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人生は全自動で起こっている②(自分物語を楽しむだけ)

私はすべてのことは『全自動で起こっている』という考え方を喜んで採用している

すべて大いなる我の力によって動かされているのだと信じている

大いなる我とは大元の『本当の自分(真我)』
=源=宇宙意識=神=創造主などのこと

『本当の自分』が描いたシナリオ(望んだ人生)を
この肉体を通して体験している(生かされている)んだ

人生をそう捉えることで
私にとっての生き方がとても楽になったから

私は、潜在意識の勉強をし始めてから
1年位前までは
「あなたが人生の創造主」という意味を
この肉体の"私"が創造主で
"何でも自由自在に創造できる者"なのだと
勘違いしていた

そして
「すべては自分が創り出しているんだから
良いイメージをしないと」
「気分よくいないと」などと
自分に負担がのしかかってきて
余計に苦しんでいた気がする

変えようとしても
変わらないものは変わらない

叶えようとしても叶わないものは叶わない

期待するほど、苦しくなる

でもただ気軽に望んだ時や
委ねてしまった時には簡単に叶ってしまうのはどうして?
と不思議に思いながら

ようやく…
人生は自分がコントロールしようとするものでは
なかったのだと気づいたの

創造主の一部ではあるけれど
『源の本当の自分が"真の創造主"』なのであって
この肉体(自我)は創造主なのではなくて

あくまでも現実を創造&体験するための器
=道具でしかなかった

ただ、人間の視点を担当しているだけだということに
気づいたの

すべては『本当の自分』に任せるものなのだと

そして私のこの人生ストーリーは
創造主によって既に『完結』しているもの
なのだとも思う

そう、自我の思考や話す言葉さえも
何もかもが結末まで
完全に決まっているということ

実際に何もしようとしなくても
自動で呼吸をして、身体は機能しているし
思考や感情は勝手に湧いて消えて
望みも勝手に湧いて消えていく
行動も物事も勝手に起きては終わっていく

実は
自分の選択や意思で動いていると思っていたり
偶然に何かが起きるというのは錯覚で

何をするにも、何が起きるにしても

その意思さえも、偶然かのように思える出来事も
すべてのことが必然的に
大いなる力によって動かさているよね?

今私は、本当の自分が体験したくて描いた
人生のストーリーの主人公役を与えられて

役にピッタリなこの肉体、この容姿、この性質で
そのストーリーを体験中だということ

演じさせられていることを忘れていたけれど
気づけるようにと設定されていた
あらゆる形のメッセージに触れて
ようやく「ただの役柄だった」ということを思い出して
ストーリーとして鑑賞できるようになったんだ

「人生が苦しい」と感じている人には
私と同じように、この考え方を取り入れて

「すべて大丈夫」なのだと肩の荷を下ろして
楽になって欲しい
安心して欲しいな

こう思って生きるのか
思わないで生きるのかでは
人生の満たされ方が大きく変わるはずだから
苦しみが楽になるはずだから

鑑賞する側になれたら、たまに脚本家兼演出家である創造主の視点にも立ってみると分かることがある

創造主には苦しみというものがなくて
平穏な幸せ、愛しかない

実はそれが私たちのデフォルト

そんな立場でストーリーを考える時に
すべてが順調にうまくいっていて、
一切の苦しみのない、幸せだけのものを創りたい?

そして、そのストーリーって楽しめる?
幸せなだけでは、幸せだとも感じられないよね?

…ということ笑

そう思うともう
欠乏感というものが消えていくよね

元々『すべてある』からこそ
『ない』というものを体験して
「本当はすべてあった!」という喜びを
体験してみたかったんだよね

なんだかその気持が分かってきた

ワクワクするハッピーエンドストーリーには
神には体験できない
不幸や不満足も苦しみもすべて
必要不可欠だったということだよね

私はこれを体験したくて、わざわざこんな複雑な
思考や感情を持つ肉体を創ったのか…

振り返ってみると、色々な体験をしてきたね
辛かったことも今となっては全部よかったよね

そんな山あり谷ありの人生を尊く感じて
感動して泣けてきちゃう

これからも何が起こるか分からないからこそ
楽しめるんだよね

自分の決めてきたストーリーなんだから
絶対に面白くなっているはず

信頼できるから安心して
もうコントロールしようとするのをやめて
執着していたものを簡単に手放せていくよ

今起きていることだけに向き合って
今だけを楽しめる

ただあるがままの状態を
受け入れられるようになっていくと

苦しみも"ただの経験"という軽いものになるね
必要だから起きただけ

そう思ったらすぐに消えていく

なんだ
元々何の問題もなくてしあわせだったじゃん

すべては
幸せを感じるためにしか起こっていない

ここまで来れたよ

そのうち
自我と本当の私が一体になるのが当たり前になって
肉体を持ちながら創造主である神としての体験が
できるようになっているんだよね
(それもきっとストーリーのうちで…)


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