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街の明かりを消してはいけない

緊急事態宣言に伴って東京都の小池知事が「街灯を除く全ての灯りを消して」と要請してから1週間。「人の流れを抑制するため」ということで、
20時以降の明かりが大幅に減っています。

渋谷のスクランブル交差点にある大型ビジョン、東京タワー、銀座のデパートのイルミネーション・・・。
何なんだろう、この違和感は・・・と思っていたところにある記事が目に止まりました。

東京・中野駅近くの商店街で「明かりを灯す」活動が有志によって行われているというのです。

記事を読むと、もともとのきっかけは今月12日に東京都内が「まん延防止等重点措置」の対象になったこと。他県で同様の「明かりを灯す」取り組みがあり、「自分たちも何かできないか」とある店主がインスタグラムでアップしたところ、周囲のお店に賛同の輪が広がったということです。

飲食店として夜間の営業は自粛するのですが、何らかの形で朝まで明かりを灯すことで街を守りたい、という気持ちがあるようです。記事からあるお店の方の言葉を引用します。

「街の明かりを消せと言われてもそれは従えない。営業を自粛して休業には応じたとしてもモラルのない一部の人たちの為に街の治安維持まで自粛する気はない。こんなご時世に出勤しなくてはならない。そんな仕事に従事してる方たちが安心して街に帰ってこれるよう、私たちは明かりを灯し続けます」

私はこの考え方は非常に真っ当だと思います。小池知事は「真っ暗な街」を作り出すことに恐れはなかったのでしょうか?犯罪が起こるかもしれませんし、いまは女性や子供の自殺が増加している時です。厚生労働省ですら自殺の増加にコロナの影響があるとみており、対策が急がれています。

ただでさえ気分が落ち込んでいる人々をさらに追い込むような風景が広がることを想像できないのか。こんな状況だからこそ、商店街の勇気にはホッとするものがあります。

街に明かりが灯る風景・・・その貴重さを考えながら1枚のアルバムを取り出しました。ステイシー・ケント(vo)の「ザ・チェンジング・ライツ」です。

ステイシー・ケントは1968年、アメリカのニュージャージー州に生まれました。ロンドンの学校で音楽を学んだ縁で1990年代から同市内で活動を始めています。1997年にデビューアルバムを発表し、2009年にはアルバム「Breakfast on the Morning Tram」がグラミー賞にノミネートされました。

もともとはスタンダード・ナンバーを歌うことが多かったケントですが、2000年代にブラジル音楽への接近を見せ、「チェンジング・ライツ」もそうした作品の一つです。彼女の柔らかな持ち味とボサノヴァが非常にしっくりと融合しており、気楽に聴くこともできますし、じっくりと耳を傾けると完成度の高さに唸らされることになります。

表題曲「The Changing Lights」の作詞は、何と作家のカズオ・イシグロ(!)が担っています。カズオ・イシグロはステイシー・ケントのファンで、「無人島に持っていきたい」1枚にケントの作品を選んだこともあるそうです。

そんな縁でケントと、彼女の夫でありサックス奏者・プロデューサーでもあるジム・トムリンソンとの交流が始まり、ついには共作までするようになりました。「The Changing Lights」は街灯をめぐる一つの物語のようにもなっており、普通のジャズとは違う魅力を放っています。

2012年12月と2013年4月、イギリスのアーディングリーでの録音。

Stacy Kent(vo,g)   Jim Tomlinson(ts,ss,fl)   Graham Harvey(p,fender rhodes)
Roberto Menescal(g)  John Parricelli(g)  Jeremy Brown(b)
Matt Home(ds)  Joshua Morrison(ds)  Raymundo Bittencourt(ganza)

①This Happy Madness
アントニオ・カルロス・ジョビンとヴィニシウス・ヂ・モライスによる名曲。最初はピアノとケントのみでしっとりと始まります。ケントの軽やかさがありながらどこか甘美さを備えた声が曲想にピタリと合っています。ワンコーラスを歌い終わったところでリズム陣が加わり、ボサノヴァの心地よさが漲る中、テンポが上がります。ここはひたすら穏やかな音の流れとケントの優しい声に身を任せる幸せを味わうべきでしょう。ケントのさりげないうまさが光る曲です。

⑦The Changing Lights
カズオ・イシグロが作詞、ジム・トムリンソンが作曲しています。カップルが車で夜の街を走る時、移り行く街の灯りを眺めながらあるときは夢を語り合い、ある時は別れを実感します。この歌詞の流れが韻を踏んでリズムを作り出す音楽的な歌詞ではなく、「ストーリー優先」の印象を受けます。時制もはっきりしない不思議な世界ですが、暗い夜の街で興奮や虚脱を覚えたことがある人なら、どこか自分の経験と重ねてしまうような味わいがあります。普通であればちょっと歌いにくいであろう歌詞をケントは過去の記憶をたどっていくような語り口でしっとりと歌っていきます。ボサノヴァのリズムで、寛ぎ感のあるバックを受けながら淡々と情景描写をするケント。そこにもの悲しさと幸福感が何の違和感もなく重なり合っていきます。ギターのエフェクトが効いたサウンドが変化する街の灯りを思い起こさせ、ヨーロッパとブラジルがブレンドした絶妙な世界を旅したような気持になります。

このほか、ブラジル音楽とチャップリン作曲の「スマイル」が見事につながった⑨O Bebado E A Equilibrista/Smile も素晴らしいです。

それにしても「街の灯り」を守ることにすら勇気がいる社会とは何か・・・。この「消灯措置」は何らかの効果をねらったものではなく、小池知事が「権力の誇示」をする絶好の材料を見つけた結果、という気がします。

先ほどご紹介した記事には、今回の取り組みを応援している看護士さんの話が出ていました。コロナに医療資源が投入される中、コロナではない患者さんの治療が難しくなり、多くの人が亡くなっている現状に心を痛めているということです。この方は医療関係者だけでなく、お酒を飲めずコミュニケーションの機会が失われている普通の人にも思いを馳せて次のようにSNSで発信しています。

「看板の明かりだけでも灯っていることにどれだけの人がホッとしたり心が救われたりするのだろうかと思い、この取り組みが素敵だなと思っていました」

想像力ってこういうことを言うのではないでしょうか。

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