成人式は無事に行われるのか、まだ誰もわからない。毎年成人式とセットでくっついてきたあの同窓会もきちんと行われるのか、誰にもわからない。晴れの日を、誰も約束できない。

私が私の成人式で、何よりも覚えているのはあの同窓会の、序列が消え去ったあの実感であり、私を見つけたあの人の、きりさんという呼び声だった。かつて恋した人との、バーカウンターの隅で静かに鳴らした乾杯だった。あの音が聞こえなくなる日が来るとするなら、世界からあの音が消えてしまうなら、それはどんなに静かな世界であることだろう。永遠に序列の呪いから解放されない人が、どれだけ残り続けるだろう。

形だけの乾杯、合図としての乾杯、中身のない乾杯、その、空っぽの、幾千の乾杯の中にたったひとつでも、生涯忘れないであろうグラスの音があるということ、私はどれほど幸いだっただろう。


空っぽのグラス、片隅の乾杯。
あなたが私を見つけた視線。たった四文字、私を呼ぶ声。かつて恋したあなたの、私を呼ぶ声。グラスの内側を響く美しい音。私とあなたにしか聞こえなかった、あのとき世界でいちばん美しかった音。





約束通り、私は一次会でその場を後にした。
店から一歩出た途端、冬が頰を撫でる音のない夜があった。足元だけが昼間と変わらず雪にぬかるんでいた。音のない夜を駅まで歩き、親の迎えの車を待った。私は20歳だった。思春期を抜け出した、ひとりの20歳だった。

私の記憶にいる彼はあの店にいた姿で止まったままでいる。



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