神様だったあなたへ _Cocco25周年ベストツアー2022〜其の1〜
見える全ては美しかった。咲き誇るような御堂筋のイルミネーション、高く聳えるマンションの明かり、ビルの隙間から顔を出す大きくてまるい月。彼女の音を一身に浴びた夜、ヘッドホンをかぶり一人歩く大阪の夜道はきっとどこより美しかった。
今年はCoccoに縁がある。
彼女は5月にもツアーを実施していて、それが私にとって初めてのCoccoのライブだった。絶対に抽選には外れるだろうと思いながらもダメもとで応募した大阪公演のチケットだった。
プロムツアーが終わって間も無く、今度は25周年ベストツアーを開催するという知らせが飛び込んできた。
ふうん、とまた思った。25周年の記念すべきツアーなのだから、前回のツアーよりももっと倍率は高いだろう、今度こそ当たらないだろう、でも大阪公演あるし、金曜日だし、もし当たったとしてもちゃんと行けるな、そんなことを考えながらとりあえず最速抽選に申し込むだけ申し込んだ。
ら、また当たってしまった。大阪公演しか申し込んでいなかったのにその1回限りを当ててくるとは私のくじ運は今年で一生分を使い果たしたかもしれない。そんなわけでチケットはまた私の元に舞い込んできた。
そして季節は変わり、私には異動があり、夏から秋へと移ろう間に大阪から故郷の町に居を移した。大阪公演だけが私の手元にぽっかりと残り、だけどそれはありがたくも金曜日だったから、休みを取ればまあ行けるなと、私はかつて住んでいた街へと特急列車に乗って向かう。
夏ぶりに降り立った、第二の故郷とも呼ぶべき大阪の街は私が覚えているそれと何も変わっておらず、懐かしさもまだ感じない心で、そうだったねと、この街はこんなだったねと、思っていた。だから不思議だった、こんなに見慣れた街に私はいわば帰ってきたというのに、それでもこの街にはもう私の住む家はないんだということが。
ホテルに荷物を預け、向かったZepp Nambaも5月に来て以来何も変わっておらず、やっぱり、そうだったよねえと思った。懐かしさも、やっぱりまだ感じなかった。ここはまだ私の、生きた記憶として存在していた。
買ったグッズを抱え、席に座る。前回と同じ二階席だった。隣の人が、そのまた隣の人に話しかけているのをぼんやりと聞いていた。視界は、スモークによってだんだん、少しずつ烟っていく。天井に吊り下げられているたくさんのパーライトを見る。前回、素晴らしい照明を見せてくれたこのパーライトたち。今回は何を見せてくれるだろう。
ねえ、Coccoのセットリストが鬼なんだけど。
死ぬやつ。
もう爆発して焼け野が原になる未来しか見えない。
生きて帰ってきてね。
会場が暗転する。ステージに現れたバンドメンバーに、そしてCoccoに、大きな拍手が起きる。1曲目が始まる。
その1曲目から、私の目には涙が浮かぶ。
嗚呼。
10代の私が、そこに立っているような気がする。故郷の、生まれた小さな町の中にいる、制服姿のかつての私。
その彼女がゆっくり私に振り返ろうとしている。あなたから20年を余計に生きた私へと、視線が、ぶつかる瞬間が。
セットリストを予習していようと、押し寄せる洪水のような音に、音楽に、まっすぐ伸びる声に、私の息は止まってしまう。呼吸を忘れて見入る。それでも目を閉じてしまう、幻がそこにいるから。もう過ぎ去ってしまった私がそこにいるから。また涙が滲む。目を開ける。計算し尽くされたライティングが目に飛び込んでくる。惜しみなく客席へと向けられるパーライトの、綺麗に筋が見えるその光。前回はきっと星だった、けれど今回はきっと、これは海。彼女が心の中に持つ美しい海の形。
時計が動き出す。向かう先は私の、私だけの10代の時間へ。
思い出す。かつて仲が良かった女の子から初めてCoccoを紹介してもらったときのこと。CDを手に入れたはいいけれど、初めて聴くハードなサウンドにびっくりして、そのまましばらく聴けなかったこと。だけど気づけば自宅のCDコンポで取り憑かれたように繰り返し彼女の音楽を聴いていたこと。彼女の音楽を聴きながらずっと絵を描いていたこと。友達と一緒に何曲も彼女の音楽を歌った地元の寂れたカラオケ。Coccoなんて一番縁のなさそうだったのに実は彼女のことを好きで、それを知ってとても嬉しかった、中学時代のギャルの同級生。そんな記憶の一つ一つが、今、このZepp Nambaに響き渡る2022年の音の中に編み上げられている。
Coccoは、あのとき確かに私の神様だった。
置き去りになんて、できるわけがない。
10代はじめの私。ナイーブなくせに憧れだけは強く、何者かにきっとなれるだろうと、自分はなんでもできるのだと思っていた。未来は無限に広がっていると思っていた。どこまでも行けるような気がしていた。
そんな幼くて未熟な私の神様は、あのとき確かにあなたで、あなたしかいなかった時間が、絶対にそこにあったんだ。
Coccoは私の人生に深く深く、溶け込んでいて、私の10代はCoccoの音楽の中にあって、Coccoの音楽を取り出せばそこには幼い日の私がいたるところにいる。私はもう一度、私と出会う。この世界の片隅、小さな町に生きていた小さな私。
いなくなったと思っていた、忘れていた、でも私という人間は地続きで、10代の私も20代の私もちゃんとこの胸の中にいる。幼くて未熟だった私は、でも、そんな私のままでは生きていかれないから、ゆっくりゆっくり大人になった。自分はなんでもできるわけじゃないって分かったし、ある程度未来も分かるようになったし、どこまでも行けるほどの体力もなかった。そんな大人になった。それでもどうにか大人になった。
どうにか大人になった。幼いところも未熟だったところも汚いところもひっくるめて、どうにか大人になってここまできた。ここまで生きてきた。
そうしたら、10代の私からはこんなに遠かったけれど、Coccoも私も20年が経って、今、まさか出会うことがあるなんて。
歌手は、音楽は、鏡なんだろう。
曲は何度も聴くうちに、自分の記憶や感情と同化して、自分だけのものになってゆく。
私が「強く儚い者たち」や「星に願いを」の中にかつての自分を見たように、ここにいる、この会場にいる人の数だけ今なお煌めく記憶や感情がある。彼女はそんな、ありとあらゆる人の気持ちをその細い腕で包み込んで、確かな力で抱きしめて、幾千もの朝を、昼を、夜を、越えてゆく。
そして同時に歌手もまた一人の人間で、生きている。命ある限り、その生は前へと進む。
新しい曲に近づくにつれて彼女のチューニングが合ってゆく。それでいいんだ。彼女にとって歌いたい音楽は移ろって、でも、それでいいんだ。私の中にある彼女の音楽もまた、10代の私だけのものじゃない。今このときの私が聴くならそれは今の私のものなのだ。今の私の記憶によって曲たちは、絶えず私の中で更新されてゆくものなのだ。そうして死なない限り進み続ける私の人生に伴走するものなのだ。
ここに留まり続ける音楽、絶えず更新されてゆく音楽、前に進む音楽。それらは全て、続けてこそ、生きてこその賜物であるはずだ。
私も、彼女も、あなたも、生きている。生きてここに来て、同じ音楽を共有し、それぞれ自分だけのものを見て、今このときを感じて、自分だけの夜へと向かう。眠りにつく。そうしていつかは、朝日が昇るときが来る。
それはなんて尊いことだろう!
いつかの日々、私の神様だったあなたへ。
あなたは幾千もの夜を抱く。これからもきっと、そして、どうか、歌い続けてほしい。私の人生に、誰かの人生に、鮮烈に、燦然と、煌めき続けるあなたの音楽に、この気持ちがたとえ指先だけでもいいから届けばいいと、そんなことを思いながら、私はこの両手を叩く。終演の明かりが灯り、人の波に呑まれながら会場を後にして駅までの道を早足で歩く、大人になった私の目に映る大阪の街、生きる街の姿はただ美しかった。
そしてあなたの音楽を部屋に流し、私はこの日記を綴る。