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謎の微笑み/父親の社会活動

何度目かの外泊。連休が絡んだ3泊4日だったと思う。けれど、最終日はどうしても抜けられない仕事があった。
病院には夜までに戻れば良い事になっていたので、仕事を終えて帰ってから向かうつもりでいた。

 ところが、朝から美月(娘)の具合が変だった。抽象的な表現なんだけど、とにかく「変」だったんだ。

呼びかけても起きているのか寝ぼけているのか?もしかしたら麻痺があるのかとも思えるのだけど、そうでも無さそう。
発熱とか嘔吐とかの具体的な症状は一切なし。

とにかく「何かあったら電話して」と言い残し、後ろ髪を引かれる思いで僕は仕事に出た。そして、10時ごろ携帯が鳴った。
「やっぱり変だよ
なんか、呼んでも虚ろだし、左腕が動かない感じがする。」
妻の声は震えていた。
「たぶんh先生はまだお休みだと思うし、、、お父さん、どうしよう?早く帰ってこられない?」
「うーん分かった。あと1、2時間でメドが立つから、そしたら帰る。もしそれまでに今より酷くなる様だったら病院に電話してタクシーで向かって」
仕事は数年前に引き渡したお客様宅のメンテナンス。部下と一緒だったが難易度が高く任せられなかった。
これくらいの事ができないのかと言う歯痒い気持ちと、お客様に対する責任感が交錯した。
とにかく、頭を切り替えて集中した。

上手く部品の交換を終えた。
後片付けやら仕事は未だ残っていたが、部下が「後はやります」と言ってくれたので彼に任せて現場を後にした。

ダッシュで玄関を上がると、美月は朝の姿ままだった。荷物などは一応にまとめられていたので、直ぐに病院に向かうことにした。
「ミーちゃん、お父さん帰ってきたよー」
妻の呼び掛けにも美月はわずかに反応するだけだった。
抱きかかえるとわずかに微笑んだが、左腕はだらんと垂れ下がり、やはり身体に力が入らない様だった。

病室に戻ると看護師さんが心配そうに待っていた。
美月をベッドに戻しながら、今朝の状況を説明した。

h先生はやはり不在だったが、当直医師の判断で脳圧を下げる点滴がなされた。やがて、美月の体調は好転し、夜には元気を取り戻した。

まるで狐につままれた様なその日の出来事は、いったいなんだったのだろう。
h先生のその後のお話では、髄注(脳神経の領域に抗がん剤を投入すること)による副作用も無いわけでは無いが、一般には頭痛や嘔吐と言った症状で、麻痺や意識障害と言った症例は無いとの事だった。

仕事に行く僕を引き留めようとしての演技とも考えられなくも無いけど、まだ5歳の誕生日前のこと、そこまで迫真の演技ができただろうか。

その日の謎の微笑みと身体症状は、いつか来てしまう日の為のシミュレーションだったのか、僕の脳裏に深く刻み込まれたんだ。


〜父親の社会活動〜

我が子が小児がんなどの難治性の病に侵された時、その事をどこまで周囲に話(相談)したら良いのだろか?
子供が直接関わる学校・幼稚園などは勿論だが、親である自分の職場、自分の親兄弟などへは?
協力や理解を求める行動が、相手には同情を乞うている様に写ってはいないだろうか?ミスの言い訳をしている様に思われてはいないか?もしかしたら、実際にそうなのかも知れないと感じる自責の念。
病名を口に出せば、それだけが一人歩きしてしまう怖さもある。
結局のところ、それまで自分どう社会と関わって来たか、これから先どう関わって行きたいのか、それを試されているのだと思う。

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