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創業して22年…。

長いような短いような。

皆さんは親孝行をしていると胸張って言える瞬間はありますか?

僕の場合、20歳で起業し30歳で法人成りをしました。
法人成りした際に両親を役員にして役員報酬を支払うようにいたしました。

元々両親は地域密着の小さな食品店をしていたのですが、僕は興味がなく建設関係で起業しました。

法人成りをした時に食品店も事業の一環として本業に混ぜて法人化したので、実質お店も引き継いだ事になりました。
とはいえ僕が店の仕事をする事は無かったが。

よく3代目で潰すっていうじゃないですか。
そう言われるのが嫌だったのでこのような形を取ったわけです。
ただのプライドです。

親父を会長に、母を専務に。
見た目は一族経営です。

今にして思えば僕の人生の最高の決断だったと思えます。

法人化して暫くして親父が脳出血で倒れた。
元々脳に疾患持ってたから二度目の搬送だった。
退院した時にはあまり流暢に話せなくなってて、かと言って働けないわけでも無かったから、法人化してからも両親の食品店は継続していた。
両親揃って社員旅行も行けたからまぁ良かったと思う。

けどさらに3年後、三度目の脳出血を患い、いよいよ運転する事すら困難になった。
市場へ仕入れに行くのも母が行くようになり、親父は助手席に座る日々だ。

そこからは一気に店の業績も落ち込み、毎年赤字経営でした。

とある経営塾で先生からは、赤字なら事業を撤退しなさいと言われたが、どうも腑に落ちなくて赤字のまま続けていました。
良い人なだけではダメだよ、とまで言われましたけど、てめえに何がわかるんだ?と心の中では反発していた(笑)

ただ幸い本業の建設業は業績良かったから食品店の赤字を埋めてさらに会社全体で黒字化を出していました。

両親は正直働かなくても良かったんですが、母もなかなかの働き者なので辞める事は選択肢になかったんです。

そんなこんなで法人化して12年。
両親に役員報酬は払い続けてきたわけだが、今年父が他界し、今は母だけに役員報酬を支払ってます。

思い返すと、もし法人化する際に両親のお店を引き入れなかったとしたら今頃どうなっていたんでしょうか。
三度目の脳出血は僕がまだ38歳で父は66歳。けど脳出血で働けなくなったらきっと生活に支障が出たであろう。
もちろん金銭的な意味も含めて…。

けど役員報酬があるからそんな心配なく、母の都合やタイミングでのんびり事業を趣味として今もやってるのだ。

そう思えた時、僕は実はかなり親孝行してるんだなと痛感したんです。

別に自慢とかそういうのではなくて、あの時の僕の決断が、今自分を褒められる最大のポイントだったと思ってるんです。

10代の頃、とにかく悪さばかりして警察にも何度もご厄介になり親に迷惑をかけてきたんです。
せめてもの償いと思って今日まで事業を共にしてきました。

本当に本当にあの時の決断はナイスな発想です‼️

あれから社員にも恵まれ今は30人を超えました。
社員には意味のない食品店に無駄な役員報酬を…などと思われても仕方ないかもだけど、社長の信念に共感してくれてると信じ、死ぬまで払う覚悟です。

まぁこれで赤字決算なら文句言われてもいいですが、社員の給料も毎年昇給させボーナスも払い続けているので文句の一つも言わせまい。

結局お金か?と言われそうなオチですが、いやいや、そんな事ではなくて、生活を守るという信念から出てた結果なのです。
お金ではなくて生活を守るためなので、その中にお金がある、というだけ。

今、母は一人で店を切り盛りしてますが、やはり今も趣味のように地域の人と交流して本業の営業もしてくれてるので、結果オーライです。

あとは余生を楽しく過ごしてくれることを願う。

親子とは、父は息子の成功を喜び、母は息子の健康を願う。

そう聞きます。
きっと父は喜んでるだろうし、今は母のために健康に気を遣おうと思ってる。

親より早く死ぬ事にならないようにと。

改めて両親へ、強く、逞しく、気高く、誇りを持った、優しい人間に育ててくれてありがとうございます。

最高のDNAに感謝‼️

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