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小児がん拠点病院・連携病院 [父親目線の小児がん闘病記] 僕は君を守れるか Vol Ⅰ-2

 月曜になって、僕達はM総合病院へ向かった。
受診した医師の話では、リンパの腫れをもたらす病気はいくつかあって、それを突き止めるにはしばらく入院して検査が必要との事だった。
診察室を出た僕達は、看護師さんに促されるままに入院の手続きをした。緊張していたのか、書類に上手くサインできなかった。

 病室は二人部屋で、奥のベッドには、娘と同じ年頃の女の子が居た。
ウイルス性の胃腸炎との事で、入院当初は大変だったらしいが、今はだいぶ落ち着いた様子だった。感染症なので、一緒に遊ぶことはかなわかったけれど、カーテンの向こう、自分と同じ年頃の子がいる事を娘はどんな風に感じていただろうか。
事態の展開について行くのがやっとだった僕は、病室のベッドの脇でようやく娘に目をやる余裕ができた。

 白いベッドの真ん中にポツンと座っている娘。
泣いたりぐずったりする事も無く、ただただ僕たちを見つめる娘。
その瞳はどこまでも清んでいた。

 翌日にはレントゲンなどの諸々の検査があったものの、それ以後は採血以外特に新たな検査もなく、診断の付かないまま2日3日と重い空気となってのしかかってきた。そんな頃、同室の女の子が退院する事になった。
母親に促されて手を振った娘(美月)は、一人残された病室でポツリと呟いた。
「ミーちゃんもゲボ(胃腸炎)がよかったなー」

 その二日後、診断が下った。
種々な可能性は検査によって打ち消され、残る可能性は、悪性リンパ腫(血液の癌)だった。
先生の話では、診断を確定するには、腫れの部分を切開して直接腫瘍を検査する(生検)のだけれど、仮に悪性だった場合は、ここでも治療はできなくて、その場合はN大学病院に転院する事になる。なので、この段階でN大学病院への転院を進める、との事だったんだ。

 その大学病院は歴史のある大きな公園の向かいに在って、東西の病棟をウイングの様に配置した、モダンな建物だった。
公園には市の中心的な図書館や各種のスポーツ施設、それにレンガ造りの古い講堂なんかも在って、この街の中でも落ち着いた文化的なエリアだ。
小児病棟はその建物の6階東ウイングだった。
入院している子供達は、中部圏の様々な地方から来ていた。
ほとんどがいわゆる小児難病慢性疾患に該当する子供達で、頭髪はなくマスクをしていた。
小児がんの治療は厳しい抗がん剤投与や放射線照射が行われるから、免疫力が低下してしまう。
なので、病棟には看護師さんの許可無く勝手に出入りは出来ない事になっている。

病室は四人部屋で、窓際には手洗いとちょっとしたシンクが在り、荷物の整理の後、そこでコップを洗った。
ふと頭を上げると、向かえの公園の木々は葉を落とし、どんよりとした冬空の元、どのまでも続くグレーの街並みが見渡せたんだ。


〜小児がん拠点病院・連携病院〜

小児がんの診療には、さまざまな専門知識・経験・技術を集めることが必要であり、多くの小児専門医療の集結が求められる。国は、小児がん患者と家族が安心して医療や支援を受けることができる環境を整備するため、全国を7つのブロックに分け、15の「小児がん拠点病院」を指定している。さらにそれらの拠点病院と連携する形で「小児がん連携病院」が指定されている


この闘病記、
僕は君を守れるか_序章_元疾患編 indexはこちら

僕は君を守れるか_破章_骨髄移植編 indexはこちら

僕は君を守れるか_急章_生体肺移植編 indexはこちら


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