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嫉妬の焚き火で暖でも取ってろ

自分より年下の人が才能に満ち満ちていたり、私よりも教養深かったり、思慮深かったり、そして実際成功していて、光を浴びて、喝采の中にいるのを見ると、私の心は嫉妬で燃える。
自分より年下の人の才能や教養や思慮深さを羨むとき、私はその人になりたかったと心底思う。その人として生まれたかったし、その人の人生を生きたかったと、自分の人生全てを棚に上げて、いつもいつも、心底思う。年下でなくても、私はいつも、比べる相手を無意識に探し出しては勝手に嫉妬している。この人になりたかった。この人の目と耳と感性が欲しかった。私の存在がここから消し飛んで、あの人と、この人と、すうっと同化できたなら、どんなにいいだろう。

そんなことを、いつもいつも考えている。こんな状態になっているとき、私の人生は、私だけの持ち物であるはずなのに、その私自身にとって、いちばん、無価値なものになってしまう。



先日、芥川賞と直木賞の受賞者が発表された。
芥川賞を受賞したのは宇佐見りんさんで、まだ21歳、大学2年生だという。

正直、芥川賞候補が発表されたとき、宇佐見さんにだけは受賞してほしくないと思っていた。それもひとえに、ただただ、彼女が若かったからだ。私よりもずっとずっと若かったからだ。私よりもずっとずっと若いのに、本屋に立ち寄るたびに著作が平積みにされて、絶賛のコメントが入った帯が巻かれたその綺麗な本たちをすでに2冊も世に出していることに、ずっとずっと、心を荒らされてきたからだった。
宇佐見さんの本を見るたびに気持ちがざわついて、私はまだ著作のどちらも読んでいない。
クズだ、本当にクズだ。今ここで私をクズと呼ばすして何と呼ぶだろう。私は年下の、ただ自分の才能を真摯に磨いてきた、私と全く無関係である女性に、一方的に嫉妬して勝手に心を火傷させていたのだった。
宇佐見さんがもしも芥川賞を取ってしまうなら、私はしばらく心をじくじくさせて過ごすことになるだろう。そうなってほしくはなかった。私は私の日々を平穏に過ごしたかった。もうこれ以上この人に心を荒らされたくなかった。

けれど心のどこかでは、きっと、この人が受賞するのだろうなと思っていた。この人こそ、今、選ばれるべき人なのだろうなと、芥川賞候補が出揃ったときからずっとぼんやりと、確信していた。
そして見事に、宇佐見さんは芥川賞を取った。綿矢りさ、金原ひとみに次いで、史上3番目に若い受賞となった。速報がtwitterに流れてきたとき、そうだよねえと、呟いていた。


私は宇佐見さんを何も知らない。

けれど、プロフィールや受賞スピーチの文字起こしを読むと、ああこの人は、小説家になるという夢にまっすぐ脇目も振らずに歩いてきた人なのだと実感する。一直線に、これだけを見据えて、これしかないと固く信じて、ここまで生きてきた人なのだろうと思う。
大学では国文学を専攻しているというプロフィールにも、目眩がするほど、そのひたむきさを感じる。目眩がするほど、それは眩しい。一直線に歩いてきた人は、それだけで私にはとても眩しくて、目を開けていられないのだ。




大学2年生って、自分何してたっけと思い返してみれば、勉強を放り投げて朝から晩まで演劇の世界に住んでいて、体に限界が来て入院して、ただ生きているだけなのに体調は悪化して、つまりはボロボロで、あらゆることがわからなくなっていたときだった。そもそも自分は何をしたかったのか、どうしてこの大学にいるのか、いる意味はあるのか、どうして今こんな状態になっているのか、そういう、ありとあらゆることが、私の中で混乱していた。

それでも、これじゃだめだと一度演劇から離れて、高校生の時からの夢だった交換留学へ志願した。第二外国語程度でしか学んでいない拙いドイツ語で、それだけを携えて、オーストリアへ留学した。それが大学3年生の夏だった。

オーストリアに来て半年経った頃、別の大学からの日本人留学生と知り合った。彼女は「一直線に」来た人だった。ドイツ語学科で、日本できちんとドイツ語を学び、難なく話せるようになってから現地にやってきた人だった。そして、私よりも年下だった。
彼女と初めて食堂でごはんを食べたとき、私は自分の経歴を簡単に説明して、「いや私なんて第二外国語でドイツ語やってただけで、あとは部活ばっかで、勉強とか全然してなかったからね〜」と、敢えてからりと言った。こんな私でも半年生きてこれたんだから大丈夫だよと伝えようとしたのかもしれない。
けれど彼女は少し蔑むような顔でこう答えた。

「いや、勉強しなくても留学できるって、逆にすごいですよね」



それからどうやって彼女と別れて、いつも立ち寄るカフェにたどり着いたのか、全く覚えていない。

私はいつものようにコーヒーを注文し、壁際の席に座り、ラップトップを開いてフリーwifiを繋ぎ、コーヒー片手にやってきた店長にお金を払い、しばらく呆然として、そして、涙が止まらなくなってしまったのだった。

悔しかった。惨めだった。私が大学で演劇に埋もれていたこと、勉強よりも優先していたこと、それをも越えて、私がここに来るまでの私の歴史何もかもが無意味で無価値なものだと言われたようで、悔しくて悲しくてそして惨めで、苦いコーヒーを飲みながら私は信じられないほどに泣いていた。自分はこんなに泣ける人間だったのかと感心するくらいに、よく泣いた。ざあざあと泣いた。声も上げずにひたすら泣いた。周りを囲むオーストリア人がちらちらと私を見ずにはいられないほどに、私は泣きまくったのだった。

寄り道ばっかりしてきたから今お前はこうなんだと、私を囲む全員に指をさされているような気がしていた。




思えば私は寄り道を繰り返しているし、移り気な私はふらふらと、現在をも漂流している。

最初は漫画家を夢見ていたし、その夢が覚めれば次は字幕翻訳家に憧れて英語を勉強してみたり、またその夢が覚めれば次は演劇に身を投じてみて劇作家も良いなと思ったり、でもやっぱり小説家になりたいと、そんな夢を燻らせているくせに会社に勤めて日々を疲れて、書いては消しを繰り返し、結局まともな長編一本も書き上げられないまま5年が経とうとしている。
私はずっと漂流している。今の自分が本当に、今でも小説家を目指しているのかそれもわからない。ただ毎日を働いて、寝て、映画を観て、本を読んで、するするとリボンの上を滑るように、生きている。

その傍らで、一直線に、これしかないと固く信じて歩いてきた人がいて、着実な結果を出し、喝采を浴びるというのは、それは真っ当なことで、然るべきことだ。

どうして嫉妬なんかしてしまうんだろう。積み上げてきた人生が、あなたと私でこんなに違うのに。
どうして嫉妬なんかしてしまうんだろう。あなたは真っ当に頑張ってきて結果を出して、それは祝福されるべきこと。何も完成させられなかった私が、あなたに何を思える資格があるというのだろう。


あーあ。私であることをやめたいな。
年下の人の才能に目が眩むとき、同い年の人の豊かな教養と思慮深さを目にするたびに、あーあ、私は無価値だな、なんて、投げやりに人生を放り出したくなる。
私だって20代で小説家になりたかったよ。なれなかった。これからも続いていくであろう長い長い会社員生活に、気が遠くなるばかりだよ。こんな予定では、なかったはずなんだけどな。


けれど今、こうして仕事を終えて帰宅して、急いでシャワーを浴びて、なんとか時間を作ってこんな文章を書いているのは、宇佐見さんの受賞を受けて心に火が点いたからに他ならない。嫉妬の炎は心を燃やす。火傷を負わせる。けれどそれはつまるところ、私の生の炎に他ならない。私の内側から燃え出して体を動かそうとするこの炎の燃料は、私よりずっとずっと年下の、聡明で、努力を重ね、才能を花開かせた女性の最高の結果に他ならないのだ。

諦めたくないよ。このキーボードを乱暴に叩きながら、頭の中で私の声ががなりたててドンドンと心臓をノックする。諦めたくないよ。諦めたくないよ。私はまだ、諦めたくないんだよ。大人気ない私が地団駄を踏んでいる。私だってそこに行きたい、行きたい、行きたいんだ。

寄り道したよ、確かにそうだよ、楽してきたよ、いつまでも移り気だよ、そんな私だったけど、留学して何が悪い。そんな私でいるけれど、諦められなくて、何が悪いの。



私が彼女の人生を生きられないように、彼女も私の人生は生きられない。
彼女は彼女以外の何者でもないし、私もまた、私以外の何者でもないのだ。

彼女のまっすぐな歴史があるように、私にも歴史がある。いびつでも、乱雑でも、互いに繋がり合えなくても、それが私の歴史なんだって、引き受けるしかないのだ。その上で、諦めたくないと叫ぶことは、私の心からの感情だろう。

彼女への身勝手な嫉妬で、奮い立ってこれを書く。自分の小説を探しに行く。それから明日も会社に行く。今日を寝て起きて、本を読んで、会社に行く。働いて、また帰ってくる。


そうしていつか、彼女への嫉妬の炎が落ち着くまでずっと待つ。彼女の小説を読むために。心を込めて読むために。噛みしめて読むために。彼女の才能を食べるために。




綿矢りさと金原ひとみが芥川賞を同時受賞したとき、私は中学生だった。

インターネットで知り合った少し年上の女の子が、「あんなに若くても取れるなら、私にも取れそうな気がしてくる」と言っていた。
内心、何言ってんだと思っていた。取れるわけねーだろと思っていた。
けれど若くして受賞する人はそうやって10代の、幾多の彼女たちを奮い立たせることだろう。その人に憧れて、彼女たちは10代を生きるのだろう。
中学生の私はまさに、綿矢りさと金原ひとみに憧れた。私が家に置いてあった両親の本ではなく、自分で選んだ本を読むようになったのは、彼女たちが燦然と、文学の世界に現れてくれたからだった。

今、その役目を担うのは、宇佐見さんなのだろう。

そう思うと、なんて尊いことを成し遂げたんだろうと心が震える。あなたが受賞したからこそ、これから文学に手を伸ばす少女たち、文学の世界に乗り込んでいく少女たちが必ずいるはずだ。

それはなんて偉大で尊いことだろう。


嫉妬の炎で暖をとる。加減がわからなくてたまに火傷する。けれど火が灯っている限り、私は凍え死ぬことはないのだ。真っ赤な炎に暖められて、私は奮い立つ。きっといろんな人が奮い立つ。他者を奮い立たせる力を持つ人は絶対に偉大だ。受賞おめでとうございます。きっと、きっと、晴れやかな未来がありますように。




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