伝えるために超える境界線

相談を受けた時、話を聞いて感じた事です・・・。

いつもの職場環境で、同じ部署の人と話をしていると、お互いの間で「共通言語」のような感覚で、多くの言葉(表現)を使わなくても、話が通じる事が増えてくる。そして、その環境に慣れ親しむと、今度は他部署や環境が違う人と話をする時、説明が多く必要になり面倒に感じる事があるとの事。最終的には、話が通じておらず誤解を受けてしまった・・・という結果にもなったという事。

私たちが、工夫しなくてはならない事の中で、何気なく使っている(当たり前と感じる)言葉の表現を超えていく必要があるのだと思います。

「共通言語」で話をするのは、楽で理解しやすいです、けれども、そのままでは、より多くの人とのやり取りは難しくなってきます。これを、苛立ってしまう事もあるでしょう。営業職や対人サービス的職業でもない限り、なかなか難しく感じてしまう事が多いようです。

ところで、この、わかりそうでわからない、面倒だと感じる境界線の先には、本当は自分が広げていきたい(成長したい)世界へ行くために、出来る事のヒントがあるのではないかと思うのです。この境界線は、自分が感じるものであって、自分以外の他者にわかるものではないため、境界線を越えたその先へ行くにも自らが気が付いて、そこを超えるしかないのですが、話の内容を俯瞰してくれて信頼できる相手と会話をした時、その境界線がおぼろげながらも、見えてくる場合があるようです。

普段何気なく使っている言葉や表現を見直す事でも、コミュニケーションは変わってくると思います。

このコロナ渦では、今まで顔を突き合わせていた環境とは大きく異なる事から、この境界線をまずは超える事を前提としたコミュニケーションを図っていくことが、意思疎通で感じる弊害を超えていく一つのツールではないかと感じたのでした。

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